11 広尾で知る内実
文字数 3,635文字
夢月の野生の感。
『桧は妹だから一番大事に決まっている』
『だね! 何時に柚香に行く?』
『別々に行こう』
『うん!』
朝五時のやり取りが終わる。久々にベッドで寝たら快適だった。
「戦うのは自分の精神。だから死ぬことはないけど、あの時みたいに苦しむことになる。……正体が明かされると私だけでなくお母さんにも危害が及ぶ」
朝七時に桧が作ってくれた朝食を食べる。妹はすべてを受け入れている。
「で、今日はあの女に会いにいく。金髪でバンダナで黒ぶち眼鏡でタンクトップの統一性のないファッションの女」
ついでに柚香のことも明確に思いだしている。病室のベットに忍びこんでいた女。
「今はまともなスタイルになった。お兄ちゃんは柚香だけでなく、前のチームの司令官にも会わないとならないんだよ」
呼びだしのメッセージが来ていた。最後の引き継ぎだ。
「お兄ちゃんは夢月さんが大好きなんだね。……あのかわいさは異常だけど、そのためだけじゃない」
梨をむいていた桧がエプロン姿で振り返る。
「お兄ちゃんの目を見たら分かった。誰よりも守ろうとする存在。でもね、犠牲にしちゃだめだよ。自分も周りも。約束しなさい!」
姫を守る王子様……。
「俺が一番大事なのは家族だよ」
両親も祖父母も。なによりお前を。ずっと昔、そう約束した。
クロ子が膝で『私は?』と鳴く。
***
柚香は、頭で記憶して履歴を消去することを条件に電話番号を教えてくれた。でもショートメールは不可、SNSは拒否された。なおも慎重すぎる。
雪月花端末の通信内容は蘭さんがいまだ管理しているだろうけど、そちらに謝罪のメッセージを残しておいた。既読になっていた。通信は遮断に戻っているが悪くない兆候だ。許してくれそう。
七時半に家をでる。練馬区から世田谷区への移動なのに駅までも含めて一時間かかる。
柚香は昨夜エナジーをたっぷり吸った。疲れるどころか元気満点かも。『今から行く』と念押ししておく。
目薬をさそうとして、バクサーに報酬を奪われたことを思いだす。夢月や桧は、そもそも性フェロモンが効かないから参考にならない。サングラスと目薬は携帯するだけにして様子を見よう。
「同じ車に乗るんじゃねえよ」
まずバス停で女子高生に舌打ちされた。二人は俺をにらんで去っていく。不吉な予感がしてきた……。
バスは立っている人が数人の混み具合で、乗りこんだ俺に注目が集まる。女から。十代から三十代の女性からだけ。
彼女たちが俺をにらむ。若いお母さんが子どもを抱える。小学校高学年の女の子が降車ボタンを連打する。
「あなた、この男を追いだして」若い母親が叫ぶ。
「リョウ君! こいつをやっつけて!」同年代の女が俺を指さす。
男たちは途方に暮れるけど、俺は次のバス停で降車する。サングラスをかける。
性フェロモンが減ったどころか、女性から嫌悪される存在になっている。不審者犯罪者を見る目を向けられた。理不尽な女性の敵と化した。
幸いにもサングラスをしている分には大丈夫なようだけど、これでは柚香に会えない。彼女や茜音はいわゆる相生ウイルスを跳ねかえせられない。しかも、今回はその逆バージョン……。嫌悪されるどころか、深雪に変身されて成敗されるかもしれない。
やっぱり行けなくなったと、端末に打ち込む。なんてことだ。
***
「転生してください」
池袋駅百貨店の個室トイレで鍵をかけないままで、ビニール袋に靴を入れて司令官に連絡する。白い渦が降りてくる。さすがに藍菜でも用心しだして、以前のように直接広尾に行けなくなった。
「お待ちしておりましたけどね、ぐひひ」
スカシバレッドは、藍菜の家の玄関内に送りこまれる。
「南極トビーをどうするのですか? あれに善の心など微塵もありませんよ、ぐひひ……」
エプロン姿の落窪さんに言われるけど、捕虜の件は後回し。
まさに二学期が始まる。サングラスをして講義を受けるわけにはいかない。まずは性フェロモンの奪還。
それと柚香のこと。それより……。
「あなたは原理主義ですよね。恨の特性。私の陰もそうなのですか?」
スカシバレッドの口調がもどかしい。でもスタイルは変えない。
「おっしゃる通りですけどね、ぐひひ……」
俺の問いを、落窪さんは落ちくぼんだ目で笑う。
「気にすることはないですよ、ぐひひひひひひひひ」
「気にするに決まっています! 私や紅月は人を喰いたくなるのですか?」
落窪さんはしばらく黙りこみ。
「それはないですけどね……、激戦のさなかに精霊を喰いたくなるかもしれませんね。その時は耐えるべきですよ、ぐひひ」
……化け物に食欲を覚えたことはなかった。でも、強敵を倒すときに心が舌なめずりした覚えはある。
「あの方がお待ちです。こちらへどうぞ、ぐひひ」
落窪さんがリビングへと去っていく。
スカシバレッドは靴のまま上がる。貞操シールドが足もとにも発動して脱げないのだ。ピュアな女戦士だ。
「転生を解除する?」
藍菜がノートパソコンから目を離さずに尋ねる。土足が気づかれない。
「いまのままで結構です。それよりも私と紅月の原理主義。正義の味方なのに何故ですか?」
「春日さんが暴露したのは聞いた。いずれ話さなければいけなかったけど……その件は櫛引博士に任せる。近々二人は呼ばれることになる」
「レジスタンスに原理主義は他にもいるのですか?」
「私は『二人を呼ぶ』と言ったよな。そういうことだ。――みたいな問答をする人だから疲れるだろうね」
意味を理解するのに十五秒ほど黙ってしまったが、俺と夢月だけということだろう。
「引継ぎはちょっとだけ。まず落窪さんから仮面ネーチャーから預かったスマホを受け取って。その時点で、私との関係は解消される。今後は何かあっても、正義オブ正義の二人に相談するように」
与那国司令官である藍菜は、モニターを見つめるままだ。
「もう一点は、あの親衛隊員のこと。あれはペラペラしゃべるけど、でまかせばかり。スマホには素人レベルのトラップが仕掛けてあった。
落窪さんの話だと、あの女は舌先三寸で親衛隊にのし上がったらしい。そんで愛嬌の特性のおかげで、一部の敵が攻撃をためらう。スカシバレッドは見事に術中に嵌まったね」
たしかに羊も好きだったが瞬殺できたな。……カピパラやコアラの精霊が現れたらどうだろう。
「コアラやパンダの精霊が現れたらなんて思ってないだろうね。
彼女は大事な情報を何も知らない。ヴァルタン征爾の秘書だったなんて言うけど、実際はおそらく
そういうカスは本部で再教育を受けるのがベストだと思う」
スカシバレッドは一兵卒だ。そこから先の判断は上層部に任せる。でも。
「奴が教えてくれた敵援軍の情報は事実でした。だから迎撃できました」
「……確かに。スカシバも尋問して判断して」
俺はうなずき、落窪さんから岩飛のスマホを受け取る。黒いマントは処分済とのこと。
司令官はパソコン作業を続ける。もう俺はいないかのようだ。
「深雪とはうまくやれそうですか?」
俺の問いかけに、ようやく藍菜は顔を上げる。
「巫女のエナジー消費は想像以上だった。複数のメンバーをまとめるのは彼女に負担がありすぎるかも。なので、今後は落窪さんも前線にだす機会を増やしたいと、本部に交渉中。
落窪さんは日によっては正義の心が十数分も上回るのだから、すでに
藍菜が画面に顔を戻す。い、忙しい忙しいとキーボードを乱打しだす。
この女がどもる時は不吉。夢月が善悪の境界線上にいるとでも?
何を今さら。善悪に関係なく夢月こそが絶対的正義だろ。そんなことより聞くべきことは。
「夢月はどんな学校生活を送っているのですか?」
昨夜彼女の教室を見て、俺の知らない彼女をちょっとだけ気になった。有能な興信所を抱えている司令官ならば細かく知っている。それだけ聞いて終わろう。
「あの子は、いわゆる不良高校で浮いている。当然だけどいじめは受けない。でも誰も口をきいてくれない。融通が利かない独自の理論で動くから、中学時代も似たようなものだった。それでも毎週何人もから……、老若男女すべてから告白を受けて、端から断る。もしくは逃げる。
ああ見えて人付き合いが下手。気にいられている茜音っちが辟易とするほど。……蘭と柚香。それと相生智太だけが友だちであって仲間」
想像を越えない話。俺と柚香と夢月で組むのがベストじゃないかと思う。そして、その日はいずれ現れる。最強最悪の敵を倒すために。
でもファイナルはみな打ちのめされて……
そんな不吉がちらりとした。