17 竹生家の女たち
文字数 4,112文字
俺が映りこむほどに黒めがちな瞳で見つめてくるので断りづらい……。彼女のビキニ姿もしくはスクール水着姿が見られるかも。
「持ってくる」
近所の有料駐車場までわざわざ走る。
***
「捕虜のマントはその場で破る決まりがあるじゃない」
そんなルールがあったのか。
「行くよ。ほむちゃん精霊チェンジ!」
穂村が体にマントをかける。何も起こらない。やっぱり夢月専用になっていたのか。二十歳の同級生のスクール水着姿が見られないとなると、よけいに見たくなる。
「もっとえぐい掛け声が必要かも」
「相生君がやってみてよ」
それこそスカシバレッドがこいつの部屋に現れたらどうなる? しかもスク水姿で。レベル198相手では倒す覚悟でないと勝負にならない。負ければ体術で抑えこまれる。
「今度にしよう。そろそろ帰る」
「送ってくね」
二人は並んで夜の京都を歩く。歩行者も東京より少なくて、落ちついたムード。
「京都は冬寒いよ」
穂村が笑みを浮かべて見あげてくる。
彼女と並んで歩くのは今日が最初で最後かも。なんでか、そんな予感がした。
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動線でないところに縮こまって寝たのに、昨夜は湖佳に三度も踏まれた。わざとではないかと勘ぐってしまう。千由奈は夜食をレンジに入れるし、熟睡できない。
『おはよう。昨日は楽しくなかったです。今度は絶対にぶっ倒そう。それとレオフレイムだけとは仲よくしないでね。バイクの後ろに乗せたり、一緒に水族館行ったり、お互いの部屋を行き来したら、スカに八つ当たりするよ』
「今日から気をつける。テントをすぐに弁償してもらいたい」
『うん。じゃあ私の家に来て』
「……そこは、あの団体にばれている」
『逆尾行して杉並区と世田谷区と中野区と品川区と渋谷区と立川市と府中市と福生市と町田市と日の出町の支部を壊滅したからもう寄ってこないよ。あと青梅市もだ』
知らぬ間にそんな大活躍をしていたのか。しかも渋谷と町田の二大拠点をも。生身での月明かりが復活したわけだ。
日曜の朝六時。やっぱり京都から運転して帰ったスカシバイクで井の頭線某駅を目指す。夢月の祖母はもう起きているらしい。
***
昨日置き去りにされて千年の恋が醒めたから、テント代をもらってさっさと引き揚げよう。隣駅にバイクを駐車して歩く。この路線は駅と駅の間隔が短い。
竹生堂。そのまんまの名の和菓子屋はまだ閉まっていた。小ぢんまりした作りだけど、隣のマンションはプレヂデンツ竹生ファアスト。その一階に移転しないところに余裕を感じられる。一人っ子の夢月は竹生堂の裏に母親と生活していて、祖母はマンションの一室で独居している。夢月はそちらに移動しているので、201のボタンを押す。
『どうぞ!』スピーカーから夢月の声。ロックが解除される。
玄関でキャラクター柄の長袖Tシャツにショーパンの夢月に迎えられる。……室内は普通の広さだな。お年寄りの一人暮らしなら充分か。ダイニングに通される。六人掛けのテーブル。椅子に不動産王が座っておられた。
「お婆ちゃん、この人がいつも話している智太君。大学生なんだよ。すごく頭がいいんだよ」
「そうかい、そうかい。いつも夢月がお世話になっております」
お婆ちゃんは白髪で眼鏡をかけていて、小さくてちょっと萎びていて、にこにこ笑う。
「お婆さんはおいくつですか?」
「はい?」
「九十七歳だよ。耳が遠いから大きい声で話してね」
予想以上のお年だ。
「本当は、ひいお婆ちゃんなんだ。七十五歳のお婆ちゃんはニューヨークにいて市民権を持っているから一年に一回ぐらいしか帰ってこない。そうだよね、お婆ちゃん」
「そうかい、そうかい」
玄関が開く音がした。
「ゆづちゃん、誰が来ているの?」
わっ、五十ぐらいだけどきれいな人。
「お母さん。実物の相生智太君だよ。あとで連れていこうと思ったんだ。大学生だからすごく頭がいいんだよ」
母親か。たしかに夢月の面影がある。見開いて俺を見る目とか……。やけに凝視するな。
「ゆづちゃんが友だち呼ぶなんて小学生以来じゃない! しかも男の子を」
え? そうなんだ。
「うん。智太君それでね、我が家はひいお婆ちゃんもお婆ちゃんもお母さんも一人っ子なんだ。しかも三人とも夫が早死になんだ。お爺ちゃんは見たことないし、お父さんも私が三歳の時に。家系なのかもね」
「ゆづちゃん、それは言っちゃダメでしょ! 今は医学が進んでいるから心配ないですよ。相生さんは長生きしますよ」
「そうかい、そうかい」
俺の未来が仮定されている気がしたけど、コメントは差し控えとけと心の奥が訴えた。曾祖母の様子を見にきた母親はキッチンにお茶を入れにいく。
「お母さんは私が正義の味方をしているのを知っている。でも中身を知らないから部活程度だと思っている。私は魔法少女するまで引っ込み思案だったから、夜遊びが増えて喜んでいるよ。お婆ちゃんも私が魔法少女だって知っているよね」
「そうとも、そうとも。夢月また見せておくれ」
「うん。でもお母さんがいるから、かぐや姫にはならないよ。だから、はいお饅頭!」
夢月の手に竹生堂看板商品の薄皮饅頭が現れる。
「夢月は本当に魔法が上手だねえ」
お婆さんが嬉しそうに手を叩く。手品と勘違いしていそうだ。
***
お茶と饅頭を朝からいただく。夢月がよくこの部屋に泊まりに来るという話になって、彼女が目配せをする。どきりとさせられたけど、正義のための過度の夜遊びの口実だろう。お婆さんも気づかなそうだし。
……内装に金がかかっているとか俺には分からないけど、上品な家族だな。夢月も基本はおっとりしているし。静と動の差が激しいけど。
「テントを? ゆづちゃん、人のものを壊しちゃダメでしょ」
「うん。もうしないよ。だけど智太君に弁償してあげて。今までもスマホとか無くしちゃったから。お婆ちゃんお願い!」
「そうかい、そうかい、いくらだい」
免許を持たぬ曾孫に大型バイクを買い与えた大地主が財布を取りにいく。
「せっかくだから、ゆづちゃんの結婚式の衣装も相生さんと一緒に選べばいいわ」
その急展開はさすがになんだ。
「お、俺はまだ学生ですし」
そうじゃなくても三代にわたって夫が早世した一族に婿入りしたくない。テントを弁償してもらったら縁を切ろうと思っていたし。
母親がぽかんとして。
「あらやだ。でもその気があるのかしら」
口に手を当てて笑う。
「お母さん、どういう意味?」
「相生君はね、ゆづちゃんのウエディングドレスを選びにいくと勘違いしたのよ」
夢月が真っ赤になる。
「違うよ。蘭の結婚パーティーに着ていく服だよ。二週間後。私と柚香だけ呼ばれている」
目を細めて笑う……。
この笑顔を見ると、縁など切れるはずない。
「夢月は何を買いたかったかね、これで足りるかね」
お婆さんがはち切れそうな茶封筒を夢月に渡す。
「ゆづちゃん、お釣りはちゃんと返しなさいね」
まさにお姫様。
「うん。智太君、電車で行こう。監視カメラは端から歪ませるから、私といても平気だよ」
渋谷へ八時半に到着。店が開く十時までカラオケする羽目になった。清見さんへの申し訳ない心は生まれない。俺はその時を待っている。
***
常識範囲の金額のテントを選び、キャンプ備品を少々プレゼントしてもらう。さらには二十三区内なので無料お届けしてもらえた。
服選びに義理で従ったが、一時間半付き合わされた上に決まらなかった。試着姿を数枚撮らされた。後日母親と相談するらしい。俺は意見を求められなかった。
「それ似合うかも」
シンプルな白シャツとベージュの上着とスカートの組み合わせに言ってしまう。
「智太君ので撮って」
にっこり微笑えみ、おしとやかなポーズをとる。
全身姿と顔アップを一枚ずつ撮影する。
「地味!」不満げだった。
***
「ちゃんとしたデートって初めてかも」
ベトナム料理店でフォーをちゅるちゅる食べながら夢月が言う。彼女は白色のフォー。俺は赤いフォー。サイドメニューでエビの生春巻きを一人二本。割り勘にする予定。
「私は二十二時三十五分までフリーです。蒲田に行きますか?」
「俺は十五時から柚香と清見さんの見舞いにいく。彼女から連絡はあった?」
「ずっとないよ。私も行く」
げげっ。夢月ならこう言うに決まっていた。……120%の確率で想定外が発生する。断るには事実を伝えるしかない。フォーの汁をすすってひと息つける。生春巻きを見つめながら。
「清見さんは柚香を守ろうとしてハデスブラックに襲われた。柚香は彼の意識が戻るのをずっと待っていた。でも耐えられなくなってきた。だから、俺と会うのをやめると言った。……清見さんが回復するまで楽しくしてはいけないらしい」
もう一つを言っていいのだろうか。俺が告げるべきだろうか。でも。
「柚香は夢月を頼っている。喧嘩したことを後悔している。自分のせいで夢月がモスガールジャーを守らないことを恐れている。昨日、スカシバレッドを置き去りにしたように」
ついでに付け足しておいた。
千年の恋が醒めたけど、翌日に再始動してしまった。でもこれ以上の関係になる気がしない。付き合いが深まるほどにやんちゃな妹のように――、強くなった桧よりも年下の妹みたいに感じてしまう。きっぱり言うと、精神的に幼すぎて性的対象で見られない。見た目と中身のアンバランスがたまに気味悪いほど……。
俺は静かなままの夢月の顔を見る。大きな瞳にみるみる涙が溜まってきた。
「だから私とデートしたんだ。柚香の代わりに」
そこが食いつくところか?
「でも、柚香かわいそう。うえーん!」
いきなり号泣して、注目を集めまくり。
「……ぐすっ、みんなでハデスブラックを倒そう」
涙で赤くなった妖精の瞳がハンター……身震いした。真なるソルジャーの眼差しと化す。
挑むような眼差し。その手にしわくちゃの紙が現れる。
「黒岩からの果たし状。家のポストに入っていた。今夜二十三時。場所はお茶ランドおこもり半島のゴルフ場。一人でぶち殺すつもりだったけど、三人で行こう。そして深雪にとどめを刺させる」