30 真なる男の立ち位置
文字数 3,546文字
巨大な異形と化したナマズラーガが笑う。
「くっ」
「ああっ」
前線の二人の美女が座りこむ。
地面への放電だ。離れた俺まで痺れる。生身だし、うまくないぞ……。それでもあいつは仲間がいるから加減している。
「二人では無理! バトンタッチだ。せいや!」
俺に抱きついたまま、またもやお祭り娘が現れる。こいつは電気が平気なのか? というか胸もとが開きすぎで……インナー着てないから……。
法被が彼女の肌に密着しやがったし。
「貞操シールドが発動した! 智太君がそんな目で私を見るなんて……。私も大好きです!」
押し倒される。電気で背中が痺れる。
「紅月。それだとレオフレイムと同じだよ。ちゃんと守れないならばバトンタッチして」
空に避難した深雪は怒りを越えて呆れている。
彼女とハイエナの直線上に、レインホワイトも緊張した顔で浮かぶ。デビュー戦が化け物相手――。
「浮かぶな!」
俺は叫ぶ。奴の狙いは、他を巻き込まぬ電撃。二人とも黒焦げに……。
ナマズラーガは紅月を睨むだけだった。
「貴様は私をなおも舐めるのか? 見るがいい」
巨大化したナマズラーガが天に手をかざす。
……西新宿の空気がよどんだ。フェンスになおも残っていたドバトが慌てて去っていく。
でも紅月は深雪を睨んでいた。
「いつもいつも私と智太君を……。最初の出会いから……。柚香もあの女に襲われて声を三度も漏らしたんだよ。智太君に言わないでって言われたけど言っちゃった」
小声でとんでもないことを教えた後に。
「邪魔!」
ナマズラーガに広げた手のひらを向ける。
カラスがカーカー逃げていく。
「…………この姿になろうと、まだ、全然、及ばないのか。なんて奴だ」
何かをしようとして何も起こせなかったナマズラーガに絶望が浮かんだ。
「ふん!」
紅月が体に力を込める。
「貞操シールドを壊しちゃいました。布理冥尊をみんな倒したら、精神エナジーでよろしければ好きにしてください。スーパームーンのままならば生理がないから、に、妊娠の心配ないし」
頬を思いきり赤らめる。なんて奴だ。
「痴女め! 馬鹿女め! 大馬鹿女め!」
タヌキじゃなくアナグマが吠えた。
「相生智太が穢れる、離れろ! たとえ大司祭長がお望みであろうが、悪しきお前など、我々の誰も受けいれない! 知能指数五歳児のお前など、迷惑なだけだ! 原理主義に喰われて消えろ! そもそもお前も原理主義か? 違うな。本能だけで生きている三歳児だ!」
もはや惑わしでなく罵倒――。
結界に包まれた屋上が荒野となる幻覚が見えた。向かいの高層ビルに巣食っていたハヤブサさえも飛んでいく。
紅月照宵が立ちあがる。正義でなき怒りのオーラ……。
「こ、ここはメインランド不夜城区のビジネスサイドだ。テロリストは一般人を巻き添えにしないがモットーだよな」
巨大化したナマズラーガが怯えだす。
紅月照宵は聞いていない。
ナマズラーガに体を向ける。両手で頭上に円を描く。
「まずはお前から、十三夜、十三夜、十三夜!」
ジャンボ機ほどもある紅い光が一点に集中し去っていく。
西新宿の空を飛んでいく。
「な、なんて奴……」
光が去った屋上に、しぼんだナマズラーガが立っていた。
「しつこい! 十三夜、十三夜、十三夜、十三夜、十三夜!」
再び紅色が去ると、ハイエナの異形は消滅していた。
離れた都庁から煙があがっている。さらに五つ紅い光が飛びこんでいく……。
「ハイエナが……、最強のはずのハンターが……。パック逃げるよ!」
「こ、こいつは地球人じゃないかも」
「逃がすか、十三夜、十三夜!」
紅色の巨大な光がアフガンハウンドとアナグマを包む。屋上出入り口の四角いコンクリートの建物が吹っ飛ぶ。
廃墟を後ろに、犬とアナグマが転がる。
「やめろ!」
俺は叫ぶだけ。
動物の姿をした女子中学生布理冥尊たちへと駆けだしたいけど、生身の俺では人質になるだけだ。
「それぐらいしろ」
俺は紅月に命じる。みんなに命じる。
「お前の結界はすべて消えたな」
白い深雪が浮かびあがり、黒神子と化す。
「お前たちのせいで紅月が……。今度は私の番だ。清め賜へ、囲み賜へ」
御幣を祓う。屋上が極上の結界に包まれていく。
「諭湖まずいよ」
アフガンハウンドは与謝倉凪奈の姿に戻る。手には桜の枝。
「虚無の穴」
彼女の足もとに黒い穴がひろがる。
「逃がせ」俺は女子たちに頼む。なのに。
「地を照らす光!」
レインホワイトが発する白い光が穴の闇をふさぐ。与謝倉たちは降りられない。
「お前はみずから時空移動できなかったな。追うのは得意でも逃げるのは下手」
黒神子の引きつった笑み。
「スーパームーン、五秒だけ待ってあげて。その間に降伏しろ。はやく終わらせたい」
西新宿下界の喧騒はいつも以上になっていく。
「もう終わりに……」
俺はお願いするけれど、誰も耳を傾けない。
「桜散れ!」
与謝倉が深雪と紅月へ枝を向ける。
「ふん!」と紅月は跳ねかえすけど。
「えっ?」深雪が消える。
「ふふふ。強制解除の術だ。雪はアジトに生身で戻された。追跡してや――」
「何をしやがった? 雪月花の雪を舐めるな!」
深雪は瞬時に戻ってくる。いまだスクランブルモード。……桜散れ。傭兵が言っていた奴だ。この技は危険。一対一だと逃れられないかも。
「……私こそ花と散る。諭湖は逃げて」
「お供すると言いたいけど……ごめんね」
アナグマの姿が消えた。と見せかけて。
――あなたの声は優しすぎて、昂った奴らの耳に届きません。
俺の耳もとでささやく。
――私が彼女たちを口説く言葉を教えます。あなたはその通りに――!
「タヌキめ智太君を惑わすな! 五秒過ぎたぞ。二十六夜!」
鎌のような紅い光が、俺のまわりを乱舞する。四方から中空に突き刺さっていく。
「ぐえっ」
穴熊パックが俺の足もとに落ちて姿を現しても、なおも紅色の鎌が襲う。
切り裂かれて茶色い雑巾みたいになったアナグマが痙攣しだす。
「
与謝倉凪奈の魂が叫んだ。
「耐えて! 死んだら原理主義の餌になるんだよ」
「
まじかよ……。押部諭湖である精霊が消滅しやがった。
……紅蓮の炎。すぐに掻き消せ。
俺に夢月への怒りなど毛頭もない。湧きあがるはずないから消せ。それより気づけ、俺。
餌だと?
「諭湖は喰われるのか?」
仲間に。
うずくまる布理冥尊に尋ねてしまう。
与謝倉は唇を噛み、すぐに立ちあがる。
「精霊の力を失いレベル100以下になったものは、力足りぬ原理主義どもに生身を捧げる。聖戦のために手段を選ばぬ愚かな者どもと笑え! 貴様らがそこまで追いつめた」
俺へと歩む。
「与謝倉凪奈……、本名は千由奈か。散りたいならば犬の姿になれ」
深雪が俺の横に降りる。
「都庁の件は貴様らの仕業だ。責任をとってもらう」
神楽鈴を一度鳴らす。
それでも与謝倉は俺のもとへと歩く。
サイレンが聞こえる。どうでもいい。
「その姿を傷つけるのは辛い。犬でも同じだけど……。お前のボーナスポイントは焼石嶺真に次ぐんだよ。ハデスブラック以上のお尋ね者」
レインホワイトも屋上に降りる。蒼白な顔のまま。
「……月。あり得ないよ」
ハトだけが能天気に屋上へ戻ってくる。早くもヘリコプターが飛んでいる。こっちになどカメラを向けるはずない。
そんなことはどうでもいい。
「誰も死んでないよね? ……柚香が言うとおり、お前たちのせいだ。降参しろ。それが嫌なら」
やや青ざめた紅月もヘリコプターから顔を戻す。
「柚……深雪とアメシロちゃんが見なくて済むように、私が消滅させる。一瞬で。完全に。苦しませもせず」
布理冥尊への怒り。正義の怒り。……夢月への怒りをこらえる。
竹生夢月なんかよりも、忘れかけていたけど、このピンクのリボンの女の子こそ九州管轄壊滅の主犯。罪もない家族もこいつのせいで。傭兵の生き残りを生身のまま……。
どうだっていいだろ!
俺は与謝倉に言葉を伝えたい。喉まで来ているのに、声に出来ない。
「諭湖の残滓を、追跡開始」
ぽつりとした声。穴熊パックが消えた地面にホールができる。
「ここで死ぬのならば、友を助けて殺されるも同じ」
与謝倉の体がアフガンハウンドになる。
気品ある犬がホールへ飛びこむ――。
「二十六――」
「よせ!」
紅月の手をはらう。
「俺も救いにいく」ようやく言えた。「柚香、茜音、後は頼む」
俺はハウンドピンクに抱きつく。その陰影のように貼りつく。五本の爪でしがみつく。
「私も行く!」かぐや姫が俺の足に飛びつく。
滅びの光……。
「俺だけだ!」
「きゃあ」
蹴り返す。
俺はピンク色のアフガンハウンドとともに時空に飲みこまれる。