32 聖なる悪しき龍
文字数 3,795文字
「スカシバーニングクラッシュ!」
諭湖を抱えたまま正義の光を輝かす。蔓を溶かす。諭湖は生身だからダメージを受けない。
さすが湯の国。硫黄の匂いがここまで漂う。スカシバレッドは加速しながら振り返る。
ステルスだか光学迷彩。本宮である空中浮遊物は見えない。ただ小さい黒い穴がぽっかりと蒼天に浮かぶだけ。
ハウンドピンクが築いたホールを押し開くように、柳の怪物が無念そうに見ている。その隣から熊の化け物も覗いている。熊手で握られているのは、苦悶の顔の与謝倉凪奈――。
スカシバレッドはおのれの正義を貫く。
だから反転する。地獄に浮かぶ門へと飛ぶ。押部諭湖を片手で抱え、片手にだけスピネルソード。
化け物たちは、ウエルカムって感じに入り口を開ける。
「束縛」
本宮に戻るなり、柳の化け物がお約束をつぶやく。スカシバレッドはまたまた締めつけられる。
「……は、花吹雪」
ハウンドピンクである与謝倉凪奈が桜の枝を揺らす。
巻き付いた見えない縄が弱まる。
「ふん」と引きちぎり。「アルティメットクロス!」
スピネルソードはひとつしかないけど叫ぶ。
ウィローブルーの枝がひとつ落ちる。
「回復」枝はすぐ生える。「スカシバレッド。愚かな侵入者。残念だが、もはやお前を楽しめない。捕獲して大司祭長に突きださなければならない」
「裏切り者のハウンドピンクちゃん。お前は悲惨だぞ。精霊で何度も殺されるし、生身でも何度もかわいそうな目に合わされる。そして最後に精霊の力を回復したところで、みんなで平らげる。
……でもな、まずは真壁執務室長がお仕置きする。そこで媚びまくれば、そのかわいいお顔は生きのびられるぜ。奴の奴隷として」
熊の化け物が与謝倉の顔を舐めまくる。灰色の毛並みで尻から毒針。こいつが羽中田であるクマドーサ。スズメバチとグリズリー……。獣臭が半端ないけど、半端なく強いと感じる。
「コールドレッド! 奴らが来るまえに終わらせろ!」
与謝倉がでかいベロから顔を背けながら叫ぶ。
「犬ころがあの人たちを奴呼ばわりか? 黒岩さんと真壁は百夜目鬼様の護衛をしている。この赤色女は囮かもしれないからな」
囮どころか完全単身のスカシバレッドが諭湖を床に降ろす。両手にスピネルソードを現す。
「アルティメットクロス!」
「別の力もたまには見せよう」
ウィローブルーが口から大量の水を吐く。濁った泥水。赤いXを飲みこみ、俺を壁に激突させる。意識なき諭湖が流されていく。
「いや……やだ!」
与謝倉が悲鳴をあげる。クマドーサは巨大な熊手で器用に彼女の制服を裂いていく。貞操シールドごと。
スカシバレッドは立ちあがる。グリズリーへと飛ぶ。
「ファイナルアルテ――」
「束縛」
その言葉はやめろ。またも宙で動けなくなる。力を込める。なおさら締めつけられる。亀甲縛り。股間まで……。
「小犬ちゃんのその先を脱がすと、俺まで真壁に
クマドーサが下着だけになった与謝倉の首に爪の先を当てる。
彼女はぴくりとした後に床に落とされる。
クマドーサは身動きしない俺を見る。
「スズメバチの顎と毒。グリズリーの爪と鋼皮。しかも俺のレベルは211。数値だけなら真壁より上。たらふく食った黒岩さんには全然及ばないにしても、もはやライオンや虎も上回る。さらには飛べる」
クマドーサに大きな虫の羽根が生える。巨体を浮かばせ、俺に尻を向ける。針の先から液が滴る。
「毒は弱めてあるだろうな。精神エナジーを殺して、ここから離脱させる意味はない」
ウィローブルーの声。俺は動けない。
「無論。死ねないし自決できない程度に薄めた」
クマドーサの声。俺は動けない。
巨大な針がスカシバレッドの腹部を貫く――。
「簡単すぎるな。こいつに織部がやられたとは信じられない」
クマドーサが人の姿に戻る。俺は体が痺れて動けない。嘔吐したくても束縛されている。
「油断するな。こいつは身を削り戦う。刺し違える眼差しだと、黒岩さんが言っていた」
ウィローブルーが根っこで歩く。スカシバレッドは動けない。指さきさえも動かない。
「だとしても、苦悶の表情にそそられてしまう」
柳の化け物が好色に見おろす。
「早く済んだから予定変更しよう。少しだけ楽しませてもらう。羽中田は精霊に戻り警戒してくれ」
柳の化け物は人の姿に戻る。茶色いシャツ。精神エナジーのまま。
そしてぽつりと言う。
「解除」
スカシバレッドの貞操シールドを消し去る。
「お前はねちねち長いからな。与謝倉を先にやったら執務室長の機嫌を損ねるで済まないし、パックを女にしてやるか。俺のには狭そうだけどな」
クマドーサは人の姿のまま、押部諭湖へと向かう。
「や、やめて……」
与謝倉凪奈が震える手で、巨漢の大人の男の足を掴もうとする。蹴り飛ばされる。
蒼柳がスカシバレッドを仰向けにする。俺は動けない。でも与謝倉を守る。押部諭湖を守る。
スカシバレッドを守る。
俺しか守れる人はいない。
だから心に炎を燃やす。蒼柳を睨む。
「……お前にその目は似合わない」
頬を叩かれる。
……心に怒りを燃やす。胸を掴まれた。もっと怒りを燃やす。
さらにさらに怒りを燃やす。
「きれいだよ」
こいつはまずスカシバレッドの耳を噛んだ。
俺は怒りに飲みこまれる。慣れ親しんだ感情。でもそれが、感じたことなき新たな力を呼ぶ。
それに従え。
俺は体に力を込める。
その体が血の色の光に包まれる。
蒼柳が吹っ飛ぶのを巨大化する体から見おろす。視界が赤い。
「りゅ……」
腰を抜かす蒼柳を五本の爪で持ちあげる。鱗の生えた両腕で、男を引きちぎる。
「ぐっ、離、脱……」
蒼柳が言霊を残して消える。
逃げられた。損ねた。
「総員出動。黒岩さんすぐに来てくれ! 真壁は大司祭長を守れ」
羽中田が端末に叫びながら、その体に力を込める。
「コールドレッドが龍の精霊になった。血の色の龍……」
俺はクマドーサの巨体を見おろす。俺の体には狭すぎるフロア。
グリズリーが尻に生えた針を向けて飛んでくる。熊手で俺を叩く。
すべて鱗が弾きかえす。
床に降りたクマドーサが両手を掲げる。
「げ、原理を我が身に!」
その体が巨大化する。ツノのごとき骨に覆われる。
まともな敵だと、俺の心が喜ぶ。
「布理冥尊め!」
俺の声が赤黒い炎のブレスになる。
焼かれたクマドーサが悲鳴をあげる……。
前言撤回。弱い敵を五本の爪で抱える。スズメバチの羽根をむしる。尻の毒針を引き抜く。
クマドーサは弱弱しく呻くだけ。
俺は口を大きく開く。そしてこう思う。
喰い殺してやる。
「駄目だよ」凪奈の声。「人でなくなる」
…………人の声だ。
その声に、俺は清見さんを思う。柚香と桧を思う。陸さんも隼斗も思う。芹澤も茜音も藍菜もアグルさんもガイアさんも蘭さんも落窪さんも、みんなを思う。竹生夢月を思う。
精霊の悪しき力が抜けていく。気力を振り絞り、グリズリーの異形を抱きつぶす。クマドーサが消滅して、俺はスカシバレッドに戻る。
スズメバチの毒が残っていて倒れ込む。
***
「春風の治癒」
半裸の凪奈がスカシバレッドに枝を振る。
「私の本名は
毒が抜けても精神エナジーがスカスカシバレッドは、ぼろぼろの千由奈とともに体を引きずる。湖佳にたどり着く。
ドアが開く音。
男の影が見えた。影は廊下の明かりに照らされて、巨大な悪魔のように揺れる。
「……あなたの精霊の力を強制解除する。あなたはアジトに戻れる。……桜散れ」
春木千由奈が枝を振るう。
傭兵を貶めた邪悪すぎる技。それを俺を救うために。
「駄目。一緒に――」
なのに、スカシバレッドの力が抜けていく。時空に飲みこまれていく。
「もちろん。……お世話になりました」
湖佳を抱えた千由奈が目をつむり、食いしばった口を開け、唱える。
「ホットレッドを追跡開始」
「わ、驚いた。……休憩中に乗られちゃ困るよ。でも鍵かけたよな?」
タクシーの後部座席で目を覚ます。空は明るいまま。両脇には私服の女子中学生。
時空を越えて俺にすがってきた女の子。二人ともまだ眠っている。
「すみませんでした。とりあえず石神井公園の裏の裏を目ざしてください」
「今朝女の子二人と千葉まで行った人だね。今度はさらに若い子だけど、昔の俺ぐらいもてもてだ。ははは」
「最近はそうでもないです。近くになったら起こしてください」
「ここからだと二十分ぐらいで到着するよ。……しかし、すごい偶然だね」
タクシーが動きだす。二人に寄りかかられたまま、俺も目を閉じる。家に着いたら寝なおさないと、またこの車に来てしまう。
この子たちが家族の元に戻れないならば、戦いを終わらすまでは俺の家で保護しよう。どうせなら岩飛も……。俺はテントを新調しよう。
メッセージが溜まった雪月花の端末が騒ぎだしたから、『生還』とだけグループ送信する。スクランブルをようやく解除。寝ていられない。
……財布がなかった。スマホも。桧が帰宅していなかったらどうしよう。
そんなささやかな心配事にお構いなく、春木千由奈は眠っている。洞谷湖佳も眠り続ける。