10 一線
文字数 3,297文字
「なんで智太君の上に現れるの!」
夢月が顔を真っ赤にしている。そのくせ降りようとしない。
「でもシャワー浴びてきてよかった。……智太君に初めて呼ばれたから、念入りに洗ってきました。だから時間がかかりました」
俺の首に手をまわす。目をつぶる。柑橘の吐息。……思いだした。
「俺にキスしたって本当?」股間を触ったのも。
きゃああああと悲鳴をあげて、夢月が俺から跳ねおりる。
「ゆ、柚香から聞いたの? あれは嘘。嘘。だって柚香とキスしているよね? だ、だから対抗して、嘘をつきました! ごめんなさい!」
極限まで顔を赤くする。
深雪とは業務的にしているけど、所詮は精神エナジー。本物の柚香ではない。
狼狽する夢月を見ているとどうでもよくなった。
「俺の妹を呼んでいい?」
当初の目的のために、スマホを手にする。
「はあ?」
夢月の声とともにスマホは消える。
「蘭から聞いたけど本当は従妹なんでしょ? 呼ばないよ。なんかライバルって感じ」
にこにこと笑う。いいからスマホを返せ。また捨てられる。
とは言っても、パジャマ姿で押しかけた女を正義の味方と紹介しづらいよな。とりあえず、俺が立ち去ったあとの『昼は蝶』のことを彼女に尋ねる。
「私もすぐに学校に帰ったから知らない。……柚香、怒っていたね。私にも、智太君にも」
「電話にでてくれない。さっきまで一緒に戦ったけど、ほとんど口をきいてくれなかった」
「なにそれ!」
夢月が目を大きくひろげる。……どきりとした。ランプの光を照らしかえす、吸われそうな瞳。やっぱり規格外だ。
「なんで私は呼ばれないの? ゴキブリ倒してから戦ったの一度だけだよ。それも関西のあの連中と。……あの女、十三夜を弾きやがった。今度私を馬鹿扱いしたら十五夜を当てる」
怒った顔もかわいい。……ふいに狭いテントに二人きりを感じる。夢月が俺の目を見る。顔を寄せてくる。
「あの三人は前に会ったときより強くなっていた。仮面の親父が二人一緒よりも強い。私一人では勝てない。……連中と戦う予感がする。その時は、智太君も一緒に
「ああ」と妖精の瞳にうなずいてしまう。
おそらく関西のAチームのトリオザスーパースター略してトリオスのことだろうが、模擬戦ぐらいいくらでもしてやる。
俺の眼差しを見て夢月が安堵する。
「よかった。あいつら京都大学、大阪大学、尼崎大学なんて頭よさそうな奴らばかりだし――」
彼女も間近で見つめあっていることに気付く。
狭い空間に二人きり。その目が潤んでくる。
「柚香は疲れているだろうから、明日の朝一緒に謝りにいこう」
俺は目を逸らして言う。夢月と一線を越すと、取り返しのつかない事態になる。そんな予感がびんびんにする。
なのに彼女はパジャマのボタンをはずしだす。目を戻してしまう。
「私の学校で経験がないのは、一年生も含めてたぶん私だけ。三年生なんかほとんどが複数の老若男女とやっているみたいだし」
白いブラジャーが丸出しになった。目を逸らせない。更にはパジャマパンツを魔法で消す。上下とも白い下着姿で正座する。緊張した顔で俺を見つめてくる。
「ひ、避妊の心配しなくていいです。私、最初から生理が規則正しくて三十日周期を一日もずれたことないから、今日は安全日の真ん中だよ」
ランプに照らされながら恥じらう彼女はあまりにきれいで、俺はこう思う。
なんて奴だ。
「さっき悲鳴あげただろ。じきに母か妹がやってくる」
それまでに下着姿をやめてくれ。
「勇気をだして脱いだのに……。じゃあ、私の部屋に行こう。変身!」
テントの中が十二単衣で満タンになる。俺に抱きつく。
「離脱!」
相生智太のまま時空に飲みこまれる……。
常夜灯が差し込む教室。
俺はかぐや姫と現れる。
「なんで学校? そんなに授業中しっかり寝たかな?」
かぐや姫は不思議がるけど、その結果がこれだと思う。
「そうすると時空移動でどこにも行けないよ……。仕方ないね、ミカヅキ! 月の引力!」
紅月が教室の窓を壁ごと手前に倒す。
俺は生身のままミカヅキに乗る羽目になる。
「……今日は解散しよう」ふらふらしながら言う。
「うん! じゃあね」
石神井公園の裏の裏で、かぐや姫がミカヅキに乗り去っていく。俺は裸足で帰路につく。
どんなにかわいくても誘われても安全日でも、やはり夢月に関わってはいけないと、心に深く刻む。
金髪をやめた柚香のが、別系統ならかわいさ越したかも。今日なんか、怒ると釣り目がきゅっとなって、その後に子猫の瞳に戻って、なおさらぞわぞわした。露骨に無視する横顔なんか、無理やり抱きしめたくなるほど……。
明日一人で謝りに行こう。アパートの場所は知っている。そのまま一線を越えられないにしても。
「お兄ちゃん! これは何? さっきは無かった」
桧が夢月のパジャマを持ってテントの前で待ちかまえていた。
しかも。
「忘れ物した! けど無くなった!」
白い下着姿の竹生夢月が、テントから顔をだす。
「……どこに隠れていたの?」
俺と向かいあったままの妹の目に、正義の怒りが浮かぶ。
***
「これは私と智太君の専用端末になったんだよ。これがあると二人はいつでも一緒になれるの」
テントの中で夢月が妹へ得意げに見せる。
「いいから服を着てよ。……この人、ちょっと頭がおかしくない?」
桧は至極全うを言うが、夢月の容姿に圧倒されている。女優が目前にいるレベル。それ以上。
「高一だっけ? かわいいね。さすが智太君の親戚だ」
夢月は押しつけられたパジャマを着る。その手にパジャマパンツも現れる。
「私は妹! ……こんなことが前にあったような」
もしかして桧は、柚香が夢月の制服を取りにきた日を、思いだしかけているのかも。回り道したけど、妹に真実を見せる頃合いだ。
「桧。夢月は喋り方が幼いけど、高校三年生だよ。そして日本最強の魔法少女。――夢月、変身してみせて」
「一般人にばれていいの?」
「俺の妹だから大丈夫」
「うん! 狭いから一単衣になるね。変身!」
夢月が紅い光に包まれて、桧が俺にしがみつく。
かぐや姫というか……、紅色の浴衣姿の紅月照宵が現れる。赤茶色の髪をアップにしている。花火大会のシーズンならば、このまま電車に乗っても違和感ないスタイル……ではない。シースルーじゃないか。赤い下着が透けている。こんな姿を桧に見せるな!
とにかく妹へと一線を越えてしまったのは間違いない。でも俺を信じろ。俺たちを信じろ。
「手品じゃない……」
桧が俺の手を握りしめる。
「信じたい。だから、もっと魔法が見せて」
「いいよ。ミカヅキリムジン!」
俺のテントをズタボロに切り裂きながら、俺たちを乗せた状態で、四畳半ほどもあるミカヅキが現れる。「邪魔!」と、覆ったテントの残骸をLEDランプごと時空に消しやがる。
「快適な乗り心地だけど、外には行かないよ」
1メートルほど浮かばせて、紅月が得意げに言う。
「……分かった。何もかも信じる。お兄ちゃんならば、正義の味方もあり得る」
桧はまだ俺の手を握っている。
「あの中学生が言ったけど、お兄ちゃんは女に変身するの?」
「変身じゃなくて転生……。今後は変身だった。その姿は見せない」
さすがに見せたくない。夢月と抱き合い裸になるのも見せるわけにもいかない。
「でも私たちのことは内緒だよ。……それより」
浴衣の紅月が桧をじろじろ見る。不審げな顔になる。
「妹ちゃん、スカに似てない?」
確定した。つまりスカシバレッドは二十歳になって大人じみた相生桧だ。
どちらもなおさら愛しくなってしまう。
「お兄ちゃん……。これから私はどうすればいいの?」
桧が俺の目を見つめる。
「私たちを応援してくれればいいよ。公私ともにね」
かぐや姫が答えやがる。
「二人は付き合っているの?」
「もちろ――」
「それはない」
……反射的にきっぱりと否定してしまった。
桧から安堵を感じて、夢月がショックを露わにする。
「わあ」
「きゃあ」
彼女とミカヅキが消えて、俺と桧は1メートル上から落下する。