07 陽の色、血の色
文字数 4,073文字
一緒に耐えろ。歯を食いしばるあの子をさらに叱咤する。
俺は腹に力を込める。スカシバレッドは地面に踏んばる。
二人の力を重ねる!
……俺たちをどこかに連れ去ろうとする力が遠ざかる。束縛した力も去り、逆によろめいてしまう。やばい。全力使いきった。まだ布理冥尊はいる。
「
気だるげというかのんびりした声。
「つまりさあ、私も耐えられる。今の姿だと無理かな? どうかな?」
「嶺真ちゃんは、その姿のままでいて!」
シルクイエローが俺の前に立つ。両手をひろげて大の字になる。
「私たちはあなたを今も信じています。スカシバに手をださないで!」
「それよりシルクさあ。私がいなくなってからさあSNSのグループ作ったりしてないよね。あの女に監視されるからさあ、招待されても入らないよ。茜音っちはまだ怒ってる? ……あっ、本名言っちゃった。ウサミミさあ、絶対にばらさないでね」
背負っていたリュックサックから小さめな麦わら帽子を取りだしながら、焼石嶺真がのんびりと言う。それを頭に乗せ、リュックを背負いなおす……。
こいつは虎と鴉だよな? 事前の脳内イメージと違う気がする。ぽかぽか陽気を思わせる。
「はいはい。正式にはウサミンミンですけど、特性は“逃走”と“拡散”ですけど、拡散せずに墓場まで持ってきますよ。それより逃げましょう。雪がもう結界を張りましたよ」
セミの化け物がせかせか言う。
「焼石様は精霊の盾をまといませんよね。落ちたらあなたでも死にますので、帽子などいらないから精霊になってください」
「せっかく久しぶりに陸ちゃ――シルクと会えたのに……。シルクさあ、あの組織はおかしいよ。みんなもさあ心を入れ替えようね。足立区在住、夏目藍菜、無職二十一歳女性以外は。あっ言っちゃった。ミンミン、拡散しといてね」
「はいはい。ウサがないですけど、これでも親衛隊ですけど。焼石様が唯一本宮に伝えたモスガールジャーの情報は、とっくに日本中の支部に伝わってますよ。現在地は不明で、親族を海外に避難させて、裏切り者の“ウラミルフ”が
なので、早く精霊になってください。花の蛇たちが玄関から入ってきましたよ。死を恐れぬ命なき敵は、近衛エリートたちでは抑えきれませんよ。……雪月花プラスに、コールドレッドですよ」
雷のどよめきが聞こえた。セミが焦りだしている。こいつらの漫才にどう対応していいのか分からないが、その隙に精神エナジーを回復させよう。……しかし、(あの)司令官はともかく他の仲間を、焼石は庇っている?
「嶺真ちゃんこそ早く目を覚まして! 紗助君を返して!」
イエローの切願がリビングを揺らすのに、焼石は顔色を変えない。
「シルクさあ、伊良賀君はここにはいないよ…………やばい、月が怒っている。じゃあね陸さ……シルク。あっそうだ、スカパーさあ男?」
俺はデジタル衛星放送じゃないけど、こいつは今さら俺を見る。
「男ですよ。デビュー戦で何よりまず自分の乳を揉んだと、トンネラーが拡散したじゃないですか」
セミが何を言いやがる!
「ふざけんな! 貞操シールドは発動しなかった!」
これは怒鳴ってもいい。あれは確認しただけだ。デマを流布させるな。怒りがエナジーになる。
「ふうん。男でも女でも、猫でも犬でもオカメインコでもさあ、貴様は敵。次からは倒す」
焼石の手に緋色のマントが現れる。体を覆う。
漆黒のイブニングドレスを着た女性が現れる。スカートの丈は短め。大人びたメイク、燃えるような赤い髪。一転して強い眼差し……。
闘わせろと、スカシバレッドがうずきだした。
なのに、目の前でイエローが手をひろげている。
「その衣装はなに? もうヤマユにはならないの」
「ええ。そして私は最終形態がない。この姿で最後まで戦う。――ウサミンミン、お待たせ」
焼石、いやレイヴンレッドが、闊達な口調で赤いヒールの下の巨大セミに言う。
「傷を負った振りをしよう。雪月花に私を途中まで追わせる。――シルク。近衛エリートは平均レベルが36ある。それに、このビルすべてがトラップ。小隊相手では、私でも苦戦する。だから開けた穴から空に逃げて。そのために、そいつを今日だけは殺さない」
「テロリストに何か言っているようですけど、私は耳をふさいでますよ。では行きますよ。結界も消しますから大声で鳴きますよ。焼石様も耳をふさいでください」
ウサミンミンに言われて、レイヴンレッドが手を耳に当てる。シルクイエローの耳にヘッドホンが現れる。
嫌な予感。スカシバレッドも耳穴に指を入れる。
むき出し部分の毛穴が震えた。リフォームされたばかりの壁が吹っ飛ぶ。鼻血が一筋。おそらくセミが超音波を発した。
「シルク急ぎな」
夕立間際の空を、赤いドレスの女を乗せた異形が飛んでいく。羽根を痛めたように体を
「
その声に振りかえる。
中学生ぐらいの女の子が、俺を忌々しそうに見つめていた。黒いシャツにピンクのスカート。肩上でそろえたボブの黒髪。もちろん布理冥尊……。女の子がにやりと笑う。
「私服は三人だけだと思っていた? 胡蝶蘭の力では私を見抜けない。“夜桜”の精霊の力をな」
無理したような笑み。この子は俺に
「うう……」
「ちゃんとに歩け」
その背後にまた人が現れる。カーキ色の迷彩服を着た戦闘員二体に挟まれ、若い男が入ってきた。何日も着たようなカジュアルシャツとパンツ。脂っぽい髪と無精ひげ。
「紗助君!」シルクイエローの叫びが大田区を揺らす。
「シルク……」
俺と同年代の、身も心も追いつめられたような男がイエローを見る。よろよろと彼女のもとに行く。
この男が伊良賀紗助。モネログリーン。三回死んでカスになった、本部からのお尋ね者……。
崩れ落ちそうな伊良賀を、シルクが受けとめる。
彼女が「うっ」と崩れ落ちる。
「だよな? 仲間でも見分けられねーよな、普通」
伊良賀紗助が笑う。その両手にはダークグリーンに光る短剣が握られていた。
「だって、俺は擬態して獲物を襲う精霊だぜ。それをあの女は、一目見るだけで逃げだしやがった。俺らが四人いるのを見抜きやがった」
イエローの血がみるみる床に……。
俺の手にスピネールソードが現れる。黙ったままで伊良賀へと交差させる。
「ぐえっ」
カス野郎が吹っ飛ぶ。大型テレビにぶち当たる。
「いきなりかよ、この野郎――! ぐえっ」
口から血を垂らした伊良賀の顔面に飛び蹴りする。壁に穴をあけて、カスはテレビごと部屋の外に消える。
戦闘員二体が自動小銃を構えた。
「スカシバフラッシュ!」
全身からあふれる光に、戦闘員が顔を背ける。消滅はしない。やはりエリート。つまりは近衛だかだが知ったことか。
「たあ!」
二体にソードを振るう。近衛エリートは赤い光に消滅する。
女の子の気配。女子中学生だろうが関係ねえ。振り向きざまにソードを交差させる。
「きゃっ」
女の子は、ピンクのマントをまとったまま吹っ飛ばされる。棚に激突して、グラスや酒瓶を受けまくる。ピンク色のパンツが丸出しだ。
俺はイエローを抱き上げる。腹が真っ赤。顔は蒼白。
『シルクイエローのライフ残りが19。スカシバレッド、いるのならば応答して』
イエローの腕でアメシロが騒いでいる。
「いる! シルクにキットをだせ! モスプレイをすぐに降ろせ!」
モスウォッチに怒鳴る。イエローの手に応急処置キットが現れる。
「いいかげんにしやがれ!」
壁をさらに壊し、巨大な異形が顔を覗かせる。白色のカマキリ……。彩るような赤紫とかすかな緑。巨大な釣り上がった目は複眼ではない。三白眼が俺をにらむ。
「
女の子はピンクのカーディガンのブレザー服姿に変わっていた。
「焼石が時間稼ぎしているうちに逃げよう。雪月花にも利口はいる。いつまでも追いかけっこするはずない」
織部と呼ばれた巨大なカマキリは俺とシルクを見おろしたままだ。
「こいつに二人、蛇に四人。近衛エリートが六人もやられたぜ。黒岩さんへのお詫びの品が必要だ。……黄色い奴がうまそうだ。あの人も喜んでくれる」
「その話は私の前でやめて。じきに二対四だよ。逃げられないよ」
「ならば俺が今ここで喰う!」
……確定的だ。こいつは完全に布理冥尊だ。しかも人食いに堕ちた。
「伊良賀、ざけんな! お前こそ本部に突きだしてやる」
俺はイエローを床におろし、その前に立ちはだかる。
「「はあ?」」
女の子と巨大カマキリが目を合わせる。女の子が笑いながら俺を見る。ツインテールにピンクのリボンがませた顔立ちと絶妙にアンバランスで愛らしいけど、そんなこと思うものか。
「まだ気づかないの? たしかに織部はグリーンだが、“
女子中学生の手に木の枝が現れる。
「私は
ハウンドピンクが枝のような杖をおろす。そこから夜闇が漂う。俺とイエローの下に溜まり、虚無のごとき穴となる。二人とも落下する。
はるか下まで続く穴。俺は宙に浮かぶ。でもイエローは落ちていく。追おうとしたのに床が現れる。与謝倉凪奈が覗いてやがる。その上からは巨大なカマキリも。
「じゃあね、冷血女。私は織部に乗せてもらって帰るから、近衛エリート残り十四人の相手をよろしく。半分ほどは生身の状態で待機させていたから」
「コールドレッド。黒岩さんに報告しておくからな。お前はフルーツランドで隠し資金を燃やしたA級戦犯だ。お怒りだぜ」
笑うカマキリの下で、与謝倉凪奈が枝をかかげる。桜の花びらがひとひら俺の頬にかかる。天井ももとに戻る。スカシバレッドは内装のない暗い部屋に一人残される。
遠雷の音。
イエロー……切り裂かれた腹部。一刻も早く助けないとならない。