43 戦いを続けるならば
文字数 3,802文字
「大丈夫。もう大丈夫」
二人をやさしく抱く。
「端末をだせるか試してみて」
「落ちたときに試した。でなかった」
柚香が言う。夢月も青い顔のまま首を横に振る。
二人を抱いたまま考える。櫛引は人殺しも厭わない奴だ。倒す。雪月花の端末がなくなったのならば、夢月と柚香は退場だ。つまり俺だけで倒す。
「……漏らした」夢月がもじもじ言う。
なんてことだ。スカシバレッドの中の相生智太がちょっと興奮を覚えてしまった。
だとしても。
「これを着て」
スカシバレッドはヒップホップを脱ぎ捨てる。
「姫りん、まだ魔法は使える?」
「試してみる」
収穫がとっくに終わった東三河の枯れた田で、夢月がスカートとタイツを脱ぎながら放置されたトラクターに拳を向ける。
破壊してしまったが、とりあえず安堵する。夢月は汚れた下着とかも時空のどこかに消す。ノーパンですか! などと考えない。
「どこかで隠れていて。私が決着をつける」
「言うと思った。君だけじゃ無理に決まっている」
落下の途中で眼鏡をなくした柚香が立ち上がる。
「博士が作った端末だから、消滅させることもできるんだ。智太君がいなければ、私も夢月も殺されていた。……とても戦えないね」
「だから私だけが戦う」
「たった今、私は死の恐怖を味わった。漏らしてはないけど」
柚香がスカシバレッドを見つめる。
「君は経験してないから言える。分かったよ。永遠の闇なんてごまかしているけど、待っているのは他でもない。死だ。だったらハデスブラックでも抜けだせるはずない」
それは違うと思う。根拠は、百夜目鬼は人殺しの目をしてなかったから。説得力がないから口にはしない。
「マントはジジイでも消せないよ」
白いブラ。上着もヒップホップに着替えた夢月が言う。スカシバレッドよりずっと似合う。お姫様は何を着ても似合う。
「マントで戦お。だから沖縄でもらおう」
日没近い東三河の静寂は八秒。遠くで寺の鐘が鳴った。俺も柚香も夢月に呆れた顔を向ける。
「ひとつずつ言っていい?」
柚香が口を開く。
「うん。いいよ」
「私たちは魔女を殺した。許してくれると思う?」
「柚香は手をだしてないから大丈夫よ。柚香が私と智太君の分まで謝る」
「ふうん。沖縄にはどうやって行くの?」
「ミカヅ――はだせないんだ。飛行機でいこ」
「ふうん……理屈だと、おそらくマントで変身できる。精霊になれる」
「うん。カラスとパックとトビーちゃんが持っている」
「奪いとるの?」
「私が使うと赤くなるから、私はパックのを奪う。柚香はトビーちゃんに借りて」
「キラメキを見たよね。私はあんな姿になりたくない」
「あっ、緑モスがトビーちゃんから借りてたんだ。じゃあ芹澤から奪おう。あいつ最近生意気。スカシバのが強く美しく賢いとか聞こえる声で――」
聞きながら直感が降りてきた。マントで精霊になれば、深雪は白いスクール水着になるのではと。しかも小ぶりな胸で……。
ぞくぞくしてきた。さらにぞくぞく。ぞくぞくしすぎだ。
夢月が俺を見つめている。ぞくぞくを通り越して怯えた眼差し――。
彼女と並んで歩く。そんな日は二度と来ないと予感していた。俺は夢月と柚香を抱えなおす。
「死なせないタイミングで西と東の境に落とす。櫛引博士から本部に連絡が来た。いまの状態では私に勝てないよね」
暗闇が近づくなか、彼女は乾いた田んぼを歩いてくる。
「降伏しろ。さもないと陸奥と竹生は二度と歩けないぐらい痛めつける。相生君は永遠の闇も仕方ない」
穂村利里の手に赤いマントが現れる。
赤いシスターが具現する。
「智太君助けて」
スカシバレッドの腕の中で、柚香がつぶやく。
「降伏しても、私たちは本部からひどい目に遭わされる」
「当然」
レオフレイムは耳もいい。冷たい目で俺たちを見る。
「私はすごく譲歩している。人の心が残っているならば、私と同じ境遇を想像してみろ」
戦いから退いたガイアさんアグルさん蘭さんに加えて、陸さんや隼斗を倒されたなら。仲間すべてが戦いを続けられなくなり一人残されたなら……。痛いほどに分かる。
でも俺は譲歩できない。俺こそ人の心が残っているのだから、それ以上に大事なものを守らないとならない。彼女にとって俺たちは憎むべき悪だろう。だとしても。
「逃げて」
獅子である赤いシスターへと告げる。
「さもないと私は龍になる」
俺の腕のなかで柚香がびくりとする。
「ダメだよ。智太君が原理主義になる」
「そしたら私はビッグレッドライオンになるしかないね。……私じゃない。レアが名づけた」
赤いシスターが見つめてくる。
「興奮して暴走して、あなたを蹂躙する。その後に陸奥も……」
目の色が変わったぞ。こいつは自分の言葉ですでに興奮しだしている。……レオフレイムが巨大ライオンになっても、スカシバレッドが龍になれば互角以上だと思う。でも、暴走したこいつは広大な森に炎をまき散らした。生身の夢月と柚香が危険。
気づけば田園は闇に包まれている。
「分かったわ。いまの姿同士で決着をつけましょう」
スカシバレッドは自分に都合のいいことしか提案しない。
「日没ですね」
赤いシスターが体に力を込める。
「人外の刻。秘め事の時間」
こいつは俺以上に人の話を聞かなかった。燃えるような赤色に包まれながら、その体が3メートル背丈の獣人女になる。でも赤い立派なたてがみ。夢月と柚香が悲鳴をあげる。
その姿を見ながらスカシバレッドはこう思う。
龍にならねば勝てるはずない。
ならば逃げろ。
「暴れるなよ!」
二人を抱えて空へと飛ぶ。高く高く全速力で。レオフレイムは飛べないけど跳躍できる。凍てつく高さまで逃げろ。
「来る!」腕の中で夢月が叫んだ。
スカシバレッドは振り向くことなく、左へと旋回する。跳躍した獣人の爪から逃れる。獣人はさらに天高く飛翔していく。落下の際の攻撃を避ければ逃げきれる。
「来る!」
また夢月が絶叫する。
「ひどい……私たち生身だよ」
柚香が縮こまる。
スカシバレッドは見上げる。名古屋のドームほどもある炎の渦が降ってきた。
二人を抱えて死に物狂いで斜め下へと飛ぶ。脚と尻に熱を感じながら避けきる。
枯れた田んぼに炎のドームが築かれた……。この女は夢月ほどに。
「狂っている」
呟いてしまった。奴はどこだ?
「ボルケーノどんたく!」
上空から叫びが聞こえた。まだ自由落下が始まらないのかよ……。火球だけが大量に降ってきた。ひとつひとつが頭ほどもある。
さらに。
「ボルケーノ山笠!」
密集した火山岩が雪崩のように落ちてくる。
こんなの俺一人でも避けられるか。しかも抱えた二人にかすめさせることもできない。
俺は、柚香の頼みも柚香の話も聞き流していた。甘えていた。そのうえ裏切った。それでもだよ、戦いが終わった後も友だちになってくれるならば、今後はしっかり聞こう。
でも今夜を最後に。二人を守るために。
「柚香ごめん」
二人を抱えたまま体に力を込める。巨大化していく肉体。
鱗がすべての炎を弾きかえす。
巨大な爪で小さな二人をやさしく抱えなおし、上空へと咆哮をあげる。血の色の炎を吐く。
「フレイムオブカタストロフィ!」
赤黒いブレスは真なる炎に飲みこまれる。滅びの炎が龍の鱗を焼く。ただれさせる。
血走った目の巨大な赤いライオンが降りてきた。即座に最終形態になりやがった。龍の尾をつかむ。地上へと引きずられる。
……この野郎。
「戦っちゃダメだよ」
夢月の小さな声がした。
ならば逃げる。龍がライオンを引きずり返す。そのまま飛ぶ。
穂村であった巨大ライオンは、スカシバレッドであったドラゴンの半分ほどもある。そいつが龍の体を這いあがる。興奮した息遣いとフローラルな香りが近づく。
龍は体をくねらせる。獅子を落とそうとする。獅子の爪が鱗を裂きながら龍の頭へと近づいてくる。獅子自体がすでに炎。龍の体に延焼していく。
「うちと一緒に落ちんしゃい」
ライオンの爪がドラゴンの目をえぐる。
激痛。激怒。二人を守る。
龍が叫ぶ。
「スカシバーニングドレイク!」
陰惨たる滅びの熱波。
接して浴びたライオンが吹っ飛ぶ。
「戦っちゃダメだって」
誰かの声。
えぐられた眼球。見えなくても見える。すべてが血の色。
燃える獅子の巨体が豊橋市街へと落下していく。龍が追う。
俺と戦えた存在。上玉だ。
龍は舌なめずりして。
対の牙に。
すべてを込めて。
「食べちゃダメだよ!」
そんな声など無視して。
「……そんなの見たくない」
姫が龍の手から抜ける。空へと身を投じる。
「夢月!」
龍は我に返る。しぼんでいく獅子を追い越し、ヒップホップなお姫様を再び手にする。
頭に何かが当たった。龍になっても体が柔軟で、首の裏に手を伸ばす。つかんで目の前に持ってくる。気を失ったシスターがいた。
「やめて」
柚香の震える声も聞こえた。
「当たり前だよ」
響く唸り声だろうと、相生智太が言う。
「どこかに降りてスカシバレッドに戻る」
燃えた背中が痛い。血の色の龍は東海の空をゆるゆると飛ぶ。夢月も気を失ったままだ。
……ありがとう、でも無茶しないでね。俺のお姫様。