18 二度と死にたくない
文字数 4,043文字
なのに北風が吹いた。
「静かにしろ。顔を見せな」
布団をかぶり泣き喚く俺へと、深雪が命じる。めくられる。
助けてと悲鳴をあげたい。なのに声が出ない。逃げたい。布団の上で土下座したい。なのに体が動かない。黒巫女に顎をもたれる。
「死に方にもよるけど、レベルは三割から五割失われる。……もうお前から男の魅力は漂わない」
黒装束の深雪がふっと笑う。
「よかった。死なせずに済む」
深雪から力が抜ける。白い巫女装束に変わる。俺の心臓も動きだす。
「まだ惚れるようならば、もう一度殺してこいと蘭に命令された」
深雪はまだ俺の顔を見ている。
「ただの男ならば恵んでやれ、とも命ぜられた」
蛍光灯に黒い長髪を照らされた深雪の顔が近づく。
「いまのお前は怯えるだけなのに優しそう」
深雪が目を閉じる。彼女の唇が俺のと重なる――吐息から、安堵と希望が注ぎ込まれる。
「私の精神エナジーを与えました」
顔を離した巫女が清楚に笑う。
「苦しかったでしょうね。私も一度経験してるから分かります」
そのまま俺へと倒れ込む。俺の胸で金髪ショートの女の子に変わる。
「どっちの姿でも、蘭にたっぷりとしごがれた。死なない程度にね。でもライフは一桁。お前に譲ったから、コンディションもきっと一桁。だがらボロボロ」
柚香が疲れた顔で言う。頬に
「俺のせいでごめん……」
「本当にその通りだよ。絶対に許さない。でも今は休もう。お互いにエナジーを回復させあおう。人の温かさが一番効果ある。ここにいさせて。もう動げないし、へへ……」
彼女は子猫のように目をつむる。俺と柚香は病室のベッドで寄り添い眠る。
***
「な、ななななな……何をやってるの!」
看護師より早く桧が現れた。
「げっ、兄ヲタじゃないか。こいつの記憶はもう
柚香がベットから降りる。伸びをしたあとに。
「……全快してる。二日は覚悟してたのに、やっぱり相生のエナジーはすごいな。これであいこにしてやる」
どこからか眼鏡をだす。そして妹を見る。
「心配するな。お前の大好きなお兄ちゃんとはキスしかしていない」
病室から出ていく……。
俺は時計を見る。まだ六時前じゃないか。それから、それから……それから俺は覚悟して妹を見る。
桧は涙を垂れ流していた。
「う、嘘だよ。あの女は知らぬ間にいた。キスなどするはずない」
方便なんか使いまくってやる。妹は信じないまでも受けいれる。
「お兄ちゃんが女の人を呼ぶはずない。でも、キスはしてないけど一緒に寝ていた……。だったら今夜は桧と一緒に寝なさい!」
ほんとかよ。女性の体つきになってからはさすがに拒否してきたけど。
「分かったよ。それとお兄ちゃんは元気になったから退院するよ」
母が八時半に来て、血液検査の結果は異常なしとか聞いたりしてから帰宅する。
さわやかなぐらいだ。若い看護師も俺に色目を使わなかったし、心も晴れ晴れだ。
***
殺されたことに怒りや恨みはない。非人道的な仕打ちの原因は俺にあり、スカシバレッドだって死んだことに気づかずにいただろう。それに彼女はこう思うだけに決まっている。
もっと強くなってやると。
ただ、柚香の腫れた頬にだけは憤りが湧いてくる。
くそババアめ、なんて思わないようにしないと。弱いレッドならば、強くなることだけを考えるはずだ。そうすれば誰をも守れる……。
くそ花め。よわレッドめ。だけど俺は泣かない。虫けらのように殺されたからって恥じない。
俺の精神エナジーが具現化したスカシバレッドが死ぬということは、俺の精神がどん底に落ちること。枯渇したエナジー。打ち寄せる不安、底なしの絶望、立ち込める恐慌……。
それを経験できたことに感謝しよう。レベルが落ちたけど、報酬も消えたからイーブンだ。これからの戦いの糧にしてやる。
グリーンは三回死んでカスになったらしい。当たり前だ。命は大事に。でも怯えることなくいこう。
……やっぱり柚香も深雪もかわいかったな。子猫の瞳。冬の柑橘のような吐息。
なのに夢月をおもいだす。見つめる強い瞳を。
なのに俺にはもうフェロモンはない。溜め息をついてしまった。
*******
七月下旬の夜空を、モスプレイは音もなく飛ぶ。機内には十名以上も搭乗している。
「マシュー。女が戦場だとよ。コンサートに向かうと思ったぜ」
「スペンサー。イヤホンから糞ミュージックが糞漏れてるぜ。マジ糞みたいな糞ラップだな」
「おいケント。レディがいるのだから流行りのソングを流してやれよ。お前は彼女とひと晩中聞いているって噂だぜ。ハハハ」
むさ苦しい男どもは白人黒人アジア系と、総勢八名だ。こいつらは口うるさいし下品だが、役になりきっているだけだ。普段からサバゲーやオンラインゲーで親交を温める、仲良し十人組の正義の味方なだけだ。日本人だけ日本語だけの二人欠席な英国系傭兵の一団だ。
彼らは、マイナー文庫のマイナー傭兵シリーズをコンセプトにしているらしい。報酬を聞いたところ、筋肉、ゲームがうまくなる、フォロワーが増えるなど様々だった。
俺たちを見る卑猥な目もきっと演技だろう。しかし機内が男臭くてたまらない。
「こんなかわいい子がレッドだなんてな。……本当は
「あり得る。スカシバのレベルの上がりは素晴らしい。じきに強く美しいレッドになる」
「そして心優しきレッドです」
ブルーとイエローが、病室で教えた猫と妹の話を語りだして恥ずかしい。野良猫を救った話が唯一の英雄譚とは情けない。
桧の話だって、両親を事故で失ったあの子の手をずっと握ってあげただけだ。俺は中一で、いとこの桧は小三。おじさんとおばさんは見せられない姿と父から聞いた。卓球の練習のおかげで乗車しなかった桧は、病院でずっと泣きじゃくっていた。震えていた。だから俺は約束した。
「もう泣かないで。一緒にいてあげるから」
桧は俺を見上げて泣きながらうなずいた。この子が泣きやむまで、翌朝までずっと小さい手を握ってあげた。
俺は一人っ子でいとこも一人だけだった。だから「桧ちゃんを妹にして」と、施設とかの話をしている両親にお願いした。
妹がまた泣くのなら、また手をつないであげる。あんな小さい子があんな悲しみを背負ったのだから、何でも願いを聞いてあげる。
それだけの話だ。
「僕が最後? ……マジで傭兵さんたちと一緒だ」
ピンクが現れる。
「おいおい。本当に
ピンクは傭兵たちにダブルピースして。
「モスガールジャーと一緒なら無謀は禁止だよ。命は大事にね」
操縦席に向かう。たんにモスプレイを操縦したいからで、いつも志願している。
「諸君らの今回のコードネームは?」
肩にアメシロを乗せた司令官がやってくる。
俺の死亡通知が本部から届いて、茜音は俺を自宅前で待っていた。抱きつかれかけて報酬の件を告げた。彼女は俺を見て、「ふうん」と無表情にそっぽを向き去っていった。以後、人である彼女と口をきいていない。
「名前は雇い主に決めてもらう。俺たちの
「よろしい。どうせ今回も布理冥尊のケツほどの汚れ仕事になるだろう。君たちをダーティーフォースと呼ぼう」
司令官がシートに座った男どもをにやりと見渡す。いつも以上にノリノリだ。
「モスガールジャーおよびダーティーフォースの諸君。我がモスプレイにようこそ。私がこの連合チームの作戦司令官である与那国三志郎だ。諸君らには今から激烈な任務についてもらわないとならない。我が組織を勝利に導くために、そして生きて帰りママのおっぱいを吸ってもらうために、私の説明をしっかりと聞いてほしい」
正義の傭兵たちがガムを噛む音だけが聞こえる。彼らはCランク。関東管轄にはBランクがいないので、二番手チームになる。メンバーが多いので、一人あたりが受けとるポイントは少ないそうだ。ほぼ全員がレベル25。でも十人そろえば無敵らしい。前回の戦いで二人死んで精神療養中で、今夜は八人だけど。
ちなみにモスガールジャーは雪月花のサポートチームから外された。おそらく俺のせいだろう。
「今から向かう先は山梨だ。恥ずかしい話だが、あの県が管轄に入っていたなど今日まで知らなかった。あそこには
連中が秘密基地を建築中とシンパから情報を得た。そいつをぶっ壊しに行く。まずは上空からモスプレイで攻撃する。あの盆地には鳥取砂丘ほどに人がいない。なので布理冥尊の尻の穴が三つに増えるほどに、モスキャノンを派手にぶっ放す」
「マシュー聞いたか。賭けてもいいぜ。この旦那は若い頃戦場にいた」
「サン・ヨナグニ……。覚えがある。あんたの最終階級は
「お前らいい加減にしろ!」
白いオウムがキレた。
以後は彼女が淡々と説明する。モスキャノンのエナジー弾で散々に
あの日以来久しぶりの任務。一度死んだ俺のレベルは30まで落ちてしまった。仲間たちの落胆と言ったら……。でもコンディションは93だ。もはや新兵ではない。悪の組織を倒すため、仲間を守るため、もう二度と死にたくない。
***
「甲府盆地に進入。現在高度は一万三千メートル」ピンクが告げる。
「その高さならば、敵は気づきようもないな」ブルーが腕を組む。
「たっぷりと削りたいですね」イエローが緊張しだす。
「ターゲットに到着まで、5,4,3,2,1」アメシロのAIの物まね。
「照射!」司令官が叫ぶ。
「喰らえ!」スカシバレッドがモスキャノンのボタンを押す。