38 秋深まる
文字数 2,319文字
「いずれ目覚める」
櫛引博士が彼の瞼を広げたあとに、モスのメンバーに言った。茜音や藍菜までいるから部屋が窮屈なぐらいだ。
「この人が立ち直れるのなら、俺も頑張らないとな。無理だろうけど」
初めて見舞いに来た紗助君が卑屈に笑った。
博士の言葉に安堵した柚香はもう清見さんの手を握らない。俺の手だけを握る。
「オウムに聞いた。一人きりになるんだよね」
見舞いの帰りに柚香が見上げる。
「寂しくなる? そしたら遊びに行ってあげる。へへへ」
***
十一月になってしまった。さすがにテントだと明け方寒い。
『いきなりで悪いが日曜に体を貸してくれ。横浜での私と吉原の結婚パーティーに参加させてやる。しかも会費もご祝儀も不要だ』
火曜日に蘭さんから連絡が来た。
「中華街ですか?」
『小洒落たホテルでやる』
「柚香と夢月も呼ばれていますよね」
夢月の着ていく服選びに付き合ったのを思いだす。俺のスマホで写した彼女の二枚は、背景が歪むほどに勝手に盛りやがって劣化している。……渋谷でフォーを食わなければ、彼女は単身果し合いに向かっていた。一人で端から倒したかもしれないけど。生身で十五夜だされたら、リーガルエボニーでも打つ手がない。
『席は彼女たちと離れているがな。あの子たちも式には参加させない。披露宴だけだ。常に変身できる心づもりで来い』
「……現れるのですか?」
『万が一だ。お前も偽名で参加だがいいな?』
あの二人も偽名ということか。了解ですと答える。用心棒ぐらいいくらでもしてやる。布理冥尊で残るは百夜目鬼と焼石……。一般人だらけのパーティーを襲うのだろうか? でも胡蝶蘭は何かを感じている。
つまり披露宴が終わるまでは一段落つけない。
***
「お兄ちゃん! 日曜日は引っ越しでしょ!」
そうだった。パーティーは正午から。
「荷物は宅配で送るから、男手は不要だ」
「そうですな。そもそもぼーと立たれていても邪魔でございます」
中二女子たちはしっかりしすぎている。すでにテレビも冷蔵庫も洗濯機もあるらしいし、それで家賃が電熱費水道代管理費込みで月五万円とは、絶対に裏がある。というか藍菜が花鳥風樹にやらせたいことは知っているし。俺はソルジャーだから口出ししない。話を聞いた彼女たちが決断すればいいだけだ。
自室だった部屋を久しぶりに覗く。岩飛の私物は皆無といってよかった。ここに来てから買い足した衣類や下着ぐらいらしい。
岩飛は藍菜から支給されたスマホの設定をいじっていた。
「あと五日ですね。それまで一緒に寝ますか?」
「俺の代わりにテントで寝ていいよ。スマホは、夢月にお願いすれば傍受を解除してもらえる」
「面倒だからいいっすよ」
古巣のアジトから思わせぶりな態度で立ち去った岩飛は、湘南新宿ライン経由でこの家に戻った。スカシバレッドは少し感傷的になっていた。彼女は明日から『昼は蝶』で働く。こっちは一段落だ。
***
木曜日、俺は都庁近くの高級そうなホテルに行く。高級そうな部屋で、本部の連中が三人待っていた。
「
喚問の際に中央で威張っていた五十ぐらいの男が言う。
「
五十ぐらいの女が醒めた目で言う。
「偽名ですかとか、分かりきったことは聞かないでね」
「
四十ぐらいの几帳面そうな眼鏡の男が言う。
「気にいらなくても帰らぬように」
先回りされてしまった。四人掛けテーブルの残った椅子を勧められる。会釈して座る。
「お前だけを呼んだのは、まずはお祝いだ。レベル200オーバーおめでとう。これで相生もようやく戦士と呼べるな」
宗像が言う。
「ご褒美に報酬を変えてやる。望みを言え」
「そんなことができるのですか?」
警戒露わに来たのに、早々に食いついてしまった。
「できるから言ったんだ。私たちから頼めばな」
諏訪が神経質そうに言う。
「代わりにお前は本部直属になれ。お前が去れば、夏目藍菜の目は覚める」
……筒抜け。何のことだか分かりませんと答えるべきか。
「俺はモスガールジャーだけで戦い続けます。今後は報酬はいりません。性フェロモンがとんとんに戻ったらですけど」
怖くて試していないけど、女性の敵フェロモンもだいぶ減っただろう。
「レベル201が生意気だ」
隣の部屋から五十近いハゲが現れた。
「俺たちのレベルを知っているか」
201だと? ぎりぎりレベルオーバーじゃないか? そりゃ偉そうな態度は取れない。だとしても。
「あなたたちのレベルなど知る必要ないです」
俺は立ちあがる。
「それより夢月のレベルを教えてください。彼女のも分かっているのですよね?」
四人の大人たちが黙りこむ。
「櫛引博士が布理冥尊に教えた技術だと、レベル250まで計測できるはずだけどね」
熱田が腕を組む。
「あの子は化け物になった。大司祭長ほどのモンスターだ」
「彼女を化け物と呼ぶな!」
怒鳴ってしまった。
「それに、櫛引博士が奴らとつながっているというのか? ふざけないでください」
かろうじて敬語に戻せた。
「なにをいまさら。うすうす感づいただろ」
諏訪が呆れ顔を向けやがる。
断言できる。まったく感づいていな……同じ土から育った敵味方。
「博士は知の探究にしか興味がない。すべてが終わった時に、あの人にも退場してもらうかもな。残るのは我々だけでいい。それに君も加えよう」
宗像が俺の目をじっと見る。
「竹生夢月は怪物だろうが、犠牲を厭わなければ倒せる。……本部直属になる件は、よくよく考えておけ。夏目やガイアに相談すべきかもな。――
「ああ」ハゲも俺をにらみながら言う。
俺は部屋を出る。一段落はまだ遠い。