42 閉宴
文字数 3,243文字
寒くない! 怖くない!
「夢月!」
俺は起きあがろうとして、目がくらむ。体が震える。嘔吐しかけて何も出ない。
「目が覚めた? でもまだ寝ていなよ、へへへ」
真っ暗な部屋。真横から柚香の声がした。柚香が手を伸ばし、俺をおのれに引き寄せる。人の肌のぬくもり。彼女は服を着ていない。
「明かりはつけないよ。このまま朝までいよう。へへ……」
俺は柚香にうずくまる。暗闇のなかの安堵。希望……。それでも怖い、寒い。
「夢月は? 蘭さんは? あの兄妹は? みんなは?」
「奴から木畠に初めて連絡があったって。蘭は母子ともに無事。やっぱり強いね、赤ちゃんも。重傷者はいない。会場はぐちゃぐちゃになったけど、智太君は心配しなくていいよ」
柚香にしがみつきたい。俺は必死にこらえる。
「俺は死んだんだね?」
「ハデスブラックもね。しぼんだから、私がとどめを刺した」
相討ち。一瞬だけの規格外。……黒岩は、今ごろ闇を揺り籠にすやすや寝ているのか?
「奴は最後に命乞いした。魔女に無理やりだけど、欲望に呑みこまれたんだって。その姿で死んだならば肉体さえも閉ざされる。もう闇から抜けだせないらしいよ。今度こそ奴の好きな闇に閉じこめられる。奴にとって最高の人生だ。ざまみやがれ」
寒い。怖い。母親の温もりが欲しい……寄らないで!
おかしい、おかしい、あなたはおかしい。
母は幼い俺を嫌っていた。
気味悪いのよ!
動物園にずっといたいな。
やめてくれ。奥の奥に押し込んでいた記憶がよみがえる。
だとしても。だからこそ。
「夢月は?」
「休もうよ。私も疲れたんだ」
「夢月は?」
柚香は答えない。俺を抱いてくれる。人肌の温もり。俺への愛を感じる。
「夢月は?」それでも尋ねる。心の底から寒い。外面などできない。
「……連絡取れない。でも智太君は気にしなくていい。どうせ奴は寝ているだけだよ」
俺は起きあがる。カーテンを閉めた部屋の中で、柚香の白い肌がかすかに見える。俺も服を着ていない。どうせ下着も汚しただろう。昨日まで賑やかだったこの家で、柚香は俺を一人で介抱してくれた。
「百夜目鬼は本当の後継者を見つけた。だから夢月を殺した」
俺は嘔吐をこらえて言う。
「いまは休もう」
「後継者は相生桧。俺の妹だ。特性は月と哀」
柚香が黙りこむ。寒い。暗い。
でも俺はベッドから出る。心に雪月花を思う。端末で夢月に連絡する。
「智太君、朝まで一緒に寝よう」
白い下着姿の柚香がでてくる。
「夢月は明日には何もなかったように笑ってくれる」
俺の背中を抱く。
彼女の肌は温かくて優しい。夢月は応答してくれない。
「俺は夢月を探しに行く。居場所は分かる」
「駄目だよ。鏡見てみなよ。青い顔だしやつれている。……清見さんみたい」
「俺は夢月を守りに行く」
柚香に告げないとならない。
「俺が一番好きなのは竹生夢月だから。これからは彼女を守る」
そのために戦い続ける。戦いを終わらせる。
「……まだ気が動転しているね」
柚香が俺の手を引っ張る。布団に導こうとする。小柄な華奢な体で懸命に、俺のために。
俺だってそこに行きたい。俺を信じてくれる、この素敵な女の子に守られて眠りたい。
「俺が誰よりも好きなのは竹生夢月。だから他の人とは寝てはいけない」
背後から抱えてくれる温かい肌が遠ざかる。
「なにそれ? なに言っでいるの?」
柚香の狼狽した声。
「あれが顔だけなんて、智太君が一番知っているよね? 馬鹿だし幼稚だし力だけの化け物だよ。智太君は混乱しているだけだよ」
分かっている。何度も呆れて、何度も一目惚れした。
「ごめん」言わないとならない。「俺は柚香より夢月が好きだった。最初からだし、付き合いが深まるほど好きになった」
「ふざげんな!」
半裸の柚香が俺の前にまわりこむ。暗闇のなか、俺の顔を見上げる。
「君が夢月のが好きなんて初めから分がっている。でも、そでよりも私のがずっと智太君が好きだ! どんどんどんどん好ぎになった。あんな大学だろうが関係ねぇ。……清見さんの件でぎくしゃくしたよね。そのせい? あの人を考えたら智太君と仲良くなんかできなかった。これからだって……、でも分がってよ」
分かっている。誰よりも真面目で俺にだけ性格いい、不器用で素敵な女の子。身勝手な俺を信じてくれた女の子。なのに俺はなにも言えない。
「なにか言ってよ。……レベルがまた逆転するよね。それでも馬鹿になんかできない。今日だって守られた。これがらは私が智太君を守るって気を引き締めた。私が守れるって嬉しがったんだよ! いまだって、またフェロモンがマイナスになったって全然平気なままだ!」
正面から抱きついてくる。
「ごめん」俺はそれしか言えない。
「いやだ」柚香はそれしか言わない。涙声。
俺は心に仮面ネーチャーを思う。端末。赤い光に包まれる。
「……なして?」
巻き込まれかけて俺から離れる。支えがなくなり、スカはよろめいてしまう。
「あなたのおかげで力がよみがえりました。ありがとう」
スカは泣かない。虚勢だけを張る。
「私は相生智太が愛する人を救いに行きます」
柚香はベッドに座りこむ。嗚咽しだす。
コールドレッドなスカはカーテンを開ける。やっぱりすでに夜だった。窓も開ける。
「ありがとう」
もう一度だけ言って、スカはよろよろと空に飛びだす。身を隠す祓いを受けることもなく、むき出しのまま夜空を飛ぶ。
月は浮かんでいなかった。
***
空で何度も気を失いかける。
夢月の高校。場所も含めて、ネットで何度かチェックしていた。彼女はそこで八時間寝て、週末は一睡もしていない。
真っ暗な校舎。壁がベニヤ板で補修された教室があった。スカシバレッドはドロップキックで突き破る。なかに転がりこみ、大の字になる。かってに変身が解除される。怖い、寒い、このまま寝たい。……柚香の肌の温もり、柚香の吐息。もう二度と感じることはできない。
「夢月」俺は立ちあがる。「夢月?」
教壇の真ん前の席に、机にうつ伏した人影があった。こんな場所で一日中寝られるのか? 教師も起こさないのか?
披露宴のままの白シャツとベージュのスカート。かわいい寝顔が非常灯に照らされる。机によだれが溜まっている。
「……夢月」彼女の肩を揺する。
「きゃあ!」彼女が跳ね起きる。椅子から転がり落ちて。「二十三夜!」
怯えた顔で、俺へと手のひらを向ける。なのに何も発せられない。
「智太君? うっ」そのまま吐瀉する。激しく吐いて震えだす。
「……いやだ。怖い」震えながら泣きだす。
「大丈夫」俺はしゃがんで彼女の肩を抱える。「もう大丈夫」
夢月は俺の中で震えている。月は照らさない。
「私死んじゃったの? やばいよ。弱くなったら本部にも殺される」
夢月がさらに震える。
「俺が守るから大丈夫」
俺だって崩れ落ちそうだけど、この人の前では虚勢を張る。
「俺も死んだ。でもこれからは一番大好きな竹生夢月を守る」
彼女を俺へと向けさせる。間近で向き合う。赤茶色に戻った髪。互いにすえた匂い。敗者の俺たちにお似合いの匂い。
「夢月が岩飛にかけた言葉。飾りもなく素敵だった。なおさら好きになれた」
俺は本心を言い、正面から抱きしめる。
「……私は最初から大好きでした」
夢月は抱き返さない。俺に身を預ける。
弱くなった二人。生き延びている強敵ども。
知ったことじゃない。
鳳凰は虚勢のために隠していた心のやさしさ、心の清さ、心の弱さを、弱い人のために見せて、おのれはまじに弱くなって、俺を目覚めさせた。レベルなんて目安だ。関係ない。じきに二人は以前より強くなる。
「何度も言いたい。俺は竹生夢月が大好きだ。顔も中身もだ」
「うん……」
夢月が俺にうずくまる。俺は寄りかかるように押し倒す。
新月の夜。すえた匂い。ベニヤ板の張られた教室。
俺たちは互いに望み望まれるまま、これ以上ないほどに人肌を重ね合わせる。