23 紫苑太夫
文字数 2,958文字
「あたいだけが行く。深雪は
紫苑太夫は煙管の灰を落としながら命じる。灰は潮風に乗り、夜空に散っていく。
吐きだした煙は全長10メートルほどの大蛇に膨らみ、ぼとりと地面へ落ちていく。九十九里浜付近の二年前に閉店したドライブインへと、四頭が這っていくのが見える。布理冥尊どもが言うピーナッツランドのアジトの一つへと。
「奴にやらせましょう。叱りすぎて不機嫌です。発散させましょう」
小柄の巫女装束などという妬ましい姿の深雪が耳打ちし。
「紅月がいけば、顔を見るだけで両手を上げるよね」
かぐや姫の姿でバイクに乗ってきた馬鹿の機嫌を取る。
あの
「不要さ」
お蘭はそれだけ言う。噂が事実ならば、降参などさせられない。本部で
私だけが行くべきだ。この二人には、まだ知らせるべきではない。
「まだ怒っているの? 無免許運転のこと? それとも私が智太君をあきらめないこと?」
かぐや姫は頬を膨らませたままだ。
正義の女として生きてきた二十五年間で、こいつだけは厄介だ。どちらの陣営にとっても常識外の能力をもつ、素直さだけが取り柄の子。歯向われても、誰も抑えられない。
「それは関係ない。今宵はあたい一人で暴れたい気分なのさ。……男や仕事でむしゃくしゃしている」
お蘭は半分だけ本当のことを伝える。
「夏休みの宿題を早めに片づけな。今後は深雪に手伝わせない」
なんで、こんなことまで指図せねばならない。この娘を枠に押しこむなど無意味だけど、高校を卒業させるのは私の責任だ。あそこですら成績が下位のうえに出席日数も足りないとは底抜けにルーズで頭の出来が……提出物だけでもしっかりさせないといけない。ほかの生徒がまともにやるはずないから、教師の覚えが良くなるだろう。
それに噂が嘘ではなかったのならば、夢月にだけは教えられない。知れば暴走する。ここから立ち去らせないといけない。
柚香だって同様だ。だけど、こいつは一人では何もできない。中央幹部二体と一人で戦い相討ちしてから、かすかに怯えがある。それは責めない。むしろ必要だ。お蘭も十代に二度死んでいる。精神エナジーの枯渇の恐怖を知っているし、一度は汚泥をすするほうがはるかにましな目に遭わされてから殺された。半年後にその倍以上の仕打ちで、やり返してやったけど。
だから、この子たちとチームを組んでいるのだろう。レベルの維持が精いっぱいの年に差し掛かり、もう死ななくて済むように。
「じゃあね」と私服の夢月が微笑まないままヘルメットを被る。バイクのライトが遠ざかる。
スマホに似た雪月花専用端末が着信を伝える。
『では結界を張ります。言われたとおりに、松の等級を三層に』
地面に降りたお蘭が、深雪からのメッセージを確認する。レベル172以下のものに逃れられぬ見えない檻が築かれる。そのために深雪は最終変身である、スーパー魔法少女“
地上では、蛇たちがお蘭を待っていた。
「行っておいで」
お蘭は、消滅するさだめの一夜限りの
蛇たちは建物の四方からガラスを割りドアを押し倒し侵入する。やがて布理冥尊の悲鳴や銃声が聞こえだす。結界の外には漏れない。じきに静かになる。
外へ逃げだした戦闘員の一団が、透明の壁に気づき座りこむ。
お蘭はまた紫煙を吐く。紫色の揚羽蝶と化す。
数百羽の蝶たちにまとわりつかれ、肉体を溶かす鱗粉を浴び続け、連中の悲鳴もすぐに途絶える。
大蛇が一頭、窓から顔を見せる。私たちで処分できる獲物はすべて平らげましたと、感情なき目が伝える。……こいつらも同類かもね。
そんな態度は見せずに、「ご苦労だったね」とだけ告げる。蛇たちは霧散する。
シャン、シャン、シャン……
鈴の音を優美にたてながら、紫苑太夫は蛇たちが開けたドアから真っ暗な屋内へと侵入する。
結界の外の情報は内部に伝わる。なのに波音も車の音もやけに遠く感じる。
***
廃墟の中を、
これは、傍から見てあまり格好よくないと後から気づいた。だが私はリーダーだ。そんなことでスタイルを変えられない。まだ十代の二人の模範にならないといけない。
……花魁の格好だって
廃墟は沈黙している。でも気配は感じる。花魁はそこへとしずしず歩む。
赤モス……。男のが正義の味方に選ばれるのは遅い。十代の男の興味はあれしかないから仕方ない。二十代でもお盛んだが、経験を積み、すこしは落ち着くのだろう。
しかし、『僕は無害です』が歩いているような、緊迫感のない面。あれが美女二人を手玉に取りかけたのだからな、レッドのくせに。
レッドのくせに、あの報酬はあり得ない。なにか裏があるのだろう。だから、これ以上追いつめない。苛めすぎると追いこされたときが怖いし。お蘭はふっと笑う。
厨房からがさがさと音がする。急いで証拠を隠滅している? 違うな。作業に我を忘れている。
ネガティブな漢字一文字。それが忌むべき特性。凶、濁、惰など……。ここにいる幹部どもは片方が“百足”と“飢”。もう一体が“埴輪”と“欝”。それが、おのれの力をより強められるおぞましき習性に目覚め得る特性。
夢月が持つ“惨”の字もそうかもしれない。『特性はどちらにとってもだよ』と、博士はいつも通りに言われるだけだったけど。
お蘭はため息をつく。この扉の向こうで何事もなければ、本部が気にしすぎだったってことだ。笑って帰れる。今日はあいつが飯番だ。どんなに成功しても同棲当初からの約束を守り続けるのはさすがだが、まずい飯は明日食べよう。自分の給与で買った発泡酒を一缶だけ飲んで、出社まで数時間寝よう。
赤モスは何だったかな? 龍などと嫉妬するネーミングしか覚えていないけど……。相生は立ち直っただろうか。今日から傭兵たちとの合同チームのはずだが、レッドといえども、さすがに怯えて過ごしただろうな。エナジーの枯渇を経験して最初の戦いで死を恐れぬなど、私でも無理だった。夢月でも……。
女の身でも自分のものにしたくなるような、あの子が死ぬことも今後はあり得る。この錆びたドアの向こうの景色によっては。
紫苑太夫は扉を開ける。
異形どもはなおも彼女に気づかず、おぞましい光景を繰りひろげていた。