06 お見舞いで「初めまして」
文字数 3,041文字
学校では、同じクラスの女にいきなり話しかけられた。昨日の今日だからさすがに怪しすぎる。完全に無視しておいた。昼飯も自腹で済ますことにした。
俺の学生生活で起きることなんてこれくらいだ。
***
地下鉄の改札で茜音は待っていた。紙箱を持っている。
「お見舞いのケーキ。経費で落とせるから相生君のも買っておいた。みんなで食べよう」
「誰か入院しているの?」
「
俺は彼女の前にまわりこむ。
「ペナルティって実体が怪我するのか?」
聞いた話と違う。それだと危険すぎる。もしレッドが死んだら死ぬのか?
「隼斗君は違うよ。正義の味方に選ばれるまえから病気で入院していた。あの病棟は夕食前の面会時間が五時半までだから急ごう」
茜音は細かく説明したくなさげだ。
「勘違いしていないと思うけど、あなたも私も今の姿で死ねば本当に死ぬ。命は大事に」
「……昨日、黄色いのが変身前の人を槍で刺していたけど」
歴とした殺人未遂だ。いや、恐らく命はない。
「それも教えておかないとね。私たちと違い、向こうの幹部クラスは生身の姿でも精神エナジーを鎧としてまとっている。『精霊の盾』と呼ばれている。大型トラックで轢いたり銃口をくわえさせて撃ったぐらいでは死なない。騒ぎにならぬように幻覚を見させるだけ。
身体能力は人のままで特殊攻撃も出来ないけど、隠し持つマントで体を覆えばいつでも変身できる。だから一般人の姿で現れる敵には注意して」
そこで会話が途絶える。指令室の参謀と並んで黙々と病院を目指す。俺はもともと無口だし。まだまだ汗ばむ。
***
彼女は慣れた動作で受付を済まし、エレベーターの階ボタンを押す。何度も来ている感じだ。
エレベーターには人がたっぷりと乗りこんだので会話はしない。……緊張してきた。数分間だけ死線を共にした女の子の、本当の姿との初対面が病室へのお見舞いなんて。
小児病棟の階で止まり、俺たちだけが降りる。
幼い笑い声がどこからか聞こえる。咳きこむ声も聞こえる。
部屋には『
「個室代は、慈善団体からの寄付金という名目で蒼菜がだしている。夜の見回りを断るために専属で雇った看護師の給与も」
茜音が小声で言い、ノックして室内に入る。年配の女性看護師が座っていた。
「今日は元気ですよ」
俺たちに会釈して表に出ていく。
「あなたがレッド? 智太さん?」
パジャマ姿の男の子がベッドで漫画を読んでいた。中学二年生と聞いていたけど小柄だ。
「もっと大きくて格好いい人だと思っていた。でも、想像していたよりずっと優しそう」
男の子がスパローピンクみたいに微笑む。
***
「大学生? サークルは? 高校時代の部活は? 彼女は?」
「無名大学。入っていない。やらなかった。いない」
隼斗からの質問に一つ一つ答える。広がりのある話がない。どこかで子供の泣き声がする。
俺から聞くことなんて……。
「いつから病気なの? 重い病気なの? ずっと病室なの? ……スパローピンクになんかなって大丈夫なの?」
山ほどあるけど、痩せて青白い子に質問できない。
「今日は顔色がいいね。ポイントの効果が早速でたのかな」
沈黙に耐えられないように茜音が口を開く。
「うん。昔みたいに強い敵を倒せば、また退院できるかも」
そう言うと隼斗が俺に顔を向ける。
「僕は子どもの頃から血液の病気なんだ。去年の夏に重くなったけど、たまたまモスガールジャーに召集された。僕への報酬は“健康”。勝ち続ければ、この姿もスパローピンクぐらい元気になれるかも」
なんて答えるべきだろう。
「スカシバレッドかわいかったね。スパローも負けちゃったかも」
茜音が話題を変える。
「夢にもでてきてくれた。誰よりも優しげだった。あの人は美しさならば雪月花に勝て……僕はスカシバレッドを推す」
隼人が目を向ける窓の空には、昼間から月が浮かんでいた。
「木畠さん、いつもありがとうございます。そちらも財団のボランティアの方ですか?」
三人でケーキを食べているところへ、年輩の女性が入ってきた。仕事帰りといった感じ。
「新入りです。夏目や清見たちの代わりに連れてきました。ケーキはお母さんと町田さんの分もあります」
紹介されて肘でつつかれ、俺も会釈を返す。町田さんとは専属看護師の名前だ。彼女には、隼斗が夜にいきなり外出することを、金を握らせて口止めさせてあるそうだ。彼女とシフトを組むもう一人の看護師にも。
五時から主治医と三人で面談というので退室する。町田さんは部屋のすぐ外で待機していた。
お辞儀を繰りかえす母親に見送られる。
「レッド、またね」
隼斗がいたずらっぽく手を振る。夏なのに毛糸の帽子以外は、この子の服にも所持品にもピンク色なんてひとつもなかった。
茜音の手を引いて、無人の給湯室に連れ込む。ドアを閉める。
「言っておけよ」
思わず彼女に顔を寄せてしまう。ここまでの事情を説明もせずに連れて来るなんて悪趣味すぎる。
「ご、ごめん。でも真実なんて言えないよ。それでも会わせておきたかった」
茜音が紅潮した顔を逸らす。
「あの子はやめさせろ。今から司令官に怒鳴りこむぞ」
「そんな権限は藍菜にはない。本部にしか――」
「だったらそこに連れていけ!」
ずっと闘病を続ける少年を、理不尽な戦いに引きずりだす。そっちの世界でも苦しませる。ゆるせるはずがない!
「本部が認めるはずない。……それに、隼斗君こそスパローピンクになることを望んでいる。本当の隼斗君は何年も走ったことがない」
それには気づいていた。あの子は自分の病気を多く語らなかった。ただ、今まで経験した戦いを、目を輝かせながら語りだそうとした。そのたび茜音に止められた。
壬生隼斗はスパローピンクこそ本当の自分と願っているのかも。
ドアが開いた。密室で顔を寄せあう若い男女を見て、看護師が何事だという顔をする。俺たちは無言で横をすり抜ける。
「あの子のペナルティは?」
エレベーターのボタンを押しながら尋ねる。答えが戻ってこない。ドアが開く。茜音は乗りこまない。二人して閉じるドアを見送る。
「今年の春にお母さんから聞いた。去年の春の段階で、彼は余命半年と宣告されていた」
彼女はドアを見つめながら言う。
「モスガールジャーになっていなかったら、隼斗君はもういなかったかもしれない。彼のペナルティも健康。……健康を奪われる」
掃除の職員が横に来てボタンを押す。
「奪われるとどうなる?」
「今みたいにまた病気が重くなる。もっと重くなれば、そもそもの余命が――」
茜音が鼻をすする。ドアが開き、無人のエレベーターにおばさんとともに今度は乗りこむ。
俺はなにも言えない。覚悟が深まるだけだ。
職員は三階で降りていった。二人だけになる。なのにどちらも口を開かない。
「ああ……」茜音が天井を見つめる。白い光が渦巻いていた。
召集だ。
光はあっという間に俺たちを包む。俺を心配そうに見る茜音が薄らいでいく。おそらく俺も。
さっそく呼ばれて感謝する。俺こそ向かいたかったところだ。おそらくスパローピンクは現れないし、来るまえにスカシバレッドが終わらせてやる。