19 果し合いまで八時間 清見さんの病室
文字数 3,612文字
雪月花端末に着信があった。柚香からだ。
『月が来るのは花から聞いた。静かにしようね。私は先に病室にいく。受付で博士の名前をだせば、ドクターコートを貸してもらえる』
しばらくして俺だけに。
『お父さんがいる。司令官とグレイもいる。月を抑えて』
「藍菜とウラミルフがいるけど病院だからね」
「うん」
ちょっと不安だけど、俺は受付で偽造免許証の名前を記入する。夢月は『
「望月って十五夜のことなんだよ」
「ふうん」
二人はエレベーターに乗る。
***
清見さんは点滴のチューブをつけて、痩せ衰えて目を閉じていた。我慢しようと思っていたのに、視界が潤んでぼやけてしまう。
「……教授」藍菜が白衣の落窪さんに声かける。
「大勢で押しかけて申し訳ございません、ぐひひ」
落窪さんが思いだしたように父親へ頭を下ろす。
「息子さんの症状は事例があります。狭いですし研修生の邪魔になりますので、外でお話させてください、ぐひひ。語尾の笑いは子供の頃からの癖ですので、気にせずにください。ぐひひひひ」
清見さんのお父さんは、清見さんを太らせた銀行員って感じだった。車椅子の櫛引博士に深く礼をして、町田さんにも礼をして、落窪さんと一緒に退室する。すぐに町田さんも藍菜に会釈して部屋をでる。
藍菜も博士の研究室の学生を演じていた。二十一歳の娘だものな。某組織の前線司令官よりは、医大生のが通じやすい。
「不審そうだったな。竹生の派手な髪の色。陸奥と相生はいきなり泣き出す」
櫛引博士が鋭い目で全員を見る。
「いやいや、一番怪しいのは落窪さんですよ。お父さんは壺を売りつけられそうな顔をしてましたよ」
藍菜がからから笑ったあとに。
「夢月ちゃん、来てくれてありがとうね。今日は一段とかわいらしくて、またまた妹にしたくなっちゃった。服装によって見違えちゃう……。それよりも相生智太、泣いている暇があったら博士に挨拶しろ。毎回言われてないか? 清見さんが嘆くぞ」
まったくもってその通りだ。
「本当にありがとうございます。清見さんはいかがですか?」
「私は君たちのために名前と体を貸しただけだ。彼を見に来たわけでないし、専門でもない」
「清見さん」と柚香が枕元に移る。「守れなくてごめんなさい。逆に守られて……。お礼を言いたいです。だから目を覚ましてよ……」
水色のドクターコート。黒髪。赤らんだ目。そのまま泣き崩れる。
やめてくれ。俺まで泣いてしまう。ほら泣いた。
「清見さんの報酬は知性だったらしいです。それを奪われて、脳の活動が極度に低下したなんてあり得ますか?」
藍菜は冷静だ。彼女は椅子に腰かけている。
「私には分からないが、形だけでも脳波などの資料を見させてもらった。そちらに異常はない。――長居はやめよう。夏目は父親を呼んで来なさい」
「早いですって。予後をどう説明されますか?」
「陸奥、どいてくれ」
櫛引博士は車椅子を清見さんのそばに寄せる。その顔を見つめる。手を伸ばし、彼のまぶたをひろげる。
「仮説ならばある。それが正しければ、彼は二度と目を覚まさない。だが、それが正しければ、彼を連れ戻すことはできる」
「意味がよく分かりませんけど、清見さんを回復できるのですか?」
柚香は車椅子にすがろうとする。
「あくまで仮説だ。実践でしか実証できない」
話が難しくてついていけないけど。
「連れ戻すと言いましたよね。清見さんはどこにいるのですか?」
清見さんの魂は。
「もし報酬が知性でなければ――。おのれへの自信であったならば、それを失った彼は、怯えて自分の中に閉じこもっている」
櫛引博士が俺を見つめる。
「あくまでも仮説だ。殻から引きずりだせるかもしれないが、より深みに嵌まるかもしれない」
清見さんの報酬は知性でなく自信……。
『私の報酬はおそらく知性』
まだレベルが低かったころ、やや自信なさげに教えてくれた。隼斗の病室でも、多弁になるのを恥じていた。でも『昼は蝶』では、本部の人間相手にもずけずけ言えるようになっていた。エリーナブルーも自信に満ち溢れた女秘書のようだった。
柚香をぼろくそに言ったこともあったよな。それがバクサーと戦い報酬を奪われた後は、おどおどした態度に変わっていた……。
「あり得ます。どうすればいいのですか」俺は聞くけど。
「仮説と言ったはずだ。これ以上意見を言えば、私の責任になる。君たちで決めるべきだ」
そう言うと櫛引博士が振りかえる。黙ったままの夢月に目を向ける。
彼女は涙をこらえていた。清見さんと柚香を見ていた。
空を覆うほどの圧倒的な正義の怒り。彼女から感じた。
***
くしゃくしゃな顔の柚香は、洗面所に行くように指示された。今後は若き研修生である彼らが経過観察に来ると、博士は父親に告げた。関係する財団の援助により無償で看護師をつけますと、藍菜が町田さんを紹介した。
退去する櫛引博士の車椅子を俺が押す。
「相生は無口だな」
二人きりのエレベーターの中で、櫛引博士が振り向かずに言う。
「陰と惨に気づくのが先か、目を覚ますのが先か。何も起きぬか」
謎かけは相手の知的レベルに合わせて欲しい。俺は中二の女の子より……、洞谷湖佳がいた。あの子の少々ねじれた頭脳ならば、言葉遊びの謎を解けるかも。
ドアが開く。車椅子を押しながら尋ねる。
「報酬はどうやって決まるのですか?」
「精神エナジーがおのれの心身へと望んだものを受けとる」
「仮面ネーチャーは現金ですが」
「若い頃は違った。夏目と同じで献身だった」
有り余る金運財運が献身だと? たしかに利益のほとんどを寄付しているけど、全額ではない。
「じつは、俺の報酬が性フェロモンであることに納得できないです。なぜあんなのになったのですか?」
自分ではわからない。たしか夏場は胸ばかり見ていたけど、女にモテることに固執していなかった。と思う。
「自分で考えるのを放棄すると伸びないぞ。それでいいのか?」
「はい」
俺の頭脳に伸びしろはあまりない。
「これは仮説でないかもしれない。
相生の精神は正義のための見返りを拒否した。無償の正義を望んだ。なのに
恥ずかしがるな。子孫を残すために、生存欲と同じで誰にでもある。……焼石はそちらを選んだのだろう」
生き延びるための、生身での力。
焼石嶺真も正義のための戦いで報酬を拒絶した。おかげで生き延びようとする本能が力を求めた。そのため高圧電流に耐えられるほどの体を得た。おれもそっちのが良かったけど、俺のがエロいってことだろう。
だとしても、あの女はそれを悪に用いている。
病院の搬送口で、車の到着を待つ。
「相生は無口すぎる。私もひとり言をしてしまうが、聞き流しなさい」
車椅子の老人が前を見たまま言う。
「怯えた精神エナジーを無理やり戦いに引きずりだす。勝利を収めて報酬を受け取る。だが、あまりに危険だ。弱ったエナジーは戦場の匂いを嗅ぐだけで消失するかもしれない。そうなったら、精神は完全なる死を迎えるだろう」
黒いバンが到着して、若い男たちに博士を引き渡す。
「本部の戦闘員ですか?」
雑魚扱いは失礼だったかも。口にだしてしまったからどうにもならない。
「私たちは中立です」
男たちは俺と目を合わせようとせず、車は去っていく。俺は博士の言葉を反芻する。
弱りきった清見さんを無理やりエリーナブルーに転生させ戦わせる。そういう意味だろう。だとしても一人でなど戦わせない。強烈なサポートをつける。スカシバレッドほどに。
病室に戻っても清見さんは眠ったまま。柚香はまた泣いている。
彼女と目を合わせてもいない。無口すぎる俺。なんでもいいから言葉をかけろ。心の奥が叫ぶけど、何を言えばいいのだろう。
「昨日は残念でしたね、ぐひひ……」
落窪さんが俺に声かける。
「今夜が終わったら、俺の家に顔だしてもらえますか?」
「あの方にお聞きください」
「よきじゃないですか。――お父さんがトイレから戻ってきたら私たちも移動します。町田さん、よろしくお願いします」
俺は清見さんの手を布団からだして握る。冷たい手……。俺がすべきことは決まった。
「柚香、ごめんなさい」
病室で夢月が初めて言葉を発する。
「私は蘭より智太君より、お婆ちゃんより柚香がずっと好き。ここに来て分かった。ごめんなさい。やっぱり一緒に戦お」
柚香は振り返る。俺を見ない。夢月だけを見る。
「ハデスブラックと? だったら手伝って」
涙で赤い目に挑むような笑みを浮かべる。