39 お姉ちゃんなお兄ちゃん
文字数 4,280文字
魔女の背後から、レイヴンレッドが偽の桧を笑う。
「お茶などださない。私が話を進めるでいいな」
もはやこいつの話は聞かない。
「桧はどこだ? 夢月と柚香を解放しろ」
それよりもっと大事なこと。
「パック! その姿をやめろ!」
「他意はございませぬ。このキャンプの生体認証も欺ける変げを、ああ見破れるかどうか試しただけです」
偽桧が、棒に黒ビキニの洞谷湖佳に変わる。
「そして桧殿はあなたに会いたくないそうです」
えーと。本当に本人の意思か?
「それは本人の意思か?」
ダイレクトに聞いてみたが、はいと答えられても確認しようがない。
「そうだ」
レイヴンレッドが答える。
「スカシバレッド。まずはこの方と話し合え。そうすれば……まだだな。それでも妹はお前に会わないかもしれない。それは二人の問題だ」
「なぜ会おうとしない?」
「それは言ってもよろしいでしょうな」
つなぎ服のスタイルに戻った湖佳が言う。
「桧殿は、ああ智太殿がスカシバレッドのままになったことを知ってしまったのです。それを仕向けたのが大司祭長であることも、それどころか兄上を殺そうとなされたことも、おお、ご本人の口から聞かされたからです。合わす顔がないそうです」
……漠然とした不安がよぎった。この気色悪い思いの素はなんだ?
思いだせ。桧を思いだせば分かる。智太兄ちゃん遊んで。智太兄ちゃん手をつないで。一緒に寝てよ。お兄ちゃんずっといてね。
「俺の有様を知って、百夜目鬼が仕組んだことだと知って、ここに居座っていると言いたいのか?」
スカっち、智太君になっているよ。
冷静になどなれない。
「あなたが私を殺したと知ってもです」
普段着の魔女が見上げてくる。
「私は彼女から二度目さらには三度目の死を与えられることを望みました。彼女は拒否しました。悪しき先代を倒さなければ後継者と言えない。でもあなたに会えば、抑えていた感情を――」
窓の外が紅色に光った。俺は月と雪を思う。端末を二度タップする。
「魔女め、また閉じこめたな! 私たちが殺し合うと思ったのか!」
現れた黒い深雪がまじで怒っている。
「宇宙ボールを深雪にパワーアップしてもらったからな」
小田原城を破壊した玉のネーミングが変わった気もするが、宇宙くノ一も激怒している。
どうってことはない。二人が力を合わせれば、レベルが落ちた魔女の楽園を破壊できた。
「……でも私は怒りを抑える」
深雪が座る魔女を見おろす。
「私がここに来た理由はひとつだけ。焼石はそれを否定しなかった。――百夜目鬼大司祭長。あなたは、授けた原理を戻すことができるよね?」
米軍機が轟音をたてて通り過ぎていく。窓の空に風変わりな機体が見えた。モスプレイに似ているな……。
レイヴンレッドが言いかけてはやめたこと。何度も匂わしたのに気づけなかったこと。魔女はスカシバレッドを相生智太に戻せる。
「この方に、なおもパックが付き従っているだろ。その時点で気づけ」
レイヴンレッドは笑わない。真剣な面のまま。
「交換条件にしたくなかった。話し合って双方の思いを知れば、歩み寄ったかもしれない。そうしたら私も桧も許しを請い、コールドレッドをあの男に戻してもらった」
「歩み寄らなかったら?」深雪がにらむ。
「そしたら敵だ。内輪もめしたテロリストの残兵だ。戦わざるを――」
「きっと智太さんは歩み寄っていた。桧がいなくても、交換条件で脅されなくても歩み寄っていた」
湖佳がレイヴンレッドの言葉をさえぎった。
選択肢はないのだから、話し合ったに決まっている。歩み寄ったかは分からない。ただただ桧はどこだ?
「全員うるさい。黙れ!」
くノ一はかぐや姫の姿へと――原理主義である感情を抑えるために戻る。
「やっぱりスカっちはスカっちのままでいい。智太君になったら、妹ちゃんのところに行っちゃう。私にさよならを言う」
抑えきれぬパッション。あの大きな瞳から、また涙があふれているではないか。
夢月の野生の感。俺は相生智太でもスカシバレッドでも彼女を守るに決まっているけど……。夢月だけを守る確約なんてできるはずない。
「決めました。話し合いましょう」
スカシバレッドは決意する。
「ただし、私と妹だけでです。みんなはここから出てください。紅月は私を信じてね。湖佳は桧を呼んできて」
「だから桧殿はあなたと――」
「姉は会いたがっている。そう伝えて」
***
光差し込む部屋に一人だけだったのは五分くらい。桧はノックもせずに入ってきた。黒いミドルヘア。緑色のアロハシャツ。白いチノパン。
「お兄ちゃん! 自虐ネタはやめなさい! お姉ちゃんなんてやめなさい!」
いきなり怒られる。その手に青白いマントが現れる。
「私が精霊になるから一緒に解除しなさい。そしてお兄ちゃんに戻りなさい!」
妹にやさしく抱かれる。スカシバレッドは青白い光を感じられないほどに、きつく目を閉じる。
「やっぱりダメか……」
その声に目を開ける。ローリエブルーのメイド姿を見ることなく、桧は生身の桧に戻った。
「魔女は私を俺に戻せるらしい」
「えっ、そうなの! なんで黙っていたの!」
「さっき柚香が焼石から聞いた」
「すぐに治してもらいなさい!」
「でも、味方にならないとならないかも」
「私が説得してくる!」
桧がドアから駆けていく。
「ともに戦い、布理冥尊復活に手を貸すならば戻してくれるって」
戻ってきた桧が言う。思いきり強迫じゃないか。
「でも、柚香さんのせいでそれを知ってしまったから、絶対に従わないと思われている。だから私が説得に来た。お兄ちゃん! 嘘でいいから魔女の味方になりなさい!」
「夢月はどうしている?」
そんなことを聞いてしまう。
「かぐや姫のままでスマホをいじっている。……あの人も、お兄ちゃんの後に続く。二つ返事で魔女の味方になる。そしたらあの人も赦される」
「許すのは私たちで、許すはずない」
「私だって夢月さんを赦したくない! でも赦してやるの!」
耳が痛くなるほどの怒鳴り声。
「……共同生活でひどい目にあったのは知っています。だとしても」
「女言葉はやめなさい!」
また耳が痛くなる。
「私があの人を赦さない理由を知りたい? というか聞きなさい!」
妹の剣幕にスカシバレッドはうなずいてしまう。
「だったら、すぐにお兄ちゃんの姿に戻りなさい! 百夜目鬼さんのもとに行くよ。頭を下げて謝って、男に戻りなさい!」
桧がスカシバレッドの手を握る。引っ張られる。
「……その後に倒してもいい?」
「ダメ! もうどっちとも誰とも関与させない。二人で石神井公園の奥の奥に戻ろう。お母さんを呼ぼう」
戦いを投げだせるはずないけど、俺が東京に戻るのは夢月とだけど、この手を離せるはずがない。
桧に引かれるままに階段を降りる。……でかい家だな。調度品も高そう。布理冥尊は魔女が贅を尽くすために教えをひろげた。それに抵抗した存在がレジスタンスであったはずなのに……。
桧が無言のまま両開きのドアを開ける。俺の家の敷地ぐらいのでかい部屋。みんなは映画で見るような縦長のテーブルにいた。ばらばらで。
巫女姿の深雪の緊張した顔が目に入った。かぐや姫がスカっちに微笑み、桧をにらむ。レイヴンレッドは立ったままで腕を組んでいる。湖佳と魔女は生身だ。精霊の盾はまとっているだろうけど。
「私と夢月の結論は智太君を――」
深雪が言いかけるけど。
「結論はスカシバの口から聞く」
レイヴンレッドが言う。
「どっちにしろだよ。桧ちゃんは私と果たし合え」
かぐや姫が立ち上がる。その手からスマホが消える。
俺はまだ桧が手を握っていた。
「二人を戦わせません。それより大事なことがある」
スカシバレッドが断言する。決断する。妹の手を離す。
「私は正義を貫く。スカシバレッドのままでいい」
その手にスピネルソードが現れる。対の剣が赤く燃える。
ヤマユレッドが築いてスカシバレッドが引き継いだ、モスガールジャー伝統の奇襲攻撃。
「ジャスティスブラッドクロス!」
魔女へと飛びかかる。
「フレア!」
生身の魔女が放つ白い光に弾かれるけど。
「十三夜! 十三夜! 十三夜!」
さすがパートナー。魔女が紅い光に飲みこまれる。魔女の家も半壊させる。
「貴様ら!」
レイヴンレッドが体に力を込める。獣人女と化す。天井を突き破りかけて四つん這いになる。
「焼石、不要です。二度目の死が待つとしても、私は力を出し切る」
白い魔女となり浮かび上がる。
両手を俺たちに向ける――より早く。
「清め賜へ」よりも一直線に。
「スカシバレッド!」
ガラスのテラス戸を突き破り、レースクイーン姿のキラメキグリーンが突入する。
……なぜに? など思う刻もなく。
「
彼女は全身に力を込める。自称魔法少女コメットさんフラウ。そして。
「キラメキック!」
怪人の一直線な蹴りが魔女を貫く。
「貴女の言いつけに背き、岩飛さんにマントを借りました。貴女を追ってきたのは、私と彼女だけです」
キラメキグリーンである怪人が座りこむ。
生身の岩飛が庭の隅から覗いていた。
などと状況把握がままならぬうちに。
「十三夜、十三夜、十六夜」
さすが
「おのれ……」
獣人より早く、魔女が浮かび戻ってくる。よろよろと、かぐや姫へ両手を向ける。
自分で仕掛けてよく分からなくなってきた。
だとしても。
そのすべてを横目に。すべてを尻目に。
スカシバレッドは相生智太の正義の貫くために。
「ジャスティスブラッドクロス!」
魔女の背へと裁きのXを叩きこむ。
どちらかが果てるまで。
「ジャスティスブラッドクラス!」
ジェット機が低空を通過する。轟音が去っていく。
「……二度目の死も龍とは。天よ、いかなる信念も寛容するのですか?」
百夜目鬼が諦めじみた顔をする。
「大司祭長様!」
「もはや私は不要です。鴉は太陽の使い。焼石の心のままに託します。鎖を断ち切――」
魔女が消滅する。
部屋を満たす野獣の忿怒――が凌駕された。
哀れみを込めた、青白いオーラ。
「やばっ、ミカヅキ! だと無理。月の引力!」
スカシバレッドと深雪は、かぐや姫のもとに引き寄せられる。
「敵前逃亡!」
芹澤と岩飛を残して、三人はいなくなる。
***
「妹ちゃん、めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ強いね」
天守閣の屋根。昇った太陽に照らされながら、かぐや姫が真顔で言う。