23 ペンギンやヒマワリといても
文字数 3,943文字
「了解です」
「……前言撤回。彼女も好きにしろ。どうせドラゴンは媚びない。好き勝手に正義を貫け。じゃあな」
俺と岩飛を見送った藍菜が玄関のドアを閉める。平日の六時二十分。人目を気にしつつ、目隠しをした岩飛がバイクのシートに乗るのを助ける。
藍菜によると、バイクを転送させると行き先が仮面の二人にばれるそうだ。転送先で人を下敷きにするかもしれないし。
「落ちないように」
エンジンをふかして朝の広尾を疾走する。岩飛がしがみつく。胸の感触……貞操シールドも解除されていた。柚香だと密着してもどうだろう。なんて思っている場合ではない。
***
「私のヘルメットが無かったからです。それとナンバーが上に折れているからです」
白バイやパトカーに追われたので、四谷の路地裏から転送して逃げる羽目になった。どうせ自宅なんて真っ先にチェックされるからどうでもいいや。
出現を近所のお婆さんに目撃されたけど、びっくりされただけだった……。あのお婆さんは正義の対象じゃないか。
「桧! また徘徊している!」家に声かける。
桧が制服姿で現れる。朝講習の日か。
「……今度は誰?」
女尽くし。メッシュのヘアで目隠しされた大柄女性を見て、さすがに呆れている。
「こいつは捕虜。お兄ちゃんは朝御飯いらない。急がないとお婆さんがまた行方不明になる」
「もう」
桧が駆けていく。後ろ姿も愛らしい。
赤いバイクを自宅庭に引きずり、お婆さんを住まいに連れていった桧が戻るのを待つ。通勤通学の人からの視線を感じる。これだってどうでもいいや。岩飛のアイマスクをはずす。
岩飛は俺を見て、嫌悪露わな顔を慌てて逸らす。……リカバリーの報酬が足りないようだ。カバンからサングラスをだす。ため息は我慢する。
「レッド!」
ママチャリが俺の前でブレーキを鳴らした。汗だくの芹澤が乗っていた。岩飛をちらりと見たあとに。
「この地点は個人的好奇心で調べていました。申し訳ございません。貴殿に告げたいことがありますが、彼女は例の捕囚ですよね?」
キラキラした瞳で直立不動で敬礼する。ゴミ出しのおばさんの目線が痛い。
「知っているから言わなくていい」
「了解です!」
「また女かよ」
桧が戻ってきた。正義の味方を勘違いされそうだ。
「お兄ちゃんは千葉県に行く……」
桧と母こそ守るべきか? 不要だと思え。俺にだって味方はいる。その二人と会ってきたばかりじゃないか。
「芹澤も一緒に行こう」
「はい!」
司令官の言いつけ通りに、キラメキグリーンを巻き込む。
***
桧は家にいったん戻り、三人でバスに乗る。スタイル良くても汗くさい美女に挟まれる俺に、羨望の眼差しはあまり届かない。若い女性の舌打ちがたまに聞こえる。サングラスの効果が薄い。ヘドロすくいはあまり意味がなかったみたい。
「俺を見てどう感じる? 率直に言って」
「素敵です。寛大で慈悲にあふれています」
目を逸らす岩飛に聞くのも意味なかった。
「それより、ご兄弟で変身なされるのですか? 妹さんのエナジーは恐ろしいくらい」
指摘されなくても、今朝は俺でも気づいた。桧は目覚め始めている。そんな予感がするけど、こんな泥々の正義に参加させるはずない。
「私はどうですか?」芹澤が聞く。
「真夏の太陽のように眩しいです」おべっかを返しやがる。
***
駅からタクシーで船橋に行くことにする。カバンには五十万円。自腹だから領収書は不要だ。芹澤には、助手席から運転手にとにかく話しかけてと命令しておく。
「穴熊パックの居所を確認したら解放する」
岩飛に告げる。清見さんの住まいに連れていけるはずない。
「船橋は私の思い違いでした。彼女は奥多摩の別荘地で集団生活をしています」
えーと……。この女は、でたらめをしゃあしゃあと言いやがる。藍菜に聞かされたことを体感できた。痛めつけて聞きだすなんてしない。押部諭湖を守るためだよとか、説明も面倒くさい。
芹澤と運転手はプロ野球の話で盛り上がっている。日本代表のオーダー。俺も加わりたい。
四番より一番打者こそ大事だろ、運転手さんセンターラインは名前で決めるべきではないですって、持論を述べたい。
でも……と、岩飛が忘れたころに口を開く。
「あの子は親衛隊の中でも別格でした。親を捨て、本宮が住まいと聞いています」
「その場所は?」
芹澤がいきなり振り向く。流れ星のごとく一本槍な質問が突き刺さる。
「ハ、ハーバーランドの……」
岩飛はそこで口を閉ざす。……今の話の流れは真実と、野生の感が断言する。謎に隠された本宮は神奈川県のどこかにある。
誰もが横浜と川崎だけと思いがちだが、三浦半島も丹沢湖も神奈川だ。大田区よりずっと広い。どっちにしろ本宮を訪ねるのは色々困難そう。
でもこれで彼女は不要。厄介事はシンプルに減らしていかないと。
「運転手さん、とめてください」
両国手前で俺と岩飛が降りる。
「俺の家族に危害が加わったら、お前の責任とみなす」
サングラスをはずし本気でにらむ。
「おえっぷ……。あの場所はもう忘れました。それよりマントは? スマホは?」
「捨てた。物理破壊した」
人の真顔に吐き気をもよおしやがったが、正直に答えてやる。代わりに二万円渡す。アグルさんに返せと言われるかもしれないから、手元にあるうちにどんどん使おう。
「私はこれからどうすればいいのですか?」
「鳥取にでも逃げろ」
「私は砂アレルギーです」
「だったら好きにして」
「布理冥尊に戻っていいのですか? 解放された理由は?」
「スカシバレッドはペンギン好きだから。それじゃあ」
後部座席のドアを閉めながら気づく。あいつは戻るために、俺の住まいや顔だちや妹のことを端から言うかもな。布理冥尊は俺の家族に容赦しない。
避難させるしかないか。母もクロ子も。場合によっては祖父母も。桧は……。
隅田川の橋を渡るタクシーで、芹澤が野球談議をまた始める。所沢の球団に偏っているから、沿線住民でも面白くない。俺は陸さんに電話する。すね毛が生えたとぼやかれた。
『お店はしばらく無理です。隼斗君のお見舞いに行きたいですけど、清見さんもそれを望むでしょうけど、とてもまだ……。
柚香ちゃんは私を守りました。二度目です。二度とも私は死にましたけど、あの子が生き延びたのが救いです。
レッド。何があっても柚香ちゃんを守ってください。弱いイエローの代わりに』
「了解です」
強いイエローに心で敬礼しながらスマホをバッグにしまう。着いたら起こしてと、芹澤に頼み目をつぶる。
***
目的地から十分以上離れた場所で降りる。結構な料金だった。
芹澤の情報だと、清見さんは実家も船橋市内だけど、正義の味方で家族に迷惑かけないように一人暮らしをしているらしい。忙しくてバイトもできず、学資金や親への借金が膨らんでいるとのこと。俺は何も聞こうとしなかった。悩み事は端から相談していたのに。
迂回して二十分かけてアパートに到着する。
築何十年の昭和って感じの二階建て。赤ん坊が泣いている。クールなイメージの清見さんに似合わない。路上駐車していたセダンの助手席ドアが開いた。ガイアさんが俺を睨む。
運転席から降りたアグルさんが周囲を確認したあとに、後部座席から手錠をかけられた岩飛を引きずりだす。
「そいつは新入りだったな」
ガイアさんは芹澤も睨み。
「相生。貴様が真っ先にここに現れたなら、俺たちはお前を信じる。そう決めた」
「つまり、僕たちはまだ君の仲間だ」
アグルさんがさわやかに笑う。
どんな言葉を返せばいいのだろう。
「ありがとうございます。でも見舞いに行かせてください。それと、そいつは解放してやってください」
「「はあ?」」
二人の呆れたハモり声を聞きながら、清見さんの部屋に向かう。
「ピッキングしてやる」
ガイアさんはごつい手なのに器用だ。
「あの女は夏目に押し返す。それで妥協しろ。ふん!」
チェーンを引きちぎる。ゴリラパワーだ。
「お邪魔します」
「清見さんおりますか?」
俺と芹澤が入る。……部屋干しの匂いに別の匂いが混ざっている。バストイレ付きワンルーム。几帳面な性格丸出しの部屋。女の気配はなしだと思う。狭い机にパソコン。本棚に難しそうな本がいっぱい。イングランドサッカーチームのタペストリー。高校サッカー部の壁掛け写真。ダンベル、充電器。吐しゃ物とかで汚れたベッド……。清見さんはいない。
自分が死んだ時を思いだす。
「トイレでしょうか?」
「芹澤も外で待っていて」
彼女は従う。俺はユニットバスの扉を叩く。
「清見さん……。開けますよ」
開けたくない。でも鍵はかかっていなかった。
狭いバスルーム。便器の中が真っ赤。血を吐いたのか。清見さんはトイレと浴槽の隙間にいた。意識があるはずなく、小刻みに震えていた。紫色の肌。チアノーゼだっけ……。
「芹澤。救急車を呼べ」
清見さんを抱き上げながら言う。
「俺の車を使え。医者を知っている」
ガイアさんが背後にいた。
二人で抱えて、車に乗せる。涙がとめどない。
ガイアさんの運転でサイレンを鳴らして発車する。覆面パトカーだったのか。なんでもいいけど涙が止まらない。
芹澤も助手席のアグルさんも言葉を発しない。
「原理主義の仕業ですね」
目隠しして後部座席の足もとに転ばされていても、岩飛は気づく。
「私も戻れば見せしめで喰われるかも。実際に執行されたのを見た。怠慢行為など口実で、単に隊長の欲望のままに……」
こいつが怯えようが知ったことか。俺は芹澤と二人で清見さんを抱くだけだ。どっちもカスカスのエナジーで虚勢を張っているだけでも、人肌のぬくもり。
絶対に赦さない。