31 本宮は地獄の上に
文字数 3,605文字
「ここが本宮だな? 押部諭湖を助けるぞ」
「おのれ……。貴様を振り払おうとして、自分の部屋に戻ってしまったではないか」
アフガンハウンドは俺の腕を枕にしていた。跳ね起きて中学生の姿に戻り。
「……ふふふ。貴様は終わりだ。諭湖の代わりに貴様を原理主義に差しだしてやる」
さすが悪の一員だ。
「でも彼女は処刑される。俺は、彼女はスパイだったとぺらぺら喋る。おかげでレジスタンスはここまで勝ち進めたと言う。実際にスパイだったし」
寡黙な俺でも窮地には口がまわる。
「それが嫌ならば、俺が諭湖を救出して連れ帰る。彼女の部屋に連れていけ」
ハウンドピンクが俺を見つめる。
夜桜には性フェロモンが効かないから、アンチ性フェロモンも効かないと思うけど、念のため生身になるなよ。
ツインテールの女の子がふいに目をはずす。備えつけのクローゼットを開ける。
「お前が来なければ、私はこの部屋をでなかったと思う」
中から包みをだす。
「威勢良いことを言っても、泣いて過ごすだけだった。……本宮付き親衛隊のフロアは二つ下。私はお前に脅されて案内する。お前は私を脅して兄の形見を奪った。これに着替えろ」
包みからは、緑色の迷彩服。エリート戦闘員のコスチューム。
「お前は私を脅し、諭湖を人質に本宮を脱出する。――ついてこい」
着替えるのにちょっと手間取ったけど、与謝倉凪奈がドアを開ける。暗い廊下がひろがる。
***
「さすがだな。一定の力に収めるスーツなのに、レベル100以上の力がありそうだ。だが一言も喋るな」
言われたとおりにする。そもそも誰とも廊下で会わない……。ここは陸ではない。神奈川県ならば相模湖もあり得るが、おそらくは港に浮かぶ大型客船。謎に包まれていた本宮が明かされた。
狭い階段で二階下まで降りる。ドアが並びビジネスホテルのよう。初めて人に会う。私服の若い痩せた男だ。
「お嬢ちゃん、ここは親衛隊のフロアだよ。どこから来たの? お兄ちゃんとそこのお部屋に入ろうか?」
「私を知らないのか? ハウンドピンクだ」
「……ひっひっひっ、こんなかわいい子がね」
男は部屋に入っていく。また俺とハウンドピンクだけになる。
「人材不足だ。空き室が増えたから、最近は幹部補程度までここにいる。傷ついた者は癒されず、そいつらの力を強める餌となる。テロリストと同様に我々も追いつめられている」
与謝倉が一つの部屋の前に立つ。ポケットから鍵をだす。
「彼女は私のお付きだから、私が当然支配している。合い鍵だって持っている。……あの子は敵から見ても変わった奴だよな。普通の生活をしていたら接点などなかった。でも配下なんかじゃない。友だちだった」
ふいに涙をこらえる声。
子どもは善の固まりです。いつだかシルクイエローが叫んでいたな。中学生だってまだ子どもだ。二十歳の俺だって。
「お前は私が呼ぶまで入るな。誰も入れるな。いざとなったら変身しろ。倒したらすぐに解除しろ」
ハウンドピンクは俺が変身できないことを知らないまま部屋に入る。
相生智太であるエリート戦闘員は、緊張しながらドアの前で警護する。……兄の形見と言ったな。誰に倒された? 生身の体もか?
彼女たちはどうしただろう。俺は心に雪月花を思う。端末には通知も着信もなかった。というか圏外。覚悟はしていたけど、助けは来ないし呼べない。
暗い廊下の先から、若い男たちが三人やってきた。さすが布理冥尊、胡散臭そうな連中。俺をじろじろ見ながら行き過ぎかけて。
「この部屋じゃねえか」と立ちどまる。
「おい、ここに死んだ奴がいるのだろ?」
「お前は何だ?」
「俺は見張りをしている。中に五人衆がいる」
心臓がどっくんどっくん。
「なんだよ俺らの番だったのに。餌を横取りされたか」
「くそ。上には勝てねえしな」
男たちがとぼとぼと戻っていく。
「……連中で原理主義は彩りランドで死んだよな」
一人が立ちどまる。
「誰がいる? 俺たちを入れろ」
ハウンドピンクと告げていいのだろうか?
「……じつは門番がいる。ハイエナとコンドル」背中に汗。
「げっ。おい、戻ろうぜ」
「待てよ。ワシモーサさんはあのガキの護衛になったよな? さすがにそのお付きが死んで真っ先に喰えないだろ。殺したと疑われる。こいつは嘘を並べているぞ」
絶体絶命だし。……俺は心に銃を思う。現れたのはグレネードランチャーだった!
バゴーン!
反動はないけど、ド派手な音が廊下に反響する。
一人の顔面にクリティカルに直撃して消滅させる。残りの二人の手にマントが現れる。
バゴーン! バゴーン!
連射機能の意味もなく、今度は思いきり外してしまった。天井に当たった弾は吸われたように消滅する……。二人はさらに体に力を込める。パンダとコアラの異形が現れた。かわいいなんて思わない。
「うるさいぞ」
ドアが開き与謝倉が顔をだす。その手には桜の枝。
「ハ、ハウンド様」
パンダとコアラが背筋を伸ばして敬礼する。
「お前らは失せろ」
廊下に穴が開き、パンダとコアラが悲鳴をあげて落ちていく。
「服が汚れたので着替えさせた。背負ってやってくれ」
ハウンドピンクに続いて部屋に入る。
窓もない殺風景な狭い部屋。机には『導きの経典』とかいうタイトルの本が一冊。それと写真立てがあるだけ。今よりもう少し幼い与謝倉と諭湖が海外らしき観光地で並んで笑っている。口を開けて笑っている。
押部諭湖は眼鏡をはずして硬そうなベットにいた。シャツとチノパン姿。青ざめた寝顔。
よいしょと持ち上げようとしたら、軽々運べた。さすがエリート戦闘員な俺。
「私物は持たせない。私が管理する」
ハウンドピンクに続いて廊下にでる。
***
地下倉庫らしきだだ広い空間。テニスが四ゲームできそう。バスケットボールのゴールも置いてあるし。でも血の跡、すえた匂い。拷問室も兼ねているかも。
「ここが本宮の底だ。穴を開けるから、コールドレッドに変身して逃げろ」
ハウンドピンクが桜の枝を振ろうとするけど。
「端末を焼石に壊された。変身できない」
諭湖を抱えたままで言う。
ハウンドピンクがあんぐりと口を開ける。
「生身で助けにきたのか? ここは空だぞ。どうやれば逃げられる?」
西新宿の屋上で教えて欲しかった。
「神奈川上空?」
とりあえず私服に着替えながら聞く。
「いや。ハーバーランドにはしばらく就航予定はない」
……岩飛は筋金入りだな。尊敬すらできる。
「仕方ない。女どもがした方法を用いるか。私を抱っこしろ」
兄の形見を受け取った与謝倉が言う。
つまり……柚香が変身するのに便乗して茜音も転生した方法。俺も経験あるけど。
「無理だ。俺たちはレジスタンスだ」
布理冥尊と変身できるはずない。
「根は同じだろ。できなければ二人は終わりなだけだ」
同じ土から育った布理冥尊と本部……。
「だとしても、化け物失礼精霊になるかもしれない」
ハウンドピンクはちょっとだけ上目に考える。脱力するように与謝倉凪奈に戻る。服装とリボンと髪型が変わるだけだけど、目がちょっと温和になったかな。もっとかわいくなったかな。
「生身からなら大丈夫だ。は、はやく抱け。目をつぶっていろ」
女子中学生が頬を赤らめて背を向ける。その手に桜色のマントが現れる。
俺は優しく彼女を背中から抱く。目はつぶり忘れたけど――。
桜色の光に包まれる。
スカシバレッドが降臨する。
***
このまま百夜目鬼を倒しにいってやる! などとソルジャーな俺は考えない。任務はあくまでも奪還。
「見た目は変わっていない? 赤色はいつもと同じ?」
それでもスカシバレッドは敵である女に確認を求める。
「変わらずきれいだから、早く行け」
ハウンドピンクが桜の枝を振る。
「虚無の穴だ。彼女を本部にだけは渡すな」
「当然」
スカシバレッドはウインクを返して押部諭湖を抱える。
穴からは、地上から上がる噴煙、もしくは湯煙が見えた。本宮はふわふわゆっくりと動いている感じ。
「大涌谷?」
「だから神奈川ではない。この国を導くための呼称で、南温泉ランドだ」
つまり大分県。九州から飛んで帰るのはスカシバレッドでも自信がない。……おもいきりイレギュラーな変身だが解除できるのか? 相生智太に戻っても所持品は何もないぞ。
雪月花の端末があった。ミカヅキリムジンで快適に帰れる。安全なランドマークを確保したら連絡しよう。
最後に振りかえる。
「私を信じたお礼に、私は戦場であなたを倒さない。あなたが赦せざる罪を重ねてきたとしても」
それでも許す。
ハウンドピンクは背を向ける。
スカシバレッドも背を向ける。眠る諭湖を抱え、別府温泉地獄めぐりへと降下する。ワニを見ていく時間はないけど。
足に蔓が絡みつく。