22 花鳥風月樹
文字数 3,783文字
千由奈から連絡が来た。
『吐いたの?』
相生桧が返信する。
『死んではない。なので力が残っている。なおさら危険』
千由奈は夢月さんのパニックというか腹いせを恐れている。
『お兄ちゃんは?』
『大活躍したみたいだが、詳細は教えてくれない。まだ北温泉ランドにいるそう』
だったら夢月さんの食事も買わないと。……おかゆがいいかな。部屋も掃除してやるか。制服姿の桧はコンビニへと戻る。
***
湖佳もまだ眠ったままだ。千由奈は疲労を隠せないまま、疲労困憊の岩飛さんになにかと指図していた。
「私もおかゆがよかった。過去の戦いで一番翌日きた」
岩飛さんはまるで二日酔いみたい。私が買った弁当を選ばず、オートミールに牛乳をかけてすする。
「私もいらない」
「だめ! 千由奈はしっかり食べなさい!」
「……カロリーありそうなものばかりだけど、オムレツカレーをもらう。ありがとう」
ダイエットなんかさせない。運動で痩せるのならばいくらでも付き合う。桧は普段着に着替えるより先に、千由奈との相部屋で寝る湖佳の様子を見に行く。
「早退したの? 召集かかったの?」
湖佳は目を開けていた。顔色は悪くない。疲れ切っているだけ。
「ううん。戦いは終わったみたい。湖佳はまだ寝ていなさい!」
二日で何か所もアジトを倒したのだから、たっぷりと休むべきだ。
「終わったってことは……どう終わったのかな?」
「夢月さんはボロボロみたい。……何かあったら知らせてくれるはずだからお兄ちゃんは元気だと思う」
血に染まった祝宴。あの時は混乱していたとしても、兄の精神エナジーが死んだことを誰も教えてくれなかった。司令官へ口調を荒げて抗議した。でも当然だ。あのとき柚香さんだけでなく私も看病していたら……お兄ちゃんはどうしただろう。分からない。
「かぐや姫さえなのに、そうだといいね。……智太さんは夏目さんと馬が合う。似ているから馬が合う。だからモスガールジャーに現れたんだと思う。でも根本が違う。
司令官は薄情に見せて寛容しまくり。決断が遅れて追い詰められて自爆するタイプ。智太さんは寛容に見せて仲間にもおのれにすら独善。巻き込んで自爆するタイプ。リーダーとしての資質は似たり寄ったりかな。
そんな二人よりも、手一杯の千由奈よりも、果断も躊躇もできなくて、信じなくても受けいれられる桧こそが本物の指導者かも」
褒められたのか
「千由奈が誰より頑張っているよ。お弁当あるから、いつでもおいで」
部屋から出る。続いて、夢月さんの個室を覗く…………。収拾がつかない。掃除というか片づけは起きてからにしよう。彼女は制服のまま横向きに寝ていた。顔色は良くない。
「智太君……」たまにうなされる。
「大丈夫? 布団に入って寝よう」
声かけても起きない。下敷きにしている布団を引きずりだしても起きない。スカートの裾を直して布団を肩までかけてあげる。
お気に入りらしいラッコが床に落ちていたので彼女の隣に入れる。ぬいぐるみたちに占領された小さなナイトテーブルには、お兄ちゃんとの仲睦まじい2ショット写真。加工らしいけど……。
あどけない寝顔。こいつは悪だけど妖精みたい。頬にキスしたくなる……しちゃおうかな――しちゃった。唇もかわいい。しちゃおうかな……なのに悲しげな顔になる。
「智太君? 拾っちゃダメ、捨てて……、なったら私とでも無理……」
眠ったまま涙を流す。こいつは悪だけど……、桧は目もとのしずくを指で拭き赤茶色の髪をしばらくさすってあげる。この人は悪であり、お兄ちゃんの彼女。寝顔を見ていると、なぜだかどちらとも感じられない――。玄関のチャイムが鳴った。
そーっとドアを閉じ、桧はリビングへと戻る。アポ無しでここを訪ねる人がいるはずない。荷物は置き配だけだし。
「エントランスを通過してきたわけだ」
千由奈はすでにハウンドピンクになっていた。手には桜の枝。
「トビーは湖佳を起こしてこい。桧も精霊になって」
「夢月さんはどうしましょう?」
「もちろん起こ…………、まだいい」
岩飛さんが青い顔で走る。またチャイムが鳴る。お弁当を温め直したレンジも鳴る。……どうしよう。
「防犯カメラがあるよ!」
桧は手に青白いマントを出しながら言う。体が青い光に包まれる。メイド姿のローリエブルーと化す。
「千由奈は司令官に連絡して」
ハンディタイプの画面には若い男が三人、五十ぐらいの女性が一人映っていた。女はカメラ目線だ。
「電波を歪まされている。奇襲されなくても向こうに付き合う謂れはない。籠城するぞ」
千由奈が枝を振る。屋内が夜闇に包まれる。
「えっ?」
えっ? 暗闇のなかで私の体が青白く光った。闇を照らす。
「……補助攻撃をかき消す力だ。結界が弱まったけど気にしないで」
「仲間なのに味方なのにどうして?」
「月は闇にぽつりと浮かぶ――。守られるでなく打ってでるタイプだから」
湖佳がやってきた。そのままキッチンに向かう。
「でも、今日はおとなしくしてね」
水道の水をコップで飲む。
「男どもはたいしたことなさげっすけど、おばさんは見るからに幹部以上ですね」
黒いビキニ姿の岩飛さんが隣から画面を覗く。
「年配女性の幹部? まだ生き延びている奴がいたのか? トビーよこせ」
千由奈も画面を見る。驚いた顔。その顔がじわじわと青ざめていく。
「お兄ちゃん……。お兄ちゃん!」
モニターを桧に押しつけて、千由奈が桜の枝を振るう。明るくなった屋内から玄関へと駆けようとする。男のどれかが千由奈の兄? 本部に拘束されて以降は行方不明のはずなのに。
「千由奈ダメ! これで会話ができる!」
通話をオンにする。
「あなたたちはレジスタンス本部ですか?」
『……お前は相生の妹か? 学校ではなかったのか』
画面に映る女性の顔が忌々しげに歪んだ。
『まあいい。猟犬を迎えにきた。蛾ははるか彼方だ。まだ数時間は戻ってこない』
『熱田。連中は想定外をする』
画面の外からもう一人現れた。眼鏡をかけた四十ぐらいの男性。
『悠長は良くない。入らせてもらおう』
神経質そうに言う。
モニターの中の男が白手袋をした手をドアへと伸ばす。私はチェーンもしたはずだ。なのにドアが開く音がした。画面の五人が屋内へと消えていく。そのうちの一人は引きずられるように。
無意識に、桧の手に青龍偃月刀が現れる。
「桧は精霊を解除して。本部の奴らにその姿を見せてはいけない」
足もとから声がした。湖佳はアナグマになっていた。
「精霊の盾のやりかた教えたよね。それだけにして」
この子の言葉に従う。手から矛が消える。制服姿に戻る。マントを裏にして体を覆う。精神エナジーが生身の体を覆うのが分かる。これで鉄砲で撃たれても死なないけど、短所は精神エナジーが慢性的にすり減ること。そのため死んだときにレベルが半減してしまう。
「穴熊パックか」
まず最初に、眼鏡の男は私の足もとをにらんだ。
「私の前で毛皮を見せるな。気色悪い」
「驚かさないでね。スカシバレッドかと思った」
女は私を見て笑う。
「あなたのお兄さんは魔女を殺したわよ。おそらく龍になって。……誰かのお兄さんと出来が違うわね」
千由奈を見て笑う。
「交換条件か? 兄を人質に私を本部直属にするつもりか。智太さんたちが遠く離れて、みんなが疲れた隙を狙ってな」
千由奈は冷静さを取り戻している。取り戻した振りをしている。
「ここで兄が泣き叫ぼうが、耳を削がれようが、私は貴様たちの力にならない」
その足が震えている。
「耳はすでにひとつないぜ。ははは」
「指は二本ない。ははっ」
男三人も入ってきた。スキンヘッドの二人が笑っている。そいつらに腕をつかまれた、私と同じくらいの年の男子。目をつぶって震えるだけ……。千由奈の面影がある。
「千由奈耐えよう」穴熊パックが姿を消す。
私と岩飛さんは何もできない。口もきけない。
「隠れるな」
眼鏡の男が白手袋を向ける。宙に浮かんだアナグマが現れる。
「子どもと毛皮が生意気に喋るな。私は悠長が嫌いだ」
苛立ち気に言う。
「諏訪を怒らせると怖いわよ」
女性が笑う。
「ピンクのワンちゃんに、大人の都合を教えてあげる。百夜目鬼を見限ったくせに、私たちに形だけしか協力しないなんて甘えすぎ。そんなだからね、お兄さんにはあの子が強くなる礎になってもらう」
「な、何を言う」
千由奈が崩れるほどに震えだす。
「原理主義たちのような言葉を吐くな」
「ふふ。私たちは違うわよ。でも本部は一匹飼っている。まだレベルが190のかわいい子。そいつに餌をあげる時間ね。――やれ」
スキンヘッド二人の手にナイフが現れる。千由奈の兄の胸と喉を刺す――。
絶叫を残して、千由奈の兄が消滅する。
「急がないと間に合わないわよ」
女が笑う。
私の手に青白いマントが現れる。
「お兄ちゃん!」
千由奈がアフガンハウンドになる。
「追っちゃダメ!」アナグマの湖佳が叫ぶけど。
「行かせなさい!」私も叫んでしまう。
「追跡開始」
その声を残して気品ある犬が消える。
私は本当の悪を見つけた。
マントで体を覆う。闇を照らす月の精霊が再び現れる。