31 陰惨なる世界の序曲
文字数 3,248文字
2ブロック離れて地下五階のスパコンを歪ませるのは、竹生夢月でも不可能だった。これ以上接近すると発覚する恐れがある。それでも駄目ならば、無益な戦いが始まる。スカシバレッドはもう誰も傷つけたくない。
「やっぱり無理」
病院の真ん前で再々チャレンジさせたが、スマホみたいにはいかなかった。さすがはスーパーコンピューター。
深夜二時の制服姿の女子高生と学校指定ジャージの推定二十歳の女性を、自動式防犯カメラが常時追っている。画像は記録も転送もされていない。それくらいならば夢月は
姿を隠す結界――。深雪のありがたさを失ってから知る。はるか遠い昔、彼女を含めた三人で戦うなんて予感したこともあったな。さすがにこの状態に引き込めない。相生智太が思い描いたのは、もう少し格好いい正義の戦いだった。仲間から見捨てられ見離されたぼろ雑巾みたいな戦いではない。
柚香には連絡しない。柚香からも連絡来ない。
「私だけが戦う。姫りんは電波をゆがめることだけに専念して。相手は生身だからね。二十六夜でも人殺しになるわよ」
「うん、うん、うん、うん」
スカシバレッドとかぐや姫は滋賀県で入手した井伊直弼のかぶりものをする。顔を隠して受付から堂々と侵入する。今夜二度目のサイレンが鳴り響く。無益で情けない戦いを告げるファンファーレ。
「スカシバーニング!」
ジャージ越しにあふれだす正義の光。一般の警備員たちが腰を抜かす。
姫りんの野生の感に従い、彼らも知らない隠し通路から地下三階へと。床に仕掛けられたトラップは浮かんでいるから平気。平均年収一億円以上の白人と黒人のチームが待ちかまえていた。姫のパジャマ兼用体操着に穴を開けられないので、面倒だけど機銃掃射を避ける。擲弾はナイスキャッチして手の中で爆発させる。さすがに痺れた。
命は大事に。十二人は降伏した。
「朔!」
十二人も隠せたのか。最初からこれにすれば良かった。
邪魔者を閉じこめてから、最下層へと進む。
「朔はね、精神エナジーは隠せないんだよ」
「真壁に逃げられたから知っています。……自爆装置はないよね」
「千代田区すべて吹っ飛ぶのがセットされてたけど解除しといたよ」
ならば姫を守るソードを両手に現す。
「ジャスティスブラッドクロス!」
鬱憤を赤いXに込める。巨大スパコンへと叩きつける。三百億円を破壊する。
「半径500メートル以内の記録装置は全部壊しといたよ。スマホも。らくらくホンも」
壊しすぎだが、いまさらどうにもならない。
「では、彼らの記憶も消して引き揚げましょう」
「うん。初夜! 朧月!」
最下層のフロアに暗い靄が立ち籠る。それで記憶が消せたのか? アーミー服は溶けてないけど、西新宿の屋上では生身の相生智太がいたのに使用したけど、重武装のチームはみんな気を失っている。
「大丈夫かな?」
「うん。でも強烈だから、蘭には使用禁止されたんだ。じゃあ、敵前逃亡!」
赤い井伊直弼二人は千代田区から滋賀のお城へ瞬間移動する。ジャージも一緒に転送された。
スカシバレッドだけふらふらふらふら。茜音に任務完了を連絡したら着信拒否になっていた。
***
あの病院も悪かもしれないけど、線引きが必要だ。さもないと全人類の半分以上を成敗することになる。そして、俺と夢月も間違いなくそちら側に加わる。行き過ぎた正義って奴だ。だとしても正義だ。
1、魔女をぶっ倒し桧と湖佳を連れ戻す。
2、本部をぶっ倒し千由奈とその兄ちゃんを連れ戻す。
3、櫛引博士か誰かに相生智太へ戻してもらう。
4、諸々に頭を下げて謝罪する。
シンプルに考えれば、残りはこれだけだ。よく知った人のための狭い正義。そのために遠回りのスパイラルを止めないとならない。よく知った狭い世界が
「では四国に向かいましょう」
「うーん」
かぐや姫が悩みだした。初めて見たぞ。頭を使うこともあるんだ。
「やっぱり沖縄かな? 広島の真ん前かな? スカっちが決めていいよ」
そりゃ近い方を選びたいけど。
「桧はどっちにいるの?」
「沖……じゃなくて真ん前……かな。分かんない!」
かぐや姫がむくれてしまった。……本宮が復活したのかも。空を移動していたら、夢月の意味不明な感でも追い切れない。が、至近で遭遇すれば光学迷彩していても見つけられるはずだ。
「分かったわ。四国に行きましょう」
「うん! ミカヅキ!」
姫りんは瞬時に機嫌を戻す。美女二人を乗せたエアサーフボードは琵琶湖を縦断し、京都大阪の夜景を越していく。
トリオスは狩りを始めただろうか? ミカヅキはおかまいなく大阪湾にでる。スカシバレッドもだいぶ乗り方がうまくなってきた。姫の腰から手を離す余裕ができた。
***
「見つけた。あの船だ」
紅月からハンターの声がした。
何をもって断言できるのか。スカシバレッドははるか眼下をあらためて見る。おとなしげな瀬戸内海。しまなみ海道は夜に空から見ると尚更きれい。島は明かりがないと海との区別が難しい。航行している船は数艘だけ。どれかは分からないけど。
そこに魔女か本部がいる。妹か中二女子がいる。
ミカヅキが速度を緩める。ゆっくりと高度を下げる。透明な風防が消える。
「桧と湖佳。もしくは千由奈と兄。どっちだろうと、すぐに人質を朔で確保する。一般人に危害が加わりそうな場所ならば、姫りんはみんなを連れて逃げる。私が時間を稼ぐ」
完璧な作戦。スカシバレッドは自画自賛しそうになる。
これから先は格上相手の戦い。死ねば永遠の闇。殺されなければいいだけの話だ。
「逆にしよ」
髪をなびかせたお姫様が振り返る。
「スカっちが死んだら二度と智太君と会えなくなる」
相生智太だったら抱きしめていたけど。
「私だと朔に人を隠せないし運べない。……私は死にません。相生智太に戻り、あなたとまたキスするまでは」
ミカヅキが静止する。お姫様の目に涙があふれる。垂れ落ちていく。
「もしスカっちが智太君に戻れなかったら、友だちになってね。私、友だちいないから」
泣いたままで言う。
「小学五年生まで友だちがいっぱいいた。いやなことがあって、学校から、友達からも逃げた。いやなことがある前の自分に戻りたいといつも思っていた。ううん。戻っていた」
幼さに逃げる――。櫛引博士がドライに言ったよな。瀬戸内海は上空さえも静かだ。
「智太君に初めて会ったとき感じた。やさしくて強い目だ、この人だって。守ってくれる人だ。いやなことを忘れさせてくれる人だ。一緒にいてその通りだった。あの前の自分のままで……セ、セックスの意味じゃないです。でも、スカっちがしたいなら女同士でも――」
「もう言わなくていい」
スカシバレッドはかぐや姫をやさしく抱く。精神エナジーだろうと、夢月の髪の匂い。彼女はまだ雛のままだった。でも、俺はたったいま完全に目覚めた。いままで目覚めたなんて茶番だった。ほんとうの俺は飛龍じゃない。洞穴にひそみ宝を護る龍だった。その龍が目を覚ましてしまった。宝物のために侵入者を端から倒す――。
そんなことを、蔵王上空のセイントアローとの戦いで感じたよな? あの時すでに目覚めていたのか? だったらいつ目覚めた? 新月の教室?
どうでもいいや。何度でも何重にも目覚めてやる。姫を守るために。
柚香は……俺を信じてくれて今も信じてくれて二人が呼べば必ず現れそうなあの人は、お詫びじゃないけど、ここからの戦いに巻き込まない。夏目藍菜とその配下だって……木畠茜音、芹澤陽南、睦沢陸、壬生隼斗。もう引きずり込まない。虹色の螺旋。もう頼らない。
「必ず俺に戻るから、もう少し待っていて」
死ぬはずない。竹生夢月をほんとうの竹生夢月に戻すまでは。
「うん……。でも無理しちゃダメだよ。友だちでもいいよ。いなくなっちゃ、やだよ」
夢月がスカシバレッドの胸で鼻をすする。
龍だけが幾重にも目覚める。雛をおとなにするために。