02 夜は蛾
文字数 3,537文字
手にした運動靴を玄関に置いて戻ってくる。妹は帰宅に転送システムを使うこともある。
彼女たちは花鳥風樹専用端末を本部から支給された。これでハウンドピンクも戦地から離脱できる。スパイウェアは夢月により除去済だし。
「自炊を続けている。昨日は肉野菜炒めを作った」
妹へと答える。桧はかわいいままだけど、おとなびていく。強い眼差し。
「さぞおいしいでしょう。私たちがいた時も食事当番をなさればよかったのに」
湖佳は俺の言葉尻をとるのをやめない。習慣になっている。その隣に桧が座る。
「私と湖佳と智太さんで、山形の温泉各所を叩きつぶすことになった」
千由奈が微妙なニュアンスで桧へ告げる。
「はあ? 週末だったら私も行ける。あの女と二人きりなんて嫌」
妹が思いだしたように俺をにらむ。
桧が言うあの女とは、俺の正式な彼女になった夢月のことだろう。
「トビーもいる。それに、二人はともに守りあわないとならないだろ」
必ずテーブルに置いてあるお菓子に手を伸ばしながら千由奈が言う。
……この子は少し太ってきたかも。あいかわらず五時に寝て十二時に起きる生活に加えて運動不足。深夜でもいいから表で身体を動かさないとなんて、思考を脱線させない。俺は目覚めたはずだ。
「桧も夢月も俺の一番大事な人だ。助けあって欲しい」
この話題は地雷だけどきっぱりと告げる。
「……ふうん。着替えてくる」
桧が自室に戻る。やっぱり地雷だった。おそらく俺がいる限り顔をださない。冷血な俺がいる限りは。
「俺も帰る。新幹線と宿の手配はよろしく」
俺も椅子から立つ。夢月は待たない。あの学校でも見逃すことができない成績と授業態度と出席日数の彼女は、補習の嵐の只中だ。
「東北にはバイクでいかれないのですか?」
湖佳が言う。スカシバイクもここの地下駐車場に無料で置かせてもらっている。
「これからは集団行動する」
端末さえあれば、いつでも赤いバイクのもとに転送できるし。
「端末さえあれば、いつでも赤いバイクのもとに転送できるしとでも思っているのでしょうね」
湖佳も別室へと去っていく。
「智太さんもここに転送ポイントを作ればいい」
千由奈が言うけど、女性だらけの家に自由に侵入できるのもあれだ。
玄関で見送ってくれたのは彼女だけだった。なんだか俺の味方は、生死をマジで共にしたハウンドピンクだけ……。そんな予感がするはずないけど。
アラームが鳴ったので目薬をさす。
***
なんだか切なくなってしまい『昼は蝶』に寄ってしまった。閉店間際の十八時。陸さんたちは夜の招集に備えだす。
「レッド、コーラです!」
芹澤が、一般将兵が
陸さんと岩飛はボックス席で爺さん二人の相手をしている。俺には「いらっしゃいませ」だけ。当然の態度だ。俺たちが裏稼業でつながっていると知られるわけにはいかない。セット料金を払ってないし。
「芹澤は週末の話を聞いた?」
「いいえ。北温泉ランドの件ですか?」
「直立不動だと怪しまれる」
「では、隣に座らせていただきます」
あいかわらずジーンズ。陸さんは「それがうけます」と言っていたけど、きれいな格好をさせた方が人気がでるに決まっている。ママは彼女に気をつかっている。
「芹澤と夜桜とアナグマと俺が参加する。……キラメキのいまのレベルは?」
「78になりました。スパローは107です」
順調かもしれないけど新参チームの花鳥風樹は、
ハウンドピンク レベル187
穴熊パック レベル106
南極トビー レベル108
ローリエブルー レベル135
全員が100オーバーだ。ランク付けシステムは立ち消えしたけど、おそらくはAランク。じきにSランク。パックも中二で親衛隊をしていただけあってレベルのリカバリーが凄まじい。それより何よりローリエブルーの伸びはスカシバレッドを凌駕しているかも。トビーは伸び悩みだしたけど。逆ドント方式とかいう小難しいことをしているので、レベル最上位のハウンドはあまり伸びない。
このチームの弱点はファイタータイプが一人だけ。つまりローリエブルーは常に先頭で戦わなければならない。続くのが無駄にでかいペンギンでは心もとない。
「遠征の件は司令部から連絡が届くと思われますので、教えいただかなくて結構です」
芹澤が俺のぼおーに気づいて言う。
「近ごろ貴殿を悪くいう者がいます。私にあの女をぶん殴る許可をいただけますか?」
芹澤は報酬のおかげでどんどん心が強くなっている。昔の面影が消えたというかキャラが変わるほどにだ。とにかく芹澤が言うあの女とは、チームの上官であり三歳年上の茜音。藍菜は今回の色恋沙汰に何らコメントしない。あいつはドライなほどすべてに寛容だ。布理冥尊と本部以外には……。
まだ千由奈の他にも俺の絶対的味方がいたわけだ。いつまでか知らないけど。
「俺が悪いのだから言われて当然だよ」
「私はここでお客様のカラオケを聞き学びました。痴情のもつれなど正義の戦いに比べれば小さいものです。それに、貴殿は最善の選択をしたと思います。同じチームの一員でもあえて言わさせてもらいます。腐れと呼ばれる人より夢月さんのが貴殿にふさわしい」
柚香をそう呼ぶな! などと怒鳴る権利は俺にはもうない。
「帰る」なんだかさらに気が重くなった。夢月に会いたい。
なのにドアのチャイムが鳴った。
「こんにちは、ちょっとだけ寄らしてもらいます……」
真面目そうで長い黒髪。まじかよ。本部の三十路女が入ってきた。カウンターに座る俺に目をとめる。
「どうしてもって人がいるからさ、俺らはその付き合い。なので宗像さんのボトルだしてもらえる? 本人に承諾済……」
刈りこんだ頭髪の長身……本部の三十路男だ。こいつも俺に気まずい顔を向ける。
「出雲さんと霧島さん、連絡くださいよ……」
陸さんが立ち上がる。女が出雲で、男が霧島だったな。
「なんだ。負け犬がいるじゃないか」
最後に本部のハゲに入店してきた。こいつは住吉だ。俺を見て笑う。
「こちらにどうぞ。俺はちょうど帰るところなんで」
こいつらと同じ部屋になどいたくない。
「見事な活躍でした」
いきなり出雲が俺へと敬礼した。
「あなた以外では勝てなかった。そう思っている」
「俺は、奴らに敗れて正義の戦いを終えた。那智さんみたいにまた前線を志願しても昔のようにはいかない。だが君はまだ若い。これから始まりだ」
霧島が俺へと手を差しだす。がしりと握手される。
いい人たちじゃないか。今後は心の中でも
そしてこの
「横柄な口がきけなくなったからと逃げなくていい」
ハゲがボックス席に座る。
「そうそう。雪を捨てたらしいな。弱くなるなり月に媚びたか。救いのない卑劣漢だな。――芹澤はこっちに来なくていいぞ。内密な話をするし、お前が横に座ってもつまらない」
陸さんと岩飛が心配そうな顔を向けている。先客の爺さんたちは気にもせずに内輪話をしている。
俺はなにも言わずに店を出る。たしかに俺は負け犬だけど、龍になれる。
***
『勉強で疲れたので、カラオケか智太君の家に行きたいです』
池袋駅で夢月から電話があった。
『セ、セックスはしなくていいけど、キスぐらいしたいです。あっ、智太君がしたいなら、ぬ、脱ぎます』
音声が漏れてないか周囲を確認してしまう。
殺された夜、二人は精神エナジーが枯渇した状態でお互いの人肌を求めあった。勢いで及んでしまったので心配したが、夢月は安全日のまん真ん中で、一日の狂いもなくすぐに生理が来て安堵した。
あれから二週間がたった。彼女と二人きりで会ってはいない。すごく会いたいけど我慢している。自重って奴だ。
夢月が卒業したら結婚云々の話は、母親とだけ交わした。「ゆづちゃんはまだ若いから」と言われた。本人にはまだ伝えていない。
「露骨な話はやめよう。でも俺の家に来る?」
「うん!」
自重ばかりじゃ鬱になる。
俺は几帳面だから彼女が来るからと慌てて掃除する必要はない。それでもクロ子しかいない家に足早に戻る。
「智太君、久しぶりです」
なのに玄関に隼斗がいやがった。