雅17〈2月23日(水)、3月5日(土)〉

文字数 8,736文字






  一

 視覚情報が全体の八割を占めるというのは本当のことらしい。まだ中に足を踏み入れていないにも関わらず、今目にしている映像だけで脳の機能八割が停止する。加えて起こったのは嗅覚による拒絶反応。
 錆びた鉄のニオイ。
 噛みしめる。それでも進もうとする思いは目的のため。
〈雅ちゃん〉
 顔を上げる。悪い、と高崎先輩が言った。
〈本当はこんなことしちゃいけないのは分かってる。何が何でも雅ちゃんだけはここに連れて来ちゃいけなかった。でも時間がねぇんだ。頼む。とにかくアイツらを〉
 口呼吸。ゆっくり息を吸って、止める。落ち着け。怖くない。うなずく。
〈目的のため〉
 そう、全ては大切なものを守るため。

 それは三十分前のこと。高崎先輩から緊急の連絡が入った。女手が欲しいという。連絡とほぼ同時刻に家の前に車を止めて、あたしを乗せると目的地に向かう。
〈真琴ちゃんが巻き込まれた〉
 シャレになんねぇ、と言うとハンドルを切る。
〈サツ呼びゃ話早いんだろうけど、真琴ちゃんの親父警官なんだろ? とにかくテメェでできる限りのことをする〉
 そんでムリだったら呼ぶしかねぇけどな、と言うと脇道に入る。ものすごい早さで進むルートに見覚えがあった。
 入り組んだ細い道。この先にあるのは二年前、男達に襲われた廃墟。そこは同時に
〈頼む。とにかくアイツらを助けたいんだ〉
 飛鳥様に助けられた場所でもあった。


  二

 あれから二週間弱、二月最終水曜日の放課後。真琴を生徒会室に呼び出した。長らく包帯を巻いていた手の血色は戻り、外見だけなら完治と言ってよかった。
「失礼します」
 そう言って腰掛けたのはいつも水島が座る位置。ここから約三メートル。あの子はこの距離を「きちんと話をするため」と言っていた。真琴にとってもまた、それは適切な距離なのだろうか。あたしは静かに息を吐くと指先を組んだ。
「・・・・・・リカさんは飛鳥様の前の彼女よ。飛鳥様はもう会わないつもりだったけど、彼女の側はそう思ってなかったみたい。それであなたに当たった。あなたが気にすることではないわ」
〈アスカを返して!〉
 脳裏に焼き付いた金切り声。本当に大切なものを守ろうとする時、人は人でなくなる。コミュニケーションのとれない、一獣と化す。リカさんの暴走は決して彼女だけの問題ではない。あいまいなままの関係が彼女に有りもしない夢や希望を抱かせた結果でもあった。
「でももう大丈夫。きちんと話をしたみたいだから。あんなことはもうないわ」
 生殺し。
 飛鳥様はやさしい。来る者を拒まない。そうして去る者も追わない。来る者が留まるということを想定していないやさしさを愛と見まがう。報われない想いに重なる時間。いっそ「要らない」と言ってくれればラクなのに、それができない。居心地の良い空間に甘やかされた、それは自分へのやさしさだ。
 本物は奪わない。ただ与え続ける。そのことにやっと気づく。だから
「・・・・・・以前『男の人を怖いと思ったことはないか』と聞きましたよね。その意味がようやく分かった気がします」
 続けようとした言葉を飲み込む。白い天面。真琴は机を見つめたまま口を開いた。人形のような頬。
「他力。自分ではあらがえない影響力のことをおっしゃっていたんですね。幸か不幸か私は自分の見たいものだけを見てこられたので、長らく分かりませんでした」
 目を閉じて、開く。光をはじき返す黒髪に浮かぶ天使の輪。その小さな身体から何かが生まれようとしていた。新たな感情が色づく。
「向かい合おうと思います。今感じている思いの正体を知るために」
 色づく。教えるなら今だと思った。否、そう思って飛び込まなければ一生その機会はない気がした。
「・・・・・・丁度良かったわ。ちゃんと向かい合う上で、あなたに伝えておかなければいけないことがあるの」

〈あ、そういえば雅ちゃん、例の『依頼』した件どうなった?〉
 それは廃墟の騒動から一週間、飛鳥様にリカさんとの関係を聞きに行った同日のこと、カーテンの反対側にいる、ほぼ全身包帯で巻かれた鮫島先輩に呼び止められる。
 ナイフを突きつける背後から突きつけられたナイフ。不意打ちに息を呑む。
〈自分だけイイ思いするのは良くないよね。ちゃんとやることやってからやってね〉
 容赦ない。その目は逃がす気などない。うなずくより他なかった。

「自分のパートナーの長所を聞かれた時、女の子って決まって『やさしい所』って答えるじゃない? ずっとありきたりだと思ってたけど、あれって真理なんでしょうね。本気になられたら敵わない、あらがいようがないから、付き合う段階で『本当にこの人を信用できるか、いざというとき思いやってくれるか』真剣に見定める必要があって、
 私も男性は皆ヤリたいだけと思ってたけど、そう思わせないでいられるっていうのは裏に相応の労力が発生していて、その結果自分の目に狂いはなかったと分かった時、心から出る本音が『この人はやさしい』」
 ねぇ、あなたはどう思う? とうつむく鼻先に問う。
『依頼』を終えた所だった。言葉を選んで口にする。真琴困ったように眉を下げると、なんとか口角を上げた。
「・・・・・・師匠が言ってた」
「え?」
「いえ・・・・・・下手したら相手を犯罪者に仕立て上げてたとこだって」
 前途ある若者のミライどうこうの件に違いない。いずれにしても
「・・・・・・そういうことだから、相手の気持ちを受け入れるってことは同時にそういうことでもあるから・・・・・・あたしから聞くの嫌だったでしょうけど、もしもの時のためよ。勘弁して頂戴」
「じ、じゃあ」
 それは素直に思ったことだったのだろう。
「鈴汝さんはもう水島君と」
「・・・・・・っとしてないしてないしてないしてない! やめなさい。聞いたところでお互いデメリットしかないじゃない」
「ふっ」
 思いも寄らない慌て方をしたのがおかしかったのか、真琴は口元にこぶしを当てて笑い出した。揺れる肩。心底楽しそうな笑顔は、どこか偏って見える。
「鈴汝さんこそ、もう大丈夫ですよ。嫌な思いをさせてすいませんでした」
 何気ない一言が突き刺さる。
 この子のため? ウソだ。あたしは自分の保身のために動いていたに過ぎない。この子が水島でない誰かとくっつけば安心できた。何て浅はか。とがめられるべきは、むしろあたし。
「鈴汝さん」
 顔を上げる。一瞬差したかに見えた黒い影。
「幸せになりましょうね」
 ウィンウィンですよ、と両の指先を動かす。その笑顔はいつもの真琴だった。


  三

 日が長くなった気がする。十六時を回ったところで部室に着く。同じ時間帯でもつい最近までもうあと一歩で沈む勢いだった夕日が、今では両肘をついたまままっすぐ目を合わせる位の時間的余裕を見せる。
 三月始めの土曜日。体育館の扉という扉すべてが空いていた。バスケ部はまだ練習中なのだろう。着替えを済ませて携帯を取り出す。
 長くなった日の橙に勘違いしがちだけれど、制服のスカートを通り抜ける風はまだまだ冷たい。肌寒さに身震いをする。
 水島から連絡が入ったのは昼間のこと。一緒に帰りましょうと言うからには終わる時間がかぶると思っていたが、そうとは限らないようだ。西風から逃れるためにも体育館の東側に向かうと、丁度目の前の扉が押し開けられた。出てきたのは背の高い、愛らしい目をした人だった。どことなく柴犬を連想させる。近づきやすそうな雰囲気。声をかけてみる。
「水島?」
 手にしたジャージを羽織る。学年色緑。同回だった。クラスが違えば分からないものだ。そのまん丸の目を目一杯見開く。顔が近い。思わず一歩後ずさる。少ししてようやくその焦点が合った。
「あ! 生徒会の!」
 その後「どうりで見覚えがあると思ったんだよねー」と言いながら、扉に手をかける。
「水島」
 結構な大きさの声だった。急に恥ずかしくなる。丁度片付けが終わった所のようで、次々と部員達が出てくる。すれ違いざまに視線が集まる。しまった。こんなつもりではなかったのに。
「今来るからちょっと待っててね」
 側頭部の刈り上げ、額を上げた短髪。飛鳥様ほど雄々しくないが、キレイな横顔の人だった。館内から響く声。おそらく部長か副部長なのだろう。声の出し方が統率者だった。再び扉が開く。出てきたのは水島ではなかった。
「え、ちょっと待って。え、水島と・・・・・・え?」
 犬顔の同級生を筆頭に出てくる部員達。
「ウソだろ? アイツやりやがる」
「いや、絶対アイツの思い込みだって。ないない」
 あっという間に取り囲まれて身動きがとれなくなる。穴が空く程強い視線の数々。
「え、本当? 水島の彼女って」
 戸惑いながらも一つうなずく。その時だった。
「何やってるんですか! ちょっと! 離れて下さいむさ苦しい!」
 たくましい肩をかき分けるようにしてやっと現れた水島は、あたしの前に立つと「お疲れ様です! 今日はもう帰ります!」とあたしもろとも回れ右をした。
 ざわついていた一帯が一転、静まりかえる。その落差が妙に不気味だった。頭を下げると小声で耳打ちする。
「あんた先輩に向かって何て口の利き方してるの。大丈夫なの?」
「言ってる場合ですか。あーびっくりした」
 言いながら押していた肩を放す。あたしはその部室の近くで道を逸れると、少し離れた所で出てくるのを待った。その後わずか数秒。すさまじい早さでとんできたのはさっきの部員一同だ。勢いもそのまま部室に突っ込む。多少距離はあるが、その声はここまで届いた。
「捕まえろ! 絶対逃がすな!」
「クソ生意気なヤツめ! お前なんかこうだ! こうだ!」
「一回のクセに何ちゃっかり女つくってんだよ! こういうのは年功序列だ! 俺に譲れ! 俺に譲れぇぇぇぇ!」
 ポン、とごつい靴が飛び出す。あれはバッシュだ。ポン、とボールが飛び出す。何故か野球ボール。向かいの壁に当たってくぐもった音を立てると、反動で戻っていく。ポン、とカラフルな柄の布地が飛び出す。
「それ俺の!」
 あわてて上半身だけ乗り出した体格のイイ男性は、それを掴むとすぐさま引っ込んだ。たぶんあれはパンツだ。どういうこと? 一体中で何が起こってるっていうの?
 次にポン、と飛び出したのは水島だった。
「捕まってたまるかぁぁぁぁぁぁ! おぉ疲れさやっしたぁぁぁぁぁぁ!」
 言いながらこっちに向かって走ってくる。勘弁して欲しかった。
「走ります」
 でしょうね。その手をとると、ついて走り出す。
「逃がすな追えぇぇぇぇぇぇ!」
 砂埃を巻き上げて飛び出して来たのは細身で足の長い男性二人だ。難波走り。長距離想定の走りに特化した人間を送り込むあたり、本気度の高さが怖すぎる。
 自身のスカートの裾をつかんだ。


  四

 校舎の東、二度角を折れると木の影に隠れる。夕日。丁度影が濃くなる時間帯というのも手伝って、何とかまく。息が切れた。
「っもう、一体何なのあなたの部活。どうなってんのよ」
「僕に言ったってしょうがないでしょう。そもそもあなたが高野さんに声をかけたりなんかするから」
 あの犬顔の人はタカノさんというらしい。
「だっていつ終わるか分からなかったから。一応確認しておこうと思って」
 言ったところで大きなため息が聞こえた。その頭をかく。上がった前髪。濃い眉。肉厚な鼻先をつまむ。
「分かりました。今度から終了時間も連絡します」
「別にいいわよ。今日と同じぐらいなら待つわ」
 膝についた肘。こっちを向く。あきれたような目。
 思わず下を向く。確かに二十分も三十分も待っていた訳じゃない。その都度連絡を入れさせるのもちょっと、と思う。どうせ多少は前後するし、逆の立場だったら面倒だと思ったかもしれない。再び聞こえるため息。
「何よ」
 運動した後だからだろうか。その身体をまとう空気が濃い。静かな圧を感じる。一緒の空間にいる事に息苦しさを覚える。
「何よ、じゃないです」
 その手が伸びる。反射で身体を引いた。しかし水島には関係ないようだった。あたしの腰に手を回すと引き寄せる。
「あなた、分かってませんよね? あの場所で待たせたくないと言っているんです」
 水島はすぐ怒る。けれどもそれは自分に課したことを守るための一手段でもあった。
「待ち合わせ場所はその都度決めましょう。毎回同じだと張られる可能性があるので」
 思わず笑ってしまった。
「何て面倒な部活なのかしら」
「全くです」
 その後身体を離して立ち上がると、上着を羽織り直す。そのトレンチの裾がなびいた。鼻先をかすめる香り。この子の持つ匂いは、嫌いじゃない。

「ねぇ、この間のこと、何があったの?」
 きちんとボタンを留めて座る。黒ずくめ。あの日見た男達の姿を思い出す。水島は前を向いたまま口を開いた。
「あの日、僕の所にも草進さんから連絡が来ました」
 外灯は丁度グラウンドの時計台の横。その光がつくということは、それなりに暗くはなってきているようだ。色味が減った分、体感温度も下がる。
「同時送信で高崎先輩。だから内容は全く同じ。それは鮫島先輩を通じた人しか知り得ないものでした。その意味に気づいた高崎先輩が僕に警察を呼ぶように指示して、自分の親に火州さんの家に向かわせました。何でも幼い兄弟がいるとか。家同士が近いのが幸いでした」
「飛鳥様が何らかの事件に巻き込まれてたってこと?」
「いや、正確には分かりませんが、おそらく自業自得かと。復讐という言葉を耳にしました。別途受信したGPSの情報で高崎先輩も事件性の高さに気づいたようです」
「あなたはそれで、警察を呼んだの?」
「いえ、草進さんの父親が警察官なので他の手を考えました。結果、鮫島先輩の私物をいくらか拝借しました」
 乗り捨ててあった原付を使ってその家に行き、飼い犬をおびき出す。確かに下手に人が凶器を持っているより、言葉の通じない天然のキバの方が恐ろしい。
 その後は自分の見たとおりだった。飛鳥様と鮫島先輩を乗せた車を発進させると、水島も原付で後に続く。
「後で迎えに来る」と言い残し、リカさんとあたしと真琴はその場に残されたのだった。


  五

「その後、二人の容態はどうなの?」
「信じられない程元気ですよ。あの人達、本当人間じゃない。もう普通に歩いてますからね。看護婦さんの目を盗んで、点滴片手に走ったりしてますからね」
 悪態をつく横顔はどこかうれしそうだ。始め見たときどうなることかと思った分、にくさ百倍なのだろう。
「この間行ったら二人で大富豪やってました。二人で大富豪とか絶対面白くないと思うんですけど、あの人楽しそうにしてました」
 隠しきれないもの。どうしたってにじみ出してしまうもの。
 なんだかんだ言いながら水島は鮫島先輩のことが大好きだ「あの人」が楽しそうにしていることを自分のことのように喜んでいる。
「そう」
 それを少しだけ、うらやましいと思った。
 自分のことのように喜べる相手。それはあたしにとってマリエや
〈鈴汝さんっ〉
 真琴だった。見かける度に近寄ってきた小さな姿。見上げる目。ころくると変わる表情。
「鈴汝さん?」
 気づくと胸を押さえていた。
「何でもないわ」
〈鈴汝さんこそ、もう大丈夫ですよ〉
 日が沈む。紫と藍。星がまたたく。まぶしい外灯。
 本当はあたしから水島との関係を言わなければいけなかった。それがたった一つのあの子への誠意だった。けれどもそれは叶わなかった。言い出せずとも向こうは既に知っていた。
 ウソではなかった。
 飛鳥様が好きだったことも、真琴を妹のように思ったことも。けれども最初にした約束は違えた。ウィンウィンですよ、と真琴は言った。幸せになりましょうね、とも。
「以前も言いましたけど」
 反射した白い外灯。全てを見透かそうとする大きな目。
「何でもないなら、僕がいるとき位何でもないって顔してて下さい。気になるんで」
 隠し事下手すぎでしょう、と言うと膝に肘をついたまま片足を伸ばす。
「で、今度は何なんですか?」
 ごまかしたって無駄だろう。あたしも足を伸ばすと口を開いた。
「真琴のことよ」

 約束を違えたこと、本来自分の口から伝えるべきことを伝えられなかったこと、あの子が他の誰かとうまくいけばいいと思ったこと。一つ一つ取り出すごとにその表情の陰りが強くなった。
「偶然当事者になってしまっただけであって、思い詰める程のことじゃないでしょう」
「でもあの子のことを応援していたのは事実だわ」
「前は、でしょう。それはあくまでその時の話であって、今さら関係ありません」
「今でも妹みたいに思ってるのよ。あの子にとって違っても、あたしは」
「いい加減にして下さい」
 声色が変わる。肘をついていた手で前髪をかく。
「じゃあ何ですか?『自分はあなたの好きだった人と付き合うけど、あなたが大事なことに変わりはないから、これからも仲良くしましょう』そう言いたいんですか?」
「ち、違うわ。そんな虫のいいこと」
「じゃあ」
 息を呑む。その目は冷たい。真剣だった。
「僕と付き合うのをやめますか? それが一番手っ取り早い」
「・・・・・・嫌」
「ならいい加減腹をくくって下さい」
 ほとばしる殺気。これもまた、守るための一手段。
「あなた言いましたよね。一緒に行くと。いつまでキレイでいるつもりなんですか。僕はあなたを手に入れるためなら他の誰にどう思われてもいいと思いました。だから二度と手放すつもりはないですし、そのためにならできる限りの努力をするつもりです」
 目をそらせない。それは覚悟。あの時水島は「一緒に堕ちてもらいます」と言った。不義を認める、と。
「でもあなたの気持ちだけはどうにもできません。半端に手放せるものだとお思いでしたら今すぐ言って下さい。僕は手加減できるほど器用じゃない」
 その目の表面を光がなでる。ゆらめく。
 水島は傷ついていた。音を立てないから分かりにくいのだ。
 その首に腕を回す。
「ごめんなさい」
 冷えた頬。手のひらを当てる。
「ごめんなさい。傷つけたこと、謝るわ」
 その目は下を向いたまま。その頬をはさむ。
「勘違いしないで。半端に手放せるものだなんて思ってない。あなたがいないと困るわ。あたしも同じ気持ちよ」
「・・・・・・軽い」
「軽いかどうかなんて分からないじゃない。少なくともあたしは本当にあなたのことを大事に思ってるの。勝手に解釈されたくないわ」
「証明して」
「え?」
 その手が後ろ髪をつかむ。間近でのぞき込んだ目。
「本当に大事だと思ってるって証明して下さい」


  六

 時計の針は限りなく六に近づいていた。いつもの部活帰りと変わらない。この時期の日の入りは十七時半過ぎ。濃紺の空に星と月が浮かぶ。
「・・・・・・何急に乙女チックなこと言い出すのよ。証明なんてしようがないじゃない。脳みそ内蔵ぶちまけたって無理よ」
「あなたはもっと乙女成分補った方が良いと思いますけど・・・・・・。言うより簡単ですよ。できるかできないかです」
 身動きがとれないのは、決して動きを制限されているからだけじゃない。時にこの子は悪魔のような表情をする。
「今ここでキスして下さい」
「・・・・・・そんなタイトルの歌があったわね。男性が言ってたものではないと思うけど」
「誤魔化さないで下さい。できるかできないかです。もしかしてできないんですか?」
「できない訳ないじゃない。あたしを誰だと思ってんのよ。はい」
「ちょっと待って! 何か違う・・・・・・」
 自分からけしかけたクセに押しやるようにしてよけると、水島は背を向けた。何か違うのはあたしも感じた。どう考えても何か違う。
 冷たい風が流れた。首を縮める。
「ねぇ、聞いてもいい?」
 まだブツブツ言いながらもその頭が縦に動く。
「何で生徒会室に来なくなったの?」

 その後水島の携帯が鳴り出したのは、十八時を回った頃だった。大きな声は小さな機械をまるでスピーカー代わりにして、半径二メートル圏内まで情報を届けた。
「あたしよりよっぽど彼女やってるわね」
「・・・・・・やめて下さい」
 お泊まり会の延期の件。体調を考えたら当然のことだけれど、鮫島先輩は大丈夫だと言って引かなかった。元々二月十日にも予定していたらしく、二回続けての延期は嫌だという。
「言ったって週末いつだってできるのに、何が気にくわないんだか」
「楽しみにしてたのね。確かにお泊まり会なんて小学生の時にやった位だけれど、楽しかったの覚えてるわ」
 お菓子を持ち寄って遊んだ。あの頃のあたし達にとって夜更かしはやってはいけないことであり、普段寝てしまう時間からどれだけ長く起き続けていられるかで悪さを競った。
「いいですよ。しましょうか? お泊まり会」
 サラッと好き放題言い散らかす水島の、校門に向かう足取りは軽い。何の他意もないように見えなくもない。変に構えるとこっちが損する気がした。引っかかったのは以前真琴に言われたことを思い出したためだ。
〈鈴汝さんはもう水島君と〉
「・・・・・・冗談ですよ。鮫島先輩とは仲いいって訳でもないんですが、何か一緒にいるんですよね。相性の問題でしょうか」
 言いながら自転車を引っ張り出す。あれからもう後ろに乗ってとは言わない。
「危ないですから」
「前の彼女の時は失敗したことないって言ってたわ」
 その目を丸くする。その後、静かに頭をなでた。やさしい手だった。
「あなたは生きてますからね。いなくなられては困ります」
 やさしい。けれども底抜けの悲しそうな目。不安、心もとなさ。
 胸が締め付けられる。ああ、これがこの子を好きということかもしれない。
 無意識だった。その手に手を重ねる。
「いいわ。しましょう。お泊まり会」



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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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