22 果し合いまで四時間 柚香の部屋
文字数 3,883文字
「智太さんの後ろに乗せてもらいます」
勝手に決めやがった。
「落窪さんも送りますよ」
コードの履歴でスカシバイクをモスプレイに転送するだけだけど。
「ありがとうございます、ぐひひ。しかしバイクごと転送は危険ですよね。別の方法はないのですかね、ぐひひ」
元布理冥尊三人娘は、落窪さんと会ったことで何か変わっただろうか? 千由奈からは安堵を感じた。岩飛は変わらないというか、もともと深く考えてなさげ。湖佳はどうだろう? 彼女たちを見た桧は……。
『根が同じであろうと正義と悪は別物ですよ、同じコインの裏表ではありません。ぐひひひひ』
そんな落窪さんの言葉に、妹は首を傾げていた。
落窪さんはしがみつかないし、ヘルメットをかぶる必要ない。エンジンをふかせば問題なくモスプレイに転送。
藍菜を轢いてしまった。
「ここにいれば、レインホワイトが変身したペナルティから逃れられると思ったのに……」
1800CCバイクの下敷きになった割には奇跡的に元気そうだ。
「モスプレイを解除して病院に向かいましょう。相生さんはお戻りください、ぐひひ」
落窪さんは慣れた感じだ。俺に顔を向ける。
「今日はありがとうございました。彼女たちを見て、私が一番に救われました。……マントを手放す踏ん切りがつきました。私も正義の一員になれるでしょう。ぐひひ」
桧が悪のマントを譲り受けたようでちょっと不快だけど、花鳥風樹こそ正義の魔法少女だ。それにリベンジグレイは出会った時から正義の女だ。
「町田さんは清見さんの病院だから、紗助君に看病してもらう。智太君は気に病まずに戦いに専念して。しかし尻が割れたかも……」
藍菜にお詫びして、スカシバイクを再度転送する。物干し竿から布団をおろしていた岩飛を轢きかけた。もうバイクの転送は二度としない。
***
赤い大型バイクを通常運転して笹塚を目指す。そのまま柚香と伊豆までツーリングしたかったけど、千由奈を乗せるしかない。白いヘルメットも渡すしかない。
「竹生堂で買った。一緒に食べよう。……へへ」
十八時四十分。ぎこちない笑み。柚香の部屋のテーブルには薄皮饅頭が置いてあった。ドリップパックのコーヒーを入れてくれた。
柚香はベッドに背もたれる。いつもそうしているのかな。クッションが置いてある通りに、二人は90度に座る。
黒ぶち眼鏡。薄手の白いトレーナー。髪は後ろでまとめている。うなじがきれい。魔法を使わずコーヒーにミルクを入れる。……よそよそしい。おそらく俺も。
「夢月から俺に連絡があった。バイクは西新井にあったって。その日はミカヅキで帰ったらしい」
「荒川の向こうまで何をしに行ったの?」
「聞いてない」
会話が止まる。同時にぎくしゃくした空気。
「スク水で泳ぎに行ったのかもしれない。夢月は専用マントを手に入れた」
「なにそれ?」
「じつは――」
無口な俺が頑張って喋りだす。夢月が千由奈たちを苛めたくだりが楽しいらしく、柚香は目を輝かせて笑ってくれた。ヒヨコになったのには、さらにうれしそうだった。
「私も一度試したいな。どうせ色は黒のままだけど」
柚香は笑いすぎて涙を流している。清見さんに面会できてとりあえず吹っ切れたようだ。
「黒神子だもの黒に決まっている。もしかしたらゼブラ柄かも」
「そしたら精霊はシマウマになったりして」
柚香がまた笑う。無理しているぐらいに……。十九時を過ぎてしまった。あと四時間で始まる。本題に入らないと。
「エリーナブルーを無理やり出現させれば、清見さんを連れ戻せるかもしれない」
病室のベッドで彼を抱いて変身すればいい。
「でも戦いが始まるなり消え去るかもしれない。そしたら二度と回復しない。博士が言っていた」
「だったら、それはできないね」
「違う。だったら俺が守り、戦いをすぐに終わらせる。柚香も一緒ならばエリーナは安心する」
「リスクがあるのはやめようよ。失敗したら、君も私も立ち直れない」
必死な顔で見つめてくる。
窓の外からは、夕方を終えた日曜日の静かな騒めき。
俺は、『昼は蝶』を飛びだした俺へと声かけた清見さんを思う。私も手助けしよう。そう言ってくれた。
女の子の部屋。穂村の殺伐とした部屋とも、夢月の母親が日々手入れしているような部屋とも違う。真面目で几帳面な性格が現れた、でもありふれた部屋。俺は斜め横に座る女の子を見つめかえす。
「俺とブルーだけで戦う。藍菜だと不安だから、アグルさんに楽勝のアジトを探してもらう。だから柚香は苦しまなくていいし、それが終われば苦しむこともなくなる」
柚香は何かを言いかけて、うつむく。……言葉を継ぎ足せよ、俺。
「清見さんは、俺が助けに来ることを望むと思う。あの人は賢い戦いをしなかった。勝敗など気にせず目前の敵に突っこむだけだった。
レベル30で100越えと戦ったことがある。今考えれば無謀すぎるけど、エリーナブルーはともに戦ってくれた。……臆したら、清見さんに怒られる」
お前はこんなこともできないのか。そう叱られる。
柚香が顔を上げる。すぐ隣から俺を見る。
「私がエリーナを守る。スカシバがすぐに終わらせる。それで行こう」
またも涙目。俺をまっすぐに見てくる。
「そのために今日を勝って終わらせる。……でも怖い。夢月も智太君もみんなやられるかも。また私が最後に残るかも」
二度も一方的にやられて喰われかけたのが相手。怯えて当然だ。でも戦わないとならない。倒さなければならない。
「みんなは罠だと言っている。でも私は違う気がする」
俺をすがるように見ている。
「あの怪物は十五夜にも耐えられるほどになった。だから夢月と勝負できる」
俺の手を握ってくる。
あり得るのか? 仮にそうだとしても、夢月はスーパームーンで単独行動になってから、さらに強くなった。それこそ黒岩はおのれが仕掛けた罠に嵌まる。
俺は柚香の手を握りかえす。
「深雪は紅月をひたすら強くする。それまでは紅月が深雪を守り抜く」
スカシバレッドは深雪を守れない。友の反対を押し切り戦いに参加してくれる人を守らないとならない。せめて今は手を握っていてあげる。
「……智太君は強いね」
柚香が黒ぶち眼鏡をはずす。
「やっぱり優しい。今日のセッティング、私のためにしでくれた。私は智太君に当たるだけで何もしなかった」
柚香が目を閉じる。後ろには柚香のベッド。まだ四時間もある。あれは持っていないし、彼女が用意していると思えないけど。
俺は顔を寄せる。
なのに夢月の笑顔が浮かんだ。
「柚香のお陰だよ」だけど柚香の頭を抱く。「俺だけだったら、清見さんが目覚めるのをずっと待っていた」
柚香の髪の匂い。
「へへへ、だったら二人合わせて一つだ」
俺の胸でくぐもった声をだす。
「ちっぽげな二人だ」
彼女を抱く腕の力が強まってしまう。柚香が俺を部屋に呼んだ理由。決戦を前に怯えているから。すがれる相手を欲しかったから。
でも俺はたっぷり夢月とデートした。犬山でオウムに怒鳴られたときと変わらず、優柔不断な外道のままだ。更には昨日は穂村をバイクに乗せて水族館に行って、京都まで送って部屋でカップ麺までいただいた……。
いま俺が抱いている人の精神エナジーは、同性に襲われて声を三回漏らしたらしい。感度がいいのだろうか? 実物はどうなのだろうか? ……まずい。戦いを前にした高揚感が下半身の一部分を刺激しだした。
ふいに彼女は俺の手から頭をはずす。すぐ間近で。
「何を考えているの?」
へへへと付け足しそうな、いたずらっぽい子猫の瞳。
「柚香のこと」
理性的な俺でも無理だ。押し倒してしまう。ベッドの角に頭をぶつけたけど、彼女は拒絶しない。
なのに柚香のモスウォッチが鳴る。
「……木畠からだ。着信音を変えてある」
子猫の瞳が豹に代わる。「雪だ」と俺の下で口もとに寄せる。
あの同級生は二度目じゃないか。二分早くても二分遅くても展開が違ったぞ。千年の恨みを茜音に抱きそうになりながら、俺は柚香から体をどかす。
「了解」柚香が通信を終える。寝ころんだまま俺へと「関東管轄で――」
今度は俺のスマホが鳴る。やはり茜音から。
『藍菜っぱを轢いたな。彼女は入院した。幸いにも全治一週間で済んだので、モスとしてけじめは求めない』
超大型バイクの下敷きになってもか。とてつもなき悪運だ。
『それより今夜に関して関東管轄でブリーフィングを行う。司令官が生身で参加できないから、二十時にモスプレイで実施。本部からも数名加わる予定。私は仮面の二人の連絡先を知らないから、相生から頼む。転送コードは昼間と変わらず。ちなみにこのコードは今夜が終わり次第に使用できなくなる』
「スカシバイクでないと転送できない」
『みんなを轢かないように気をつけて……んなはずねーだろ。仮面の二人に聞きなおせ』
「ハウンドはどうする?」
『……指示を受けていない。時間もないし、相生の判断に任せる。以上』
しゃきしゃきと通信が終わる。
柚香も起きあがる。座りあって向き直す二人。
「決戦だ」俺が言う。
「機内で会っても、それぞれの立場がある。またぎくしゃくした二人になるかも。でも、もう気にしない」
柚香は立ちあがる。
「戦いが終われば恋人同士に戻れる。一緒ならば強い二人が、あの人を助けにいく」
俺の手を取り、立ち上がらせる。
小猫じゃない。狩りを目前にした猛獣に似た瞳。その眼差しを消して目をつぶる。
二人は唇を重ねる――。能天気な笑みが浮かびやがる。