25 江東区で知る切実
文字数 2,681文字
なんと蘭さんが紅茶を入れてくれた。
「代わりに柚香の評価は半減、夢月は十分の一だ。所詮は花あっての雪月花だった」
リビングに吉原さんはいない。カーテンがされているのでスカイツリーは見えない。
「仕事はやめられたそうですね」
カップをすすりながら尋ねる。
「旦那の稼ぎがいいからな。しばらくはゆっくりできると思ったのに。では始めるぞ。
相生智太が穴熊パックと接触していたのは間違いないな? その行動の真意を確かめる。まず最初に接触したのはいつだ?」
本部から命ぜられた蘭さんの尋問が始まる。
「柚香を助けてここに来て、追いだされて拉致されたときです」
「そうだったな。奴が接触してきたのは?」
「夢月に雪月花の秘密訓練場である無人島に連れていかれたときです。蘭さんと藍菜は諭湖のスマホに仕組まれたトラップに気づかずに、解析できたと悦に浸っていました。しかも狸寝入りの彼女を気にすることなくお喋りしたために、メンバー全員の名前がばれました。その件を俺に教えてくれました。彼女は明かしていないから、関東管轄は誰も逮捕されていません」
「ちょっと待て」
蘭さんが録音機を停止させる。
「次の接触は?」
「夢月が焼石にやられた後です。諭湖は夢月のめりこんだ鼻を治してくれました」
「次は?」
「ずっと無くて、例の写真のときになります。柚香と俺が交際しているのを知っていました」
「……わざと雪月花の名前をだしていないか?」
「いずれも事実です。そして昨夜の戦いで、門番が全員揃うのを事前に教えてくれました。ハウンドピンクが俺を強制離脱させるのも妨害したようです。……俺はここまで実害を受けていません。脅されてもいません。むしろレオフレイムのが危険でした。あの女は戦いもせず、傭兵たちを守るためにエナジーを使い果たしたスカシバレッドを好きに――」
「もういい。私が整理して本部に報告しておく。……この件は、まだ口外しないように」
蘭さんが無意識におなかをさすった。これ以上刺激になる話は差し控えよう。
「押部諭湖を敵からも守る方向でお願いします」
これくらいなら、おなかの赤ちゃんも平気だろう。
「はあ?」
人をUMAみたいに見るな。彼女だって味方に狙われる存在……。そうそう。
「アグルさんから聞きました。柚香は許されるみたいですね」
彼女は別の部屋でまだ寝ている。寝顔は見せてもらえない。起きてから顔を合わせると、嫌悪露わに舌を打たれるかもしれないのに。
「簡単に済むはずない。――本部への評価も私の中でガタ落ちだ。私は他の奴らと違い、愚直なまでの正義ではない」
胡蝶蘭でなくても俺でも見抜いている。でも……本部こそがくそだと、藍菜から散々聞かされている。それでも彼女は従っている。ならば一兵卒の俺の立ち位置も決まっている。戦いが終わるまでは従属するだけ。
などと思うものか! 姑息な手で柚香を奪おうとしやがって。あれは正義ではない――。蘭さんが呆れているではないか。
「また聞いてないようだが、もう話さない」
「すみません。もう一度だけお願いします」
「本部の半数は私みたいに正義の味方をリタイアした者。残りは元布理冥尊――百夜目鬼に叛旗を翻した方々だ。春日も布理冥尊だった。それ以上細かい話はもうしない」
けっこう怒っている。無理強いはしないでおこう。それに俺だって。
「春日が精霊になった時点で感づきました。百夜目鬼も本部を裏切り者と言っていた」
「そう呼ぶだろうな。それよりお前に聞きたい。柚香と夢月のどちらを選ぶ? もはや相生ウイルスは過去の話。でも柚香はお前に何度も助けられた。そりゃ惚れるわな。夢月はレッド同士というだけでお前にべったり。でもな、態度をはっきりしないと、いずれ深みに嵌まるぞ」
俺はとりあえず紅茶に口をつける。その話になるとは思わなかった。
「戦いが終わるまでは――」
「その前に底なし沼だ」
「……胡蝶蘭はどう見抜いていますか?」
蘭さんが立ち上がる。カーテンを開ける。
東京を見下ろしながら。
「お前は当初よりいい男になったぞ。凛々しくなった。ウイルスの力が無くてもモテるだろ?」
いまの俺は女性からゴキブリ扱いだけど。胡蝶蘭も万能ではない。
蘭さんは窓の外のスカイツリーを眺めたままで。
「一般人にも美人はいる。だから両方から手を引け。それが最善だ」
これぞ正論。桧の顔が浮かんでしまった。でも、その選択肢は無し!
「だったら柚香にします。彼女も俺を信じています。この件は以上です」
紅茶を飲み干して。
「夢月の情報が漏れた件を知っていますよね? 学校になど行かせていいのですか?」
「私は名前が知れたことを危惧しない。あの子は目立つし、いずれは発見されただろう。とはいえ今後は彼女と外で接触しない。端末があればダイレクトに会えるしな。でも結婚パーティーだけは……。
彼女を卒業させるのが、正義に関わらせた私の使命だ。奴の高校は吹き溜まり。反社会的集団のように厳しい掟……でなく厳しい校則もあるが、出席日数の不足を補習で済ましてくれる。校内では大人しくしているらしいから、通学さえすれば卒業できる」
彼女が教室の壁を破壊したことを思いだしたが、妊婦には伝えないでおこう。
蘭さんは一息ついたあとに。
「話を戻すが、『僕は柚香を選びました』と夢月に告げられるのか? さもないと同じことだ」
黙りこむ俺へと続ける。
「言えないだろ? 誰だって奴は怖い。しかもショックで布理冥尊に寝返るなど想定外をしでかすかもしれない。……柚香こそ素直でいい子だ。でもな、戦いが終わるまでは深い仲になるな。デートもやめろ。部屋に行くな、来させるな。端末の通信内容は以後も管理して、場合によってはロックする」
蘭さんに諭されて頷いてしまう。……俺が告げられないのは未練があるから。胡蝶蘭はそんなことも見抜けない。
ここでの用事は済んだ。
「お邪魔しました」
「早朝からお前のために動いたのだぞ。形だけでも礼を言え」
「ありがとうございました」
タクシーでうたた寝したよな。離脱先が微妙だ。念のため、転送でなく自力でマンションをでる。次は隼斗の見舞いか、陸さんに会うか、もう一度清見さん……。家に帰って寝るべきかな。
茜音からメッセージが届いた。
『藍菜が入院した。いつものところが満室だから、隼斗君と同じ病院。落窪さんはまだ回復していない』
いつもの病院は世界的資本が深く関わっているから、有り余る金さえあれば布理冥尊も関与できないそうだ。しかし早速かよ。西新宿に二人のお見舞いと決まってしまった。