36 臥龍鳳雛
文字数 3,279文字
『初対面の大人の男が苦手だったりして。ちょっと怖いグスン』
夢月はそんなことを送ってきたけど、嘘丸出しだ。どうせ説教が嫌で博士との面談を拒んだに決まっている。俺が強く説得した。
実際に二分で慣れて、いまはでかいベッドに寝ころんでスマホをいじっている。
博士は何も言わない。夢月と突っ立ったままの俺を交互に見ている。観察している。
「いまだ臥龍鳳雛」
ようやく口を開く。
「龍は一度目覚めて、怖くてまた寝た。考えるなど放棄。だから鳳凰は雛のまま。そんな感じだな」
「どういう意味ですか?」立ったままで聞く。
「君たちはパートナーだ。竹生は考えるのが苦手だから、竹生にだけは教えてやる。龍を起こすのは鳳凰の役目だ」
これが例の問答って奴か。夢月は「はーい」と転がったまま返事する。
「夢月。一緒に聞くことがあるだろ。陰と惨。俺たちの原理主義の特性」
その二文字を考えろと電話で言われたのは覚えている。でもおっしゃるとおりに、その瞬間に頭を捻らすのは放棄した。
夢月が跳ねるように起きあがる。
「そうだった。
やいジジイ。お前が決めたんだろ? 他のに変えろ。私はそのまま月がいい。智太君は何にする?」
俺は牧場がいいな……。というか、その口の効き方はやめてくれ。
「どうせ言葉遊びだ。だったら特性も月を名乗れ。
……竹生は理解できないじゃなくて、理解しようとしないな。いいか、原理主義を否定的な一文字で表した。なぜ否定的と言うと、誰の心の奥にもあるからだ。だが、善にも悪にも純粋な奴らは、いずれ表に現れる。そいつらを区別するために名づけた。
それが利を為すか害と成るか……当本人たちを前に失礼だったな」
そうだったのか……全然意味がわからない。深く考えるなんて無理だし、部屋が紅色に照らされるし。
「智太君が人を喰うはずない」
泣き顔の十二単衣の紅月が現れた。
「でも……私はなるかも。じじい治せ!」
俺は、ベッドの上から車椅子の老人を睨む涙顔のかぐや姫を見る。
鼓動がめちゃくちゃ高まる。
たった今キスしたばかりの柚香には申し訳ないけど、誰よりも綺麗。ずっと手を握ると約束した妹には申し訳ないけど、誰よりも護りたい……。
「興奮するのは幼さに逃げるためだな。典型的な逃避行動だ。
いいか、お前の周りには、例の行為を率先した黒岩も強制した百夜目鬼もいない。
龍は目覚め鳳凰は巣立つ。お前たちの原理主義はいずれ現れる。どのような形で現れるかは、お前たち次第だ。お前たち二人でしか決められない」
櫛引博士が車椅子をテーブルへと動かす。コーラの1.5リットルのペットボトルが置いてあった。でも中の液体は透明。
博士は俺を鋭いままの目で見る。
「フェロモン上昇の点眼薬だ。相生にプレゼントしよう。使い方は抗フェロモンと同様だから、用量が多いと逆効果が起きる。気をつけるようにな」
その手に端末が現れる。
「私は帰るが、この部屋は翌朝まで使用できる。雛を大人にするのは誰の役目だ?」
櫛引博士が車椅子ごと消える。
置いてあったスポイトで二回さす。これで本来の俺に戻ったはず。さらにさせば、性フェロモンに満ちた頃の俺に戻れる……そんな必要はない。
「せっかくだから歌おう」
かぐや姫から夢月に戻った王女様がカラオケを操作する。
彼女の歌声を聞きながら、俺は博士が言い残したことを考える。分かったような分からないような……。ちょっと舌足らず。なのにうっとりする声だよな。ダンスもうまいし。というか何曲入れているのだ。
「そろそろ帰ろうか」
「やだ。デュエットしよ」
「ダディダディドゥ歌える?」
「うん!」
サングラスかけちゃったりして。夢月も調子に乗って一単衣になったりしちゃって。
さらにもう二曲一緒に歌って踊って、俺たちは部屋をでる。龍に役得などないし、人に
***
「本物の柚香とも二回キスした」
ホテルをでたところで、それだけは知らせておく。
だったら私ともキスしなさい! 桧だったらそう怒るかな。
「報告しなくていい。柚香を嫌いになるから」
眼差しがフルフェイスのヘルメットに隠れる。
「じゃあね」と去っていく。
俺は仮面ネーチャーのガレージにバイクごと転送する。
彼女たちと出会ってからまだ二か月。戦いまみれの二か月。じわじわ確実にすべてが変わっていく。
****
あの病院は中学生以下だけを禁止しているので、隼斗は俺と一緒に藍菜の見舞いに行く。あれから三週間。清見さんはまだ目覚めない。彼の見舞いには行けない。
ペナルティーなどおかまいなく隼斗はまだ健康だ。もう一度死んだら分からないけど、背丈の成長も止まっていない。じきに俺を追いこしそうだし、顔つきも男らしくなっている。なんだかさみしい感じもする。
「サッカー、いきなりレギュラーになりそう。清見さんに一度公園で教えてもらったからかな」
隼斗がガムを噛みながら言う。そんなことはたぶん初耳だけど。
焼石に殺されたこと、清見さんが廃人のようになったこと。自分は何もできなかったこと。
そんな耐えがたしがあったことを、中学生の隼斗はおくびにもださない。――十年以上の病との戦い。それらもみんな年輪のように刻みこんで、隼斗はもっと大きくなっていくかも。俺なんかよりずっと。
などと思いかけたのに。
「馬鹿になっちゃったかな?」
こいつは誰もが避けていることを口にする。清見さんの報酬は知性らしい。ならばペナルティーはその剥奪。
「もとがいいから、それでも俺よりは頭いいと思う」
「きっとそうだね」
隼斗が納得しやがる。
二人はボディチェックを再三受けて、ようやく入室する。
「隼斗……。大きくなったな」
紗助君がまぶしそうに見る。ちょっとだけ若草の香りを残して、町田さんと別室へ移る。
「お加減はいかがですか?」元司令官へ社交辞令する。
「とんだ災難だった。まさかレインホワイトが勝手に変身したペナルティーが、腐れ巫女でなく私に来るとは思わなかった。どこぞから逃げだして繁殖したチンチラネズミの群れと、それを追うチンチラ猫の争いに病室で巻き込まれるとも思わなかった。
幸いにも全身が包帯だったので噛まれもせず、全治一か月が増えなかったがな」
彼女もあと一週間で退院できる。
「例の件、彼には伝えておくべきですよ」
落窪さんが藍菜に言う。
「うん……。じつはウィローブルーがレジスタンスへと寝返った。情報をたっぷりお土産にね。本部は彼に善の心があるとして、その実績を鑑みて、本部のメンバーとして招き入れた。今後は彼と会ったとしても、ぶん殴らないように」
なんだそりゃ? 蒼柳のどこが善だ?
どうでもいいや。どうせ俺は一兵卒だから。殴らないかは保証できないけど。
というか殴り飛ばす。蒼柳にしろ春日にしろ、ついでに……。
「ち、ちょっと前に智太君に頼み事があると言ったよね。それを今してもいい?」
そう聞かれる予感はしていた。
「隼斗と落窪さんを退席させないならば聞きます」
俺の返答に藍菜は考えだす。
「ここで話せないならば、いついかなる時も聞きません」
「相生さん、この方を困らせるのはいけませんよ、ぐひひ」
「僕は聞きたいな。ずっと子どもだからって重要な話からはずされてきたし。レッドは僕をそんな風に扱わなかった」
「わ、分かった。いまお願いする。た、たいしたことじゃないから、みんなは聞き流してね。……紗助君の件、深雪の件、春日の仕打ち……。ちょっと腹に据えかねることが増えてきた」
こいつの言いたいことは分かった。本部への抗議なりでボディガードをやらせるつもりだ。そんなことをやるつもりはない。そんなことだけで許すはずない。
「頭に来てるのは俺もです。だけど俺がしたいのは――」
「最後まで話を聞け。私がスカシバレッドに頼むのは――」
「「いつか本部もぶっ倒す!」」
……おもいきりハモってしまった。
落窪さんは無表情だ。
壬生隼斗は親指を立てる。