35 すべては移ろい変わっていく
文字数 2,994文字
「俺も帰る」俺も立ちあがる。藍菜も茜音も正義じゃない。「岩飛行こう」
千由奈が言葉を見つけられずに俺を見上げている。知ったことじゃない。
その向こうに座っていた柚香まで立ちあがる。
「またなの! いつもいづも、こでは清見さんのためだべ? なんで我慢でぎねぇの!」
俺をにらむ柚香はそれでもかわいくて、その目に涙が溜まってくる。それでも……。
「あの人は俺と柚香だけで救おう。こんな戦いで復活できない」
「また話を聞いでねぇ――聞いてないね。メッセージも読んでないね。司令官が櫛引博士と話し合った。私や智太君みたいなレベルが圧倒している者と一緒だと、あの人は委縮する。それだげで消滅するかも。だから、むしろ大人数でがやがやするのがいい。できれば本格的な戦いの隅っごにいさせるがいい。守られながら戦いを見る。あくまでも推測だけど、こっちに帰っでぐる可能性がある」
「柚香。私はちゃんと聞いていたよ」
夢月がスマホをいじりながら言う。
「青モスさんを守るのはトビーちゃんだよね。おおきいペンギンさんが横にいれば、あの人は怖がらない」
スマホから目を離す。俺たちを見る。
「だからトビーちゃんは帰らないで。一緒に青モスのために戦おう」
挑むような眼差しではなくて。
「昔に嫌なことがあったなんて、みんなそうだよ。気にしちゃだめだよ」
岩飛へと笑いかける。
お姫様が強がりを消し去った一瞬。
ただただ、俺はテーブルを飛び越えて夢月を抱きしめたい衝動をこらえる。その笑みだけを焼きつける。
「……そうですね。ペンちゃんと一緒ならば、誰も怖がる必要ないですね」
岩飛が座る。
「ペンちゃんはこれからも道化を続けますよ。だから、古い仲間を裏切らせるのはやめてください。お願いします」
藍菜たちへと頭を下げる。
千由奈から不機嫌オーラを感じる。でも彼女は夢月の顔色だけをうかがっている。俺たちの前に座る司令官とその参謀と同様に。
俺と柚香だけが立っていた。俺への柚香の視線も感じる。それでも俺は夢月から目を離せない。夢月が俺の目線に気づく。にっこりと微笑みかける。
****
千由奈と岩飛より先に、俺はバイクで帰る。柚香は夢月を引き連れて清見さんのもとに向かった。茜音もついていった。藍菜は行かなかった。
「陰と惨。俺と夢月の特性。この意味って分かる?」
湖佳に尋ねる。
「帰ってくるなり。相変わらずおのれの都合とペースだけで生きてますな」
一階の食事テーブルには俺と湖佳しかいない。いつものつなぎのジーンズ姿の湖佳は、桧が勉強している二階をちらりと見た後に小声で尋ねてくる。
「それより桧殿の特性を教えてください。司令官は隠しました。リーダーである千由奈にだけ教えた。そして千由奈は、私よりも信頼するあなたにだけ教える。一つはおそらく、ああ“月”でしょう。もう一つは……原理主義ですか?」
聞く必要がないほどに図星過ぎるけど。
「千由奈は俺なんかより湖佳を信頼している」
「そうしておきましょう。もう一つは?」
「……悲哀の哀」隠す意味がない。
「卑猥の猥?」
「哀愁の哀だ」スマホで哀がつく字を調べていた。
湖佳から安堵を感じた。
「微妙ですが、ネガティブではないですな。……大司祭長の呪と同様に」
根拠は知らないけど、俺まで安心してしまった。
「教えていただいてありがとうございます。ならば陰と惨ですが……そのまま陰惨なんて回答を求めているわけでございませぬな。……ふむふむ。複雑に考えすぎずに。少しお時間を下さい。考えをまとめてみます」
「ただいま」と二人が帰ってきた。キッチンに来るなり。
「大ニュースがある。トビー、桧を呼んで来い」
千由奈が椅子に座る。岩飛が二階にどたどた走る。彼女の本名は水越彩夏らしいけど、これからも岩飛でいいや。
「私は地頭がよくないから勉強しないと成績を維持できないんだよ」
中間試験で後ろから数えるほうが早くなってしまった桧が降りてくる。トレーナーにジャージ姿。
「それでも智太さんの大学ならば余裕だろ」
千由奈が失礼を言う。
「それよりもだ。司令官が部屋を格安で貸してくれることになった。中古だが文京区某地下鉄駅の4LDKのマンション。一人一部屋だ。これで智太さんも庭や台所で寝ずに済む」
みんなは喝采を上げる。俺は飴と鞭という言葉を思いだす。『そこまで拘束されたくない』茜音の言葉も思いだす。というか俺の大学の至近じゃないか。だったら俺に下宿させろよ。
「通学時間はあまり変わらないな」
桧がスマホで調べた後に俺を見る。
「お兄ちゃんは一人になっちゃうね」
瞬時に決まったようだけど、痛烈な寂しさを今から感じてしまった。
「クロ子がいるから」それだけ言う。
「えー。クロちゃんも連れていきたいっすよ。最近はいつも私の部屋で寝ていますし」
「ならばトビーもここに残れ。いつでも引っ越していいそうだが、今日が終わってから詰めよう。さっそくブリーフィングを始めるか」
「そうですな」
女の子たちがテーブルを囲んで真剣に話しだす。俺は空気になりかけて、作戦をまじめに聞く。あの後は、なんだか夢月しか見ていなかった気がする。なにも覚えていない。……非常階段の踊り場で巫女を見たあとみたいに。
****
バイクだと後が面倒だから、岩飛と電車を乗り継ぎ江戸川区を目指す。
七時でもう暗い。季節は移ろい変わっていく……不穏な空気が漂っている。病院の前で夢月と合流する。昼間と同じ服装。よその若者と同様に、彼女を直視できない。心臓がどきどきする。
「私は行かないほうがいいんだよね。見てもいけないんだよね。じゃあ待機しているから」
精神エナジーを怯えさせる
「この後、俺たちと清見さんがいなくなります」
「大丈夫です。誰も入れません。ご家族にも連絡済です」
以前、普段着に着替えた町田さんを見かけた。でっかいダイヤの指輪を嵌めていた。宝石のコレクションを増やしたいのならば、この部屋を意地でも死守するだろう。彼女は岩飛にも会釈して部屋を出る。五分後に再び入室して鍵をかける。
「始めよう」
俺に言われて岩飛が靴を脱ぐ。清見さんに添い寝する。
俺を見る。
「味方になってくれて、今日は嬉しかったです。めちゃくちゃ嬉しかったです」
それから清見さんを優しく抱く。
「さあペンちゃんと一緒にでかけますからね。怖くないですよ。あなたがよく知っている強くて優しい人も一緒ですからね」
母親のような声。その手に黒いマントが現れる。二人へとかける。俺は目を逸らす。もういいですよと言われる。ビキニ姿の岩飛の隣に、エリーナブルーが眠っていた。
骨と皮だけじゃないか。こんなのブルーじゃない。目も開けてくれない。
俺は手に仮面ネーチャーの端末を現す。
「仮面スカシバレッド降臨」
小声で言う。正義の美女が現れる。
柚香も白巫女になり、窓を開ける。かぐや姫が乗るミカヅキリムジンが待機していた。
「清め給へ、隠し給へ」
深雪がみなへと御幣を祓う。本来ならばスパローピンクのコノハのがいい。でも小さすぎてエリーナを乗せられない。深雪がふわりとミカヅキに乗る。
「起きてください」と、俺はエリーナブルーの頬をやさしく叩く。
南極トビーに抱き起こされて、彼女はうっすらと目を開ける。