18 俺たちはレッドだろ
文字数 4,279文字
息がかかる距離で目を見てはっきりした。この子は俺に惚れていない。
「智太君……」なのに夢月はうるんだ瞳を閉じる。
俺は夢月の濡れた髪が頬にかかるのをなおす。とてつもなく愛おしい……。
彼女へと倒れこむ。潮の香りの髪。彼女によく似合う。
夢月はびくりとするけど。
「ちょっとだけ休ませて。エナジーの補充」
さすがに無理だ。レイヴンレッドめ、俺ばかり狙いやがって。しかも上から背後から……それ以前に夢月にもやられたな。まあいいか。
人の肌のぬくもりで精神エナジーが回復するのを感じる。でも、あの病室のように傷を舐めあう安らぎではない。いまは夢月のエナジーを一身に浴びているかのよう。俺が望み、彼女が受けいれて開放したかのように。
「……うん」
竹生夢月が俺の背中に手をまわす。彼女が目をつぶったまま微笑むのが分かる。六階の(月の引力で)オープンされた壁からは、まだ朝の空気が伝わる。
なのに夜になった。さらに桜が舞う。
「私は時空に開けたホールさえ追跡できる」
与謝倉凪奈の声がした。
「戦いが終わるなりお互いを求めあうとは、やはりテロリストは野蛮な
俺と夢月は上半身をあげる。獣と化したハウンドピンクがいた。その姿は……段差を抱えてあげるサイズの、ピンク色の豆柴犬。しかも、もふもふ。
「ハウンド……。くそっ、先手を取られた」
なのに夢月は舌を打つ。
「変身!」
なのに彼女は赤い光に包まれない。
「“宴の後”の結界だ。この中では、べつの自分に変わることはできない。それを見おろす私以外は」
豆柴が尻尾を振りながら笑う。
「もうじき三人が現れる。――さすがレッド。早いな」
彼女の上空で桜の花びらが渦を巻く。人影がすとんと着地する。
レイヴンレッド――。違う。焼石嶺真。
「……ハウンドさあ。私さあ人に戻ったよ。最強形態ならさあ解除されず突破できるって言ったよね。私さあ精霊が自称一個だけでしょ……一個かな、一人かな、一体かな。それでさあ、あれをさあ最強扱いしてもらわないと困るんだけどさあ。あっ、鳩時計」
サンダル履きで白Tシャツに紺色デニムの焼石がのんびり言う。
「それは自己責任だ」
柴犬が苛立ちげに歯ぎしりした。
「“宴の後の結界”を解除したら奴らも変身するだろ……他の二人は?」
「それがさあ。ウミミミミミミミがさあ、穴に引っかかってさあ。パックも来れないよ、きっと。……ハウンドさあ。パックはやばいよ、きっとさあ、マジで裏切っている。演技でなくさあ」
「ばらすな! あいつは惑わしの妖精だ。お前まで惑わされやがって」
「惑わされてるのはさあ、ハウンドじゃないかな」
「のんびり喋らないでくれ。この二人を連行すれば作戦は――キャイン!」
子犬が吹っ飛び闇のカーテンにぶつかる。続いて焼石も飛ばされる。
「すげえ。やっぱ紅月すげ。ていうかさあ痛」
「私は生身でも強烈な魔法が使える。月明かりをだせないだけ。喰らえ!」
夢月が握りこぶしを奴らに向けながら立ちあがる。
「花吹雪! キャイン! ……なんで効かないの? キャイン! キャイン、クーン……」
「痛いなあ、痛いって、痛……。夢月さあやめてよ。焼き芋を半分あげたの忘れた? ……あ、名前言っちゃった。ハウンドさあ、忘れてね」
「お前の話など聞いていない。……この姿にここまで容赦ない攻撃とは、貴様もコールドレッドだな。
柴犬の上を淡いピンクが流れだす。夢月が手のひらを広げるが、川の流れのように魔法を二股に避ける。彼女が桜の花びらに包まれる。
「ふん!」夢月が力を込める。彼女を包む花びらが霧散する。
「宵の牙! 咆哮
「ふん! ふん! ジャンプ! ふん!」
生身相手のあらゆる攻撃が霧散して、
俺も戦わないと。俺にできること……。ひとつだけある。司令官が名づけてくれた技。
「焼石嶺真!」
俺の叫びに、夢月へと身構える彼女が俺を見る。馬鹿め。
「バシリスク!」
俺の
瞬間にして永遠。
焼石嶺真の頬が――。
「ハウンドさあ。こいつがソシガヤ? なんかさあ想像してたのと違う。平凡っていうか地味っていうか」
俺は祖師谷レッドではないが、小犬へと俺を指さしている……。なんてことだ。というか、さすがレッド。こいつにも俺のウイルスは効かない。だとすると俺は戦いの傍観者だ。
「私さあ男に興味ないからどうでもいいし。……凪奈さあ、女にもないから心配しないでね。私はさあ、ぶぶ漬けランドのテロリストと違うから。あのレッドとは」
これはレイヴンレッドの作戦なのか。戦いに緊迫感が生じない。手加減しない夢月でさえ攻撃の手を休めている。
「ヤマユレッドちがったレイヴンレッドめ、変身しろ」
でもにらむ。
「女剣士バージョンになった私と勝負しろ。ルビーソードと勝負しろ」
「……ふーん。レッドタイガーソードとね。いいけどさあ、月明かりなしだと私に勝てないよ。ハウンドさあ、“宴会の後の寝ゲロ”の結界を解いて」
「乗せられるな! 名前間違えるな! わざわざ奴をスーパー魔法少女“身分を隠すため町娘に変装したお姫様。お祭りだって初体験。女剣士に憧れ中。でもその実体は?”にさせるな!」
犬がきゃんきゃんわめく。本当にその名称だったのか。
「……ふふふ。今回の作戦はレッドの本来の姿の再確認。それと生身での戦闘能力の確認。任務は果たした。レイヴンレッド、私を運んでくれ」
「なんかさあ、作戦ってレッドを捕まえるだったよね。凪奈さあ、私さあ精霊にならないと飛べないし、そしたらかぐや姫が目の真ん前に現れるよ。この空間だとさあ、月明かりを避けられないし。だからさあ、捕まったのは私たちだよ」
「だったらお前も戦え! ……一緒にやるぞ。ともに花と散ろう」
「生身が相手だとさあ、大怪我させちゃうけどさあ、仕方ないか。ハウンドさあ、巻き込むから来ないでね」
「……!」
夢月が焼石へと握りこぶしを向ける。
焼石が見えないなにかをスウェイして避ける。瞬時に間合いを詰めて、俺にも見切れぬ正拳突きを夢月の腹に――彼女は避ける。なのに焼石のまわし蹴りが側頭部に直撃。逃さぬように足を踏み、顔面にもろに容赦なき正拳。前かがみになったところをアッパーカット。夢月の体が天井にぶつかる。焼石が跳躍して、地面に落ちるまで百裂のごとき拳を喰らわす。
焼石が地に伏した夢月の頭部を蹴る。彼女は夜闇の結界にぶつかり微動だにしない。
十一秒間の出来事。
「……お前すごいな。やり過ぎだけど」
柴犬の唖然とした声。
俺は紅蓮を感じる。
「この野郎!!!!!」
「スシバカにはさあ、これくらい」
焼石のデコピン。俺はソファごと吹っ飛ぶ。結界に衝突したあとも、まだ脳みそが頭蓋骨の中で揺れている。それでも俺は気を失わない。
夢月を守る!
「ふーん。立ちあがれるし」
のんびりした声に続いてずどーん!
焼石のドロップキック。背骨がきしんだ。蘭さんのマンションで食べたカップ麺を嘔吐する。
「お、おい。結界にひびが入ったぞ。しかも生きているし……。まあいい。解除するからレイヴンレッドになって連行してくれ。ウサミンミンがいなくても、あれを使えば二人ぐらい運べるだろ? 私は与謝倉に戻って歩いて帰る」
女の子が俺と夢月を見おろし、ザマアみたいに笑う。部屋からでていく。
助けが欲しい。助けがないと……。うつ伏せたまま動けぬ俺は、今さら蘭さんに教わったことを思いだす。
――端末に魔法をかけてある。だからお前でも召喚できる。心に思うだけでいい。
俺は心に思う。雪月花の端末が右手に現れる。
――スマホができる人間ならば通信操作は簡単だ。部外者に使われたら困るのは、
俺は画面をタップしようとする。その手を握られる。
――この端末は敵の手に絶対に落ちない。奪われそうになると、これは消える。
俺の手からそれは消える。
壁の穴から町の喧騒が届く。夏の熱気も。
赤いハイヒール。漆黒のドレスから伸びるスマートな脚。
「何をしようとした?」闊達な声。「ワタリガラスは臆病なほどに観察する」
「連れていくのは俺だけ……。夢月は見逃せ」
見逃してやってください。レジスタンスであったハイヒールへとお願いする。
「格好いいな。彼女は原理主義に渡さぬから案ずるな。あれだけ痛めつければ、おとなしく語り合えるだろ。奴らの欲望を満たすのはお前だけ――お前のエナジーだけだ」
髪の毛をつかまれ顔を持ちあげられる。妖艶な笑みを浮かべるレイヴンレッドがいた。
ワタリガラスが無様な俺を観察する。臆病なほどに――。
その頬がうっすら赤らむ。
バシリスクでなくてバジリスク……。見るだけで死に追いやる伝説の怪物。
「夢月を見逃せ。俺も見逃せ」
俺は狡猾な鴉を見つめる。こっちこそ魅惑されそうな瞳を。
精神エナジーが具現化した存在に報酬が効くはずない。だけどレイヴンレッドは見つめかえす。
「俺たちはレッドだろ?」
彼女は思わずうなずく。臆病で狡猾ゆえに、鴉は偽りの本質に囚われる。屍肉にたかるように、布理冥尊へと。俺の欺瞞の魅力へと。
「べ、べつにレッドだからってわけじゃないからね」
彼女は立ちあがる。
「お、お前は何かした。蘭と柚香が現れるかも。だからだからね。あんたなんかに頼まれたからじゃない!」
レイヴンレッドが空との境に歩いていく。でも振りかえる。動かない夢月を忌々しそうに見る。俺と抱き合っていた夢月を。
その手にレッドタイガーソードが現れる。
「やめろ! あれはエナジーを回復させただけ。お前に散々斬られたから」
レイヴンレッドがぎくりと俺を見る。悔恨の表情になる。
「あ、あれは本気じゃなかったし。で、でも今度会ったら、もっともっと
漆黒のドレスが町の空へと消える。
俺は夢月へと這っていく。
「うう……、智太君……」
片目がパンダになっている。唇が腫れている。鼻が潰れている。それでも。
「一番かわいいよ」
眠るお姫様の腫れた頬にキスをする。隣に横たわり抱き寄せる。
「本当の肉体だって一緒に回復させよう。俺たちならきっとできる」
だって俺たちはレッドだし。