完結 俺たちはレッドだった
文字数 3,485文字
それでも柚香はほぼ毎日来る。町田さんを断ったから、どうしても二人きりになる時がある。
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二月になってしまった。夢月がラッコのぬいぐるみを病室に置いていった。おまじないだそうだ。
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「レベルが120に落ちた住吉をようやく発見した。マントを引き渡すのを拒否したから、ハウンドとともに倒した。……過去のデータを処分することに決めた。二代目赤モスの画像もだけど、どうする?」
藍菜に三度目の見舞いで言われた。彼女は一人で来た。ボディガードも参謀もいない。
見たいけど。すごく見たいけど。
「破棄していただいて結構です」
もう前しか見ない。
「了解。それと、その言い方はやめよう。私はあなたの上司じゃないんだから」
細い目をさらに細くして笑う。
「分かった。そうそう、桧の留学費用をだしてくれる件、ありがとうな」
「いきなり変われるのかい。……あれは私の気持ち。それじゃあ退院祝いで会おう」
藍菜は来るなり立ち上がる。まだ夢月と桧を恐れている。右手のひらをこめかみに当てて俺に向ける。俺も返す。省みない女。格好いい。月の二人から逃げるけど。
『自分が尻を拭けばいい』
仲間だった俺を救うために、魔女もカラスも妹もライオンも端から倒すシンプルな作戦。やっぱり俺と相性良かったな。皆殺しリストには、抵抗した夢月も含まれていたらしいけどどうでもいいや。柚香は生かすリストだったみたいだし。そりゃモスの一員だから当然だ。
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「本部もあの団体も消滅したと見ていい。ずいぶんマスコミを賑やかしたけど、僕たちまで追いようがない」
夜勤明けの水原さんが来てくれた。過去のコードネームは仮面ネーチャーアグル。
「櫛引博士も退院した。先日会えた。記憶を失って大変みたいだけど、環境ボランティアは覚えていた。これからも地球のためにささやかに動きたいそうだ。……あの人が黒幕なんて、僕はまだ信じられない」
「俺もです」
あの人は善だ。行き過ぎた善だった。俺や夢月と同じなだけだった。
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「沖縄へ見舞いに行ってきた」
珍しく千由奈が一人で来た。
「あの方は予言がことごとく狂い、失意の底にいる。無害というより憐れだった。……三度目の死を与えたのはくじら雲。夏目さんが後継者であるはずないのにね」
最後の配下である焼石が世話しているそうだ。基地から追いだされないらしい。
千由奈はまた丸くなってきた。こっちのが健全かもなんて、俺はコメントしない。
寝ころんだままの俺をふいに見つめる。
「泣いていいか?」
「はい?」
「ずっと我慢している。すごく溜まっている」
彼女はすでに涙目だった。いろいろ背負ったままの十代半ばの女の子。
だとしても。
「千由奈が泣くのは隼斗の胸だ」
俺もたまには格好つける。
「あいつはどんどん大きくなる。俺が元気になったらさらに鍛える」
千由奈は涙を抑えられなくなって。
「あなたはいつまでも私のホットレッドだ」
それでも泣きながら笑う。
*
俺が退院した暁に、桧はアメリカに長期留学することになった。安堵する自分がいる。いつか気まずさが消えてくれたらいいけど、こればかりは無理かも。でも桧に何かあったら我が身に代えても守る。いつか代わりの人が現れるまでは、その言葉通りに。
母親は日本に帰ってくる。千由奈と湖佳はどこに住めばいいのだろう。決まっている。彼女たちで決めればいい。俺よりずっとしっかりしているのだし、見守る大人にも恵まれているのだから。人生をゆっくり決めればいい。俺もリハビリの時間だし……。それくらいで二度と気を失わない。俺はレッドだったのだから、歯を食いしばる。
精神エナジーがゼロになれば廃人になるのが、この程度で済んだ。あの子のおかげに決まっている。ありがとうスカシバレッド。
***
三月になってしまった。いいかげん退院してやる。歩けるようになってやる。
穂村から辛子明太子とモツ鍋セットが送られてきた。病室でどうすればいいのだろう。感謝だけして桧に持ち帰ってもらう。夢月は明太子を一本食べたそうだったけど。彼女も来週卒業式だ。とりあえず四月から俺の大学に通う。予定がころころ変わる。
「夢月さんはベッドに座らないでください。兄が狭苦しそうです!」
「はーい。桧ちゃんのおかげで智太君に戻れたんだから従うよ。さすがは私の妹ちゃんだ」
「籍を入れるまでは他人! お兄ちゃん! また明日来るからね!」
桧が病室をでていく。夢月の変わらぬ態度に怒るのは仕方ないけど……。桧とスカシバレッドが似ているとよく言われた。でも違う。桧は優しさと強さが重なった意志ある瞳。スカシバレッドはやさしさを強さで隠した眼差し……夢月がベッドから降りるどころか布団にもぐりこんでくるではないか。
「こんにちは……お邪魔だった?」
そんな時に限って茜音が初めて見舞いに来るではないか。
「妹さんとすれ違った。謝られたから謝った。泣いちゃった」
彼女はもう泣いていない。
「一人連れてきたけど、みんなには内緒にして。――夢月ちゃんだけだから、ほら、入りなよ」
「よお」と、焼石が顔をだした。
「今日は嶺真ちゃんを連れてきただけ。これから百夜目鬼さんは一人で過ごすって。……私だって相生と夢月ちゃんとたっぷり話したいけど、まだ心の整理がついてない。だから今日は帰るけど、はやく元気な姿になれよ。……じゃあね。ありがとう。これからもよろしくね」
心優しい参謀は来るなり去っていく。茜音も責任を抱えている。もう不要なのに。
病室は三人だけになる。
基本的には無口な二人。
「私からさあ、しゃべるのかよ。それとさあ夢月さあ、ベッドから出ろよ」
「やだ」
また静まりかえる病室。容態を観察されているみたいで居心地悪い。
「語り合わなくてごめん。焼石に従っていたら傷つく人は少なかった」
仕方ないから俺が言う。心で思うだけで充分なことを口にだす。
「私だってさあ、追いつめられるまで問答無用だったかな、どうかな。でもさあ、じっさいに難しいよ。言葉だけで分かりあえるなんて難しい」
「焼石の話し方かわいくて面白い。カラスになって、それで喋ってみて」
互いにマントを出しあう五秒前みたいな気がした。でも焼石は夢月へとにっこり笑う。
「夢月もさあ、焼石嶺真にやさしかったね。ヤマユには意地悪だったけど。相生もさあ、こっちのほうがいいって言ってくれたよね、どうかな、どうでもいいや」
その手に緋色のマントが現れる。
「もう精霊にならないよ。でもさあ、愛着がありすぎてさあ、自分で捨てられないんだ。だからどっちかが破って。そしたらさあ踏ん切りがつく」
ベッドへとふわり落とす。
「えー。だったら私もいらない」
体を起こした夢月の手に紅色のマントが現れる。
「破りっこしよ」
「やだね。二人ともさあ元気そうでよかった。茜音っちに誘われたけど、退院祝いに顔ださないからね。でもさあ結婚式は外から覗くかも。じゃあな」
焼石も即座に帰ろうとするではないか。
「焼石はどうしているの?」
その後ろ姿に尋ねる。
「舘林に帰った。親と過ごしている。きっとさあ、みんな暑くなるまでには再始動できる。……屋上でさあ茜音っちが待っているから」
ドアが閉まる。
懐かしの屋上か。あそこで俺たちは死闘を繰り広げた。
「人の力だと大変なんだよ」
夢月はマントを引っ張っていた。びくともしない。不燃性だし。……パートナーである夢月。彼女と合体していたらどんな化け物になれただろう。精神エナジーを失って絶対に見ることができなくなったいま思うのは、一度はしておきたかった。レジスタンス経由ならば、仮面ネーチャーラピスみたいに格好よかったかもしれないし。
まあいいや。俺たちはこれから生身で何度も合体してやる。そして、すごい男をこの世にだしてやる。男に決まっている。父母よりもすごい男に決まっている。
「退院したら一緒に破ろう」
それまでは俺が持っていよう。布団に入れておこう。俺たちがレッドだった証。
「うん」
夢月があらためて布団にもぐりこむ。
いまはまだキスぐらいしかできないけど。
「蘭さんの赤ちゃんも式に出られたらいいね」
俺は予行演習みたいに夢月のお腹をさする。
「うん。私も赤ちゃん産みたい。母親になるよ」
お姫様が微笑んでくれた。
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最後の最後までお読みいただきありがとうございました。
心から感謝申し上げます。