42 黒幕博士
文字数 2,892文字
こいつが諸悪の素だった。こいつがラスボス……。
「博士のおっしゃることに、まったく賛同できないですけど……蘭に連絡させてください」
深雪の手に端末が現れる。
「お前たちは二十歳前後。頼る深川でさえ、いまの概念では若い母親だ。しかし歴史は若者が作ってきた。歴史に名を残す支配者は、その年には覚悟を決めてい」
「ジジイうるさい! いますぐスカっちを智太君に戻せ」
夢月の絶対正義の論理がさく裂した。
「博士は生身だよね。盾をしてないよね」
深雪がすかさず言う。
「博士がおっしゃる話は、誰も興味ないと思います。むしろ軽蔑します。でも、スカシバレッドを相生君に戻せるならば話をうかがいます。そしたら蘭にも黙っておきます」
「そのために私を求めたのか? よいか、精神エナジーは中身も強さも一つ一つ違う。私にもその強い力がある。言葉遊びで例えるなら、“夜空”と“儚”だ。その力をお前たちは報酬という形で受け取っている。私の力はそれだけだ」
……えーと。勿体ぶった言い回しだけど。
「つまり、あなたでは私を相生智太に戻せない?」
スカシバレッドは単刀直入に聞いてみる。
「私は宇宙ではない。あくまで夜空だ」
「戻せないってことですね?」
「そしたら殺すか? だが私は逃げる。肩入れすべき別の者を探す」
博士は顔色を変えない。
「たとえば世界的な組織。昨夜の君たちのおかげで、あそこも精神エナジーの存在を認」
「朔!」
かぐや姫が叫ぶ。そうだった。まずは拉致。
なのに博士は消えない。
「おのれへと実証を何度か重ねた結果、私は実体であって精神エナジーでもある。『朔』と名付けられた事象でも、私を時空の狭間へ拘束できない」
その手に端末が現れる。
「せいや!」
本堂が紅色に包まれる。
「スカっちを智太君に戻せないならば」
「戦いは君たちに任せる。私はその後を見たい」
博士が消える。
俺は春木千由奈を思う。猟犬の特性。彼女がいたら博士を追跡できた。
「蘭に教える。これこそみんなに知らせないとならない」
深雪が真なる正義の面持ちと化した。
「お願いします。私は本部を襲撃します。頼りになる人を取り戻す」
「なに言っているの? おとなしくしていよう。私と夢月と一緒にいれば、智太君は守られる。そして……違ったね」
深雪が二人を見る。覚悟の眼差し。
「何度も守ってくれた二人のために、ここからは私だけ戦う。一人ずつ閉じこめて血をすする姑息な正義……それでも正義だ!」
その手に端末が現れる。
「離脱」
「スカっち追うよ」お祭り娘が抱きつく。「敵前逃亡!」
「なんで?」
ユニットバスルームから現れた二人を見て、柚香が驚いている。子猫の瞳。
「柚香が拷問している時にトイレでちょっと寝ちゃった。柚香を守るために」
夢月が不敵に笑う。
「私が戦うよ。柚香が智太君を守って」
「三人で戦いましょう。本部を叩いてハウンドピンクが戻れば四人です」
スカシバレッドも不敵に笑う。
「だから君を永遠の闇に閉じこめないために……。みんなで守りあい戦おう」
柚香はあきらめ笑いをする。
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「でもレオフレイムを倒すのだけは気が引ける」
レアシルバーとアギトゴールドを粉にした深雪が言う。
「彼女はお世話になった人や仲間の仕返しのために、本部で待ちかまえている。たぶん私たちが全面的に悪い。謝ったところで許してくれるはずない」
三人が乗るミカヅキリムジンは眼下の東海道新幹線に追い越される。それでも窮屈な音速には乗りたくない。……穂村とも戦いたくない。半端な心じゃ勝てない。愛する人に丸投げしたい。
「姫りんがレオの囮になる。私と深雪が兄妹二人を連れだす」
「やだ。私が犬ころを朔する」
「本部も二人いるよね。きっと強いよね」
深雪が言う二人とは、ハゲの住吉と偉そうな宗像だ。『レベル100以下ですのでスカシバーニングクラッシュはやめてください』と頼まれそうもないほどに強げなオーラであふれていた。
「奴らは馬鹿じゃないよ。最悪を考えておこう。――朔で奪われないように、ハウンドと兄には精霊の盾をまとわせると思う。その上で人質にする。ハウンドは泣きながら、本部の力を増やし私たちの力を削る。そしてレオフレイムが興奮しだして暴走する」
柚香がいてくれてよかった。俺と夢月だけならば、強襲するなり『敵前逃亡!』していたかも。さらにはアフガンハウンドに泣きながら追跡されていたかも。
「深雪が結界を張って時空を凍らせる」
かぐや姫が振り向く。
「五秒でいい。私が片付ける」
「どうやるの? 具体的に教えて」
「やだ」
「十五夜?」
「……うん」
「だったらその作戦は却下だね。……月明かりより頼りにできたのは木畠。彼女が先頭で戦っていたら、殴りあいじゃない正義を見せていたかも。そしたらヤマユも裏切りなんて……今さらだね」
俺は茜音にボコられている。しかも精霊の姿で生身をだ。用法が正しいか知らないけどまさにジェノサイドだった……としても、茜音がとどめを刺すまで戦う姿が想像できない。だからこそ、レインホワイトよりキバタンのが似合っている。
そして現実として、残された正義の手段は少ない。
遠い山脈。振り返れば白い富士山が見えた。おぼろな陽は西に傾いている。だらだら進んでいるのに愛知に入ってしまったぞ。
蘭さんは『じっとしていろ』しか言わないので、じっとしている振りをしている。なので彼女にアドバイスを授けてもらえない。モスとは連絡取れない。相生智太に戻ったらスマホを買い替えないと……。
恐ろしいことに、(永遠の闇よりは)スカシバレッドのままでいいやと、たまに思ってしまう。俺は親友も彼女もいなかったけど、この二人と異性の姿で接するのが意外に居心地よくて…………戦いなんか投げだして三人でどこかに行っちゃおうかなって思ってしまう自分がいる。実行するはずない。夢月も柚香も、智太君のために戦ってくれているのだから。何よりも相生智太は相生桧のために戦わないとならない……けど、怒っているだろうな。
両親を亡くしてから、妹は感情を爆発させない。でも、ごくたまに怒ると極めて怖い。簡単には赦してくれないのも知っている。高校時代に女子を部屋に連れ込んだぐらいでだ!
「臥龍鳳雛って何だっけ?」
姫がふいに言う。
そうだった。櫛引博士は俺たちを見て、『この女はまだ雛のまま』と言った。夢月がヒヨコなのは否定できないけど、博士から見てもやはり俺は目覚めたらしい……。俺が守るのだから夢月は幼いままでいいや。あんな悪人の言葉などに悩む必要はない。
……でも、博士が悪に感じられない。いい人じゃないけど、むしろ善――。
「えっ?」
かぐや姫が夢月に戻った。
「なんで」
巫女が柚香に戻った。
ミカヅキが消える。
二人は悲鳴を上げながら落下していく。
「おああああ!!!」
スカシバレッドは必死に飛ぶ。二人をそれぞれの手に抱えるけど。豊橋辺りの枯れた田に着地するけど。
俺は心に雪月花を思う。その手に端末は現れない。
柚香の言ったとおりだ。たしかに俺達は櫛引の掌中にいた。