09 冷血、狂血、紅蓮
文字数 4,665文字
「逃げたら殺す」と女エリートを窓から落とす。自分もふわりと降りる。
「逃げない逃げない」
佐井木のおばちゃんであってサイの化け物であった女エリートが慌てて立ちあがる。
雨は小降りになっている。傘をさす人も信号待ちの車の運転手も、俺たちに興味を示さない。ここは外からは見えず、中からは逃れられぬ檻の中。
俺の前で手をあげて歩きながら、佐井木のおばちゃんは喋りつづける。
「幹部は殺されると精霊の力が失われる。一兵卒になってしまう。レベル100を越えていれば近衛エリートや幹部補ぐらいにはなれるが、それとて見てのとおりにコマ扱いだ。
ここから力を取りもどすのは容易ではない。だから私らは基本逃げる。無理ならば降伏する。しかしあなた様は、ここまで誰も捕虜にしてないよね。たこ焼きランドの噂も流れている。だから、血も涙もないコールドレッドと呼ばれだした。
私を二度も殺さないよね。おそらく今度は中級だ。下手すりゃ精霊の記憶もない猿になる。心を入れ替えるから、私もテロリストに加担するから助けておくれ」
たしかに俺は捕虜をモスプレイに乗せたことがない。慰労会の夜も草加で、手を上げる生身(連中の言う精霊の盾だけ)の幹部や着替えしたての戦闘員のいずれも屠り去った。他の三人は呆気にとられた顔をしたが、ピンクが親指を立ててくれた。
「……手間が減ったな」ブルーもそれだけだった。
上級戦闘員以上を連行してもポイントに変わりないのは知っているけど、中級以下の戦闘員は倒されると悪しき心が消滅するのだろ? 本部で再教育されて善の心を芽生えさせるより手っ取り早いだろ? 感謝されてもいい話なのに、それをコールドレッドとは……。
スカシバレッドを冷血扱いしやがって。
「私も一度死んでいる。あなたたちも精神エナジーを失うと苦しむの?」
スカシバレッドは怒りを飲みこみ敵へと尋ねる。
「精霊の力を失うのさ。三日三晩苦しみ続けて、ある日いきなり戦闘員として召集。大司祭長がこの国を良きに導くための犠牲だから厭わないけどね」
「だったら布理冥尊を裏切るよりは、殺された方がよくて?」
「い、今は違うよ。改心した」
そう言うことか。末端の連中は、布理冥尊の教義より自分が大事。命を大事に。その程度の悪の組織だ。これからも端から倒していこう。こいつ以外は。
***
雨がやんで駐車場に日が差しこむ。シルクイエローは深雪によりすでに復活していた。近衛エリート二人が手を首のうしろで縛られてうつ伏せにされている。
「雪はすごいな」率直な感想を口にする。
「私の魔法はエナジーの消費が激しいので、敵の人数とレベルによります。あなた方が削っていなかったら苦戦したでしょう」
白装束の巫女が清楚に言い。
「あなたも回復して差しあげます。へへへ」
茶目っ気に笑うのでどきりとしてしまう。
「こ、これくらいの傷、わ、俺はいつもなので大丈夫。ライフ値は188ある」
数少ない自慢を何気に言う。……深雪から憧れの眼差しを感じたぞ、よっしゃ。それより。
「シルク。あれはモネログリーンではなかった」
「当然です」
巨乳イエローが微笑む。モスウォッチと通信を始める。やっぱりこの人は強い。
一段落して思えば、昨日から雪と月と一気に近づいたよな。ついに雪とはともに戦ったわけだし。白巫女と黒神子それぞれの写真を撮らせてと言えるほどの仲ではないけど。
昨日の朝までの俺の脳内において女の子が占める割合は。
スカシバかわいい 50%
柚香かわいい 10%
深雪かわいい 15%
夢月かわいい 15%
桧の将来の彼氏が心配 10%
だった。それが踊り場で背中合わせになってから。
スカシバかわいいけど俺だし40%
柚香こそかわいい 30%
深雪かわいい 15%
夢月かわいい 5%
桧の将来の彼氏が心配 10%
になり、今日大井で昼飯を食べてからは。
スカシバかわいいけど俺だし40%
柚香こそかわいい 35%
深雪は柚香に統一 一%
夢月なんだかんだかわいい 35%
桧の将来の彼氏が心配 10%
と、まさかの120%になってしまった。
それが今は。
「スカシバ、ちゃんと聞いていますか?」
元気になったイエローにやさしく叱られる。
「三体とも本部に連行することになりました。屋上からモスプレイに運びます。ブルーは忙しいようで召集しても現れません。なのでレッドは、私も含めて四往復しないとなりません」
……仕方ないか。多少は布理冥尊からコールド扱いされなくなるかもしれないし。敵であろうと、熱血と呼ばれたい。
「テロリストの本部だと? やめてくれ。俺は噂を聞いている」
仰向けに転がされている近衛エリートが暴れだす。
「今ここで殺してくれ。サルになる方がましだ」
――よく言った。望みとおりにしてやる。
……地面からの声。アスファルトが盛りあがり――爆発する。軽自動車も高級外車もみんな吹っ飛ぶ。俺も吹っ飛ぶ。
地面の穴には闇がとぐろを巻いていて、バットの太さもある白い牙がいくつも生えてきた。スカシバレッドを狙ってくる。七本!
手にスピネルソードが現れる。スカシバレッドは端から切りおとす。
「こ、紅月、すぐに来で! ハデ――」
深雪の悲鳴のような声。
「きゃあ……」
本当の悲鳴は瞬時に途絶える。
ビルが崩れかけている? とてつもない粉塵の向こうにも、極太の竹のような白い牙が生えていた。その先に腹を貫かれた深雪が見えた。また一本が深雪に突き刺さる。
牙は彼女を刺したまま地中に戻ろうとする。
ただただ忿怒。
俺は降りそそぐ瓦礫の中を飛ぶ。牙へとソードを交差する。飛ぶ斬撃は跳ねかえされる。
別の牙が俺へと地中から生える。蹴り飛ばす。
深雪が地面にと、口を開けた闇へと飲まれかける。彼女を引きずりだす。宙に戻る。
蒼白な深雪を抱え地面をにらむ。禍々しい気配が地中深くから噴きあがる。……野生の感が訴える。こいつは戦ってはいけない奴だ。
柚香を連れて逃げろ!
雨あがりの空へと飛ぶ。マンションが20度ほど傾いている。
『紅月、もう追うな……あの馬鹿は通信機がないのか』
深雪のどこかにある通信機から紫苑太夫の舌打ちが聞こえた。
「お前だけでも急げ!」どこかにある通信機へと怒鳴る。
「相生……すごぐ痛い。私、ライフ上限が相生の半分もない。助けて……。死ぬの嫌だ」
口から血を垂らす深雪が薄らいでいく。スカシバレッドは消えぬようにと強く抱く。
「変身を解除しろよ。人に戻れ」
そうすれば自分のベッドに直行だろ。
「私たちは戦闘中に自分から解除しだら、敵前逃亡になる。懲罰として本部がら二度殺される」
空がまた暗くなった。いや俺のまわりだけが。スカシバレッドは闇に押し戻される。……これは暗闇の檻。閉じこめられている。
暗黒から真っ黒の大蛇が現れる。三頭。空飛ぶ蛇が俺へと口をひろげる。スカシバレッドはたやすく避けるけど、腕に痛みを感じる。真っ黒な小蛇が噛んでいた――。痛!
後頭部に鈍器に殴られた衝撃。亀の甲羅? 浮かぶ大蛇と無数の蛇。飛びまわる亀……。
「スカシバフラッシュ!」
深雪を抱えたままエナジーを放つ。でかぶつ以外の爬虫類どもが消滅する。……体がしびれてきた。さっきのは毒蛇かよ。
闇が地面へと二人を押し戻す。俺の力は毒で抜けていく。禍々しい力に抗えない。
『闇の結界が張られている。私では入れない。紅月を呼んでくるから耐えろ。――赤モス、死なせるなよ!』
通信がせわしく終わる。
「無理だよ……。もう駄目」
深雪が弱弱しく言う。
「相生の毒さ解ぐから顔を寄せて。……また恥んずがしい姿だがら、部屋に誰も来させないで。お母さんだげ呼んで……。ちょっと
彼女が目を閉じる。スカシバレッドは地面を見る。闇が渦巻いていた。牙がいくつも待ちかまえている。毒がまわって手に力が入らない。それでも抱えてやる!
「紅月が来る」
スカシバレッドは消えそうな深雪を叱咤する。
「それまで一緒に頑張ろう。俺のエナジーを受けとれ!」
スカシバレッドは深雪へと顔を寄せる。彼女へと唇を合わせる。
柚香の八重歯。
深雪はスカシバレッドの毒を消す。代わりに俺のエナジーを吸いとる。毒が抜けても力が抜ける。それでも俺は戦える。
柚香を守る!
なのに闇の檻は狭まっていく。大蛇たちと閉ざされた闇。スカシバレッドの片手にスピネルソードが現れる。由香を守るために剣を振るう。一匹の目に突き刺し深くえぐる。その蛇は消滅していくけど、四頭目が足もとに現れる。暗闇に押されて逃れられない。蛇は俺をくわえて、地上の暗黒へとうねる。主のもとへ。
俺だけじゃなく柚香も一緒に。
「ざけんな!」
スカシバレッドは大蛇の口から身を引きずりだす。別の蛇が口をひろげる。斬撃を飛ばす。蛇は赤い光を飲みこみ消滅する。残りの蛇が寄ってくる。
空の闇に押される。地面の闇に吸いこまれる。そこへと身構える。
スカシバレッドは覚悟する。刺し違える。
柚香だけは生かす。
スピネルソードが魂のように燃える。
――ほお。エナジーソードか、恐ろしいことだ。足半分を喰いちぎられ、なおも紅蓮の炎を燃やせるとは、もはや
地面からの禍々しき声が遠ざかる。
世界が明るくなる。雨あがりの空気がよみがえる。
灼熱のごとき怒りを感じた。
俺は空を見上げる。太陽を浴びた紅月がミカヅキに乗っていた。
「この野郎、柚香によくも!」
かぐや姫が空を抱えるように、両手を頭上に広げる。
「十五――」
「やめろやめろやめろ! 町中だぞ! それにもういない」
お蘭が俺の横に現れる。深雪を奪いとる。
「よくやった。任務完了だ」と抱き、その黒髪へと唇を当てる。
深雪が消える。お蘭は俺を見る。
「間に合った。柚香は起きても重い二日酔い程度で済むさ。……深雪から、お前のエナジーを感じた。感謝し尽くしてやる」
お蘭が俺を裏がえす。
「まだ気を抜くな。すぐに死ぬぞ。紅月、地面にまで追うな! それより、人々の記憶をまとめて消せ。加減してな……やっぱり私がする。代わりに電波を盛大に歪ませろ。撮影している奴のデータを壊せ。スマホを弄るのは得意だろ」
一般人たちが、崩壊しかけたマンションと俺たちを見ていた。結界がないからか……。スカシバレッド、気を抜くな!
「お前は正規の転生をしていないから、ここで生身に戻す」
お蘭がさらに強く俺を抱く。
この子のぼろぼろの体が裸になり胸がなくなり、相生智太の服に包まれる。力が抜けて、背後の深川蘭に寄りかかる。いつもはベッドに直行なのに……。この女は生身でも空に浮かびやがる。
「? お前、印をつけられてないか?」
蘭さんは言うけど意味不明だ。眠いというか横になりたい……忘れていた。というか、柚香しか考えていなかった。
「シルクイエローは?」今さら聞く。
「親衛隊隊長はレベル200の真の化け物だ。特性は、“玄武岩”と“冥王星”。……それと“貪”」
蘭さんは俺を抱いたまま地面に降りる。群衆をにらみながら付け足す。
「ハデスブラックの“冥界の怒り”を喰らえば、レベル100以下は消滅する」