05 第三の女、第四の女
文字数 4,245文字
ようやく藍菜から折り返しが来たと思ったらお怒りだ。
「春日が桧の擬態をした。妹の無事を確認する。何かあったら、その足で本部に行く。場所は教えてもらう」
『話を聞く限り、智太君の態度こそ失礼極まりない。これ以上の騒ぎになると叛逆者扱いに――』
うるさくなりそうだから電話を切る。
今後は桧と二十四時間離れない。なんて無理。だとしても妹に危害が及ぶを避けねばならない。九州管轄は親族も冤罪で捕らえられたらしい。ましてや俺は猟犬や虎に顔を見られている。穴熊パックには名前さえも――。
そいつらは布理冥尊だけど、春日は仲間であるレジスタンス。俺の個人情報は俺より知っていそうだ。
親族の顔を見せたのは、歯向かうなの脅迫だ。桧だけでなく母も、近所で健在の祖父母も、小平市で健在の母方の祖母も、飼い猫のクロ子さえもやばい立場になる。
でも俺は正義を貫く。人質を盾にするのは悪だ。つまり春日は悪だ。脅しに屈さない。仮に俺が奴を痛めつけてたとしても、正義の中枢である本部は理解してくれるに決まっている。
とかしていたら高校に到着してしまった。
我が母校は、スマホ持ち込みをいまだ禁止の世界遺産だ。……妹を『祖母が危篤です』で呼びだしてもらうか。そんで無事を確認したら、駅前のカフェにでも一緒に行くか……。
体育の授業の女の子たちが道の向こうから走ってきた。競歩大会の練習だ。
懐かしいな。俺は一年生のときだけ全校一位だった。二年のときは怪我した先輩を看護して、三年のときは倒れた下級生を背負って引き返したよな。
スマホが振動したけど藍菜だからでない。雪月花の端末は静かなまま。
先頭で駆けてきた女の子が、校門にいる俺をちらり見る。よろめき倒れる。次の子も俺を見るなり足から崩れる。女子高生が回転寿司みたいに次々と俺の性フェロモンを浴びていく……。
目薬の効果が切れていた。今さらポケットからだして点眼するけど、校門前には汗ばんだ女子高生が山盛りになってしまった。
私服の若い女性が校内から現れた。意識ない女子高生たちを口をあんぐり開けて見ている。ついで俺の存在に気づく。困惑した顔になる。……この人は知っている。
見知りすぎた顔。でも何かが違う。その女は反対側の歩道へと去ろうとする。
「逃げるな!」
俺の怒鳴り声に女が立ちどまる。気絶していた女子高生たちがびくりと目を覚ます。
「みんなどうしたの!」
桧の声がした。
「お兄ちゃん! どうしてここにいるの? それより何が起きたの?」
桧は、足を引きずる女の子に肩を貸してあげていた。体操着がよく似合う。棒立ちしたままの美女を追い越し、俺のもとに急ぐ。
みんなは熱中症で倒れたみたいだね。お兄ちゃんは熱冷ましの目薬を三個持ち歩いているから、みんなにさしてあげよう。桧も手伝って。そこの人もお願いします。
俺は嘘を並べながら私服の若い女をにらむ。妹は信じないまでも受けいれて、体操着の少女たちに二回ずつ点眼していく。
「せっかくだから早退しよう。お兄ちゃんとデートしよう」
「えっ? ……お兄ちゃんから誘われるなんて。だったら、お婆ちゃんが危篤ですと言ってくる。五分だけ待っていなさい!」
目薬をさし終えた桧が校内へ駆けていく。女子高生たちは俺を見なおしたあとに、首をかしげてまた走りだす。
俺は美女をにらむ。黒髪のミドルヘアに紺色シャツにデニム。でも顔はスカシバレッド。でも微妙に違う。あの子のかわいさ美しさを外面だけで真似できるはずがない。
「諭湖だな。その姿からすぐに戻れ」
「それより今のはなんですか? あなたは生身でも精霊の力を使えるのですか?」
「その子の姿をやめろ!」
種明かしなどする必要はない。
「ビキニ姿を経由するので、ちょっとお待ちください」
偽スカシバレッドが校門の内側に消える。
しばらくして、黒髪を後ろに結んで眼鏡をかけた地味私服の女子中学生となって現れる。
「一瞬で私と見抜くとは、ああ二人の愛がここまでも深いとは。ここにいたことに他意はありません。今日はひさしぶりのオフなので、あなたの母校と妹さんの見学に来ただけです。……従妹である美女との同居。おお。あなたはどこまでも数奇な運命に翻弄されるのでしょう」
この怪しすぎるストーカーにこそ目薬をさすべきだ。でも現実の俺を知った途端に、俺の個人情報は布理冥尊に流れるだろう。桧だって存在どころか境遇も知られているし。
「学校は? 夜桜は?」
「私と凪奈は、とある有名中学に在籍しています。出席しなくても高校も大学もエレベーターで卒業できます。……凪奈の所在は極秘です。お互いにその辺を詮索するのは建設的でありません」
「お兄ちゃん、お待たせ! ……その子、見覚えある。家の前にいたストーカーだ」
制服に着替えた桧がやってきた。諭湖をにらみながら、俺の腕に手をまわす。
「心外です」と諭湖が笑う。「私はあなたの大事な人を傷つけるつもりはございません。なので教えてください。この精神エナジーの塊の、テロリストでのコードネームを」
俺と桧が「「はあ?」」とハモる。
***
諭湖を追い払えず、まさかの三人でカフェに入った。二人を座らせて紅茶を頼んでから、店の外で清見さんに電話する。いきさつを伝える。
『身内に擬態しただと? あの本部の人間は鼻持ちならなかった。お前にペナルティが処されるとしたら、私や陸さんが全力を挙げて抵抗する』
安堵より申し訳ない心が湧いてくる。
「ありがとうございます。チーム編成はどうなりましたか?」
『藍菜が描いた図面とおりになった。お前は仮面ネーチャー。雪がモスガールジャー。月は単独で“紅色戦士スーパームーン”を名乗るらしい。本部のガーディアンは絶対にしないとさ。……布理冥尊の娘には媚びるな。早く切り上げろ。おそらくお前よりその女子中学生のが賢い』
俺はお礼とお詫びを言って電話を切る。次いで雪月花端末を心に思う。柚香へと連絡する……。ロックされていた。夢月に……連絡しない。すでに学校に戻っただろう。
追い出せみたいに清見さんは言ったけど、俺は諭湖から、すなわち布理冥尊から聞きたいことがある。
「諭湖ちゃん。今日もかわいいね」
だから媚びながら桧の隣に座る。
「その手の冗談は嫌いです」
ぴしゃりと言われる。
「あなたが悪のテロリスト。私は善なる護教隊。年齢も立場も違う二人の悲恋に協力してもらうために、妹さんに打ち明けました。でも妹さんは信じないし受けいれませんでした」
「この一月ぐらい不審な点だらけだけどさ」
桧がなんとかティーを飲みながら言う。
「お兄ちゃんは正義の味方でしょ。どっちかというと、
善である桧は、俺が絡むと人間性が変わる。甘そうな飲み物のクリームを混ぜる布理冥尊親衛隊のこめかみがひくつくほどにだ。
「俺は妹から精神エナジーを感じない」
話題を変えよう。
正義の味方になってからは、隼斗や芹澤、雪月花からはもちろん、陸さんや茜音からもエナジーを感じるのに。町歩きしていても、見知らぬ人からもたまに。
「こんなにも強烈なのに? それは、つまり」
諭湖がにやつく。
「彼女は完璧なまでに正義のエナジーである証です」
当たり前だろ。
それよりも、今日の日に諭湖に会えたことが運命だとしたら、それはこの質問のためだ。
「原理主義について教えて」
桧がいようがかまわない。
「代わりに情報をやる。本部の一人は春日。偽名かもしれないが擬態できる」
「……おそらく奴ですね。そいつはテロリスト幹部でも末端でしょう。でも存在の確認が取れたことは大きい。
原理主義とは教義に関しての主義主張が違う一派を示していました。彼らは知っての能力を持つようになりました。私や凪奈は大司祭長の教えこそがすべてですが、その教えをねじって解釈する輩もいるわけです」
いきなり抽象的というか難しいぞ。俺は中学生相手に分かった振りをしてうなずく。
「焼石も原理主義か?」
「彼女や蒼柳は中庸派です」
蒼柳? ウィローブルーのことか。スカシバレッドをいやらしい目で露骨に見た五人衆。言霊の使い手。現在の推定レベルは195。
それよりも。
「中庸ってなんだ?」
「はい?」
ざっくり説明を受ける。要はどっちでもないらしい。
「諭湖や焼石は例の行為を認めているのか?」
「中庸派は容認しています。でも私たちは嫌悪します」
いい中学生じゃないか。ならば戦場で穴熊パックと会ってもゆるそう。ハウンドピンクも。そんな訳にはいかないけど。どちらも抹殺対象だし。
「奴らを見分ける方法は?」
「それは有名すぎるでは?」
諭湖がストロー経由で口を潤したのちに。
「櫛引博士は、原理主義である証をネガティブな漢字一文字で表現しました。先日あなた方が倒したオーガイエローの痴や、ジェットゴキの嫌などです。原田大幹部の幻は微妙でしたな」
俺は蘭さんのマンションでの会話を思いだす。俺の陰。夢月の惨。陰惨。
俺は春日の声も思いだす。俺と夢月は原理主義……。
「私たちは味方の特性は分かりますが、テロリストのものは知り得ません。あなたたちが宣伝のために伝える龍や鳳凰、胡蝶蘭、勇魚、獅子ぐらいです。……あなたの特性は龍以外に何ですか? 誰にも言いませんので教えてください」
「……龍だけ。紅月は鳳凰だけ」
事実を言えるはずがない。
「お兄ちゃん、私はやっぱり学校に戻る。……そろそろ解散して」
桧が立ちあがる。背を向けるなり歩いていく。哀しげな後ろ姿。
妹の存在を忘れるほどに諭湖との会話に没頭していた。追いかけたいけど……。
「たしかに潮時ですかね。夜行性のハイグレードやエリートがそろそろ活動を開始します。見かけられるまえに別れましょう」
「もう一つ教えて。原理主義全員が人喰いってわけじゃないよな? ウラミルフのように」
「意図的にその行為に及ぶ者もいますが、多くはレベルが上がるにつれ欲望に呑まれていきます。落窪はおそらく戦いからも逃げました。堕ちぬためにですな。
きっぱりと言えば原理主義は全員が人喰いです。人のエナジーを襲うために、おのれのエナジーが強まった肉食動物です。それこそが原理です」
桧を追いかけたいのに立ち上がれない。