聖18〈3月7日(月)、14日(月)〉
文字数 7,465文字
一
「あれ、気に入らなかった? ツブツブ」
「気に入る気に入らない以前の問題でしょうがぁぁぁぁぁ!」
週明けの月曜日、昼休みの屋上。進路が決まった順にいなくなっていく三年生。今残っているのは、後期国公立試験を控えた人達と、
「あれヒンヤリしててキモチいのに。ない自信は装備で補えると思わない?」
「ああ? 誰が自信ないなんて言いました? レベル二で武装必要ないでしょう。ほんと、頭イカれてますね」
こういう人種だ。鮫島先輩は心からうれしそうに「イカじゃないよ、鮫だよ」と言った。この人とまともに話し合おうとした僕がバカだった。ため息一つ、頭を振る。
「で、結局どうしたの? そのままいっちゃった?」
「いく訳ないでしょう。買いに行きましたよ」
歩いて十五分! と言うと鮫島先輩はお腹を抱えて笑った。
「すげぇ! お前捕まんなかったの?」
おっ勃てたまま行くか。
この額に作り続けた根性焼きを思い出す。同時に外に出ることで見えたものも。
「・・・・・・別にいいんですけどね。おかげでいいものが見られました」
「何? 『もうアタシ待てない!』的な立場逆転劇? うぁぁぁぁ楽しそう!」
どこまで腐ってやがるこのハッピー野郎。
「いい加減にして下さい。そんな訳ないでしょう。仮にあったとして言うと思いますか?」
言って、教えて、と自分を抱きしめたまま転がって身体をくねらせているこの人は本当に気持ちが悪い。ため息一つ、バカみたいな話を追いやる。
「月、ですよ」
その目がこっちを向く。一転、興ざめだと言わんばかりの落胆ぶり。でもこちとら別にあなたを喜ばせるために話している訳じゃない。元はと言えば苦情のためにここに来たのだ。だから僕が話す内容は一切の制限を受けない。
「本当に綺麗な月夜でした。あのまま部屋にこもっていたら気づきもしなかった。人工の光がなくてもまぶしいくらいでした」
うえ、とだけ返ってくる。
「あの人、小さい頃していたお泊まり会でどれだけ夜遅く起きていられるか勝負していたそうです。その時の思い出があるからか、無自覚で心が浮き立つようで、踊るように前を歩くんです」
目を閉じずとも眼前にその絵が浮かぶ。白い月。揺れて光に溶け込む髪。大きくひるがえる裾。共犯者のような笑顔。僕を呼ぶ声。
「『
本当子供みたいで、と見ると、鮫島先輩は動きを止めて僕を見上げていた。目が合った瞬間、はじかれたように身体を起こす。
頭をかく。その手が僕に向かって伸びた。
「ねぇ、ケイタイ貸して」
「は? 嫌ですよ」
「お願い」
座ったまま伸ばした手。思い出したのは以前ケンカに巻き込まれた時、無残に破壊された携帯。その時の感情がよみがえる。凄まじい憎悪と、身を切られるような悲しみ。その一つ一つはたわいないことでも、この人とのやりとりの形跡そのものが失われたことに対する憤りは、その後もしばらくくすぶり続けた。それとは別に、本人にとっても大切なデータはあっただろう。
仕方なく差し出すと、鮫島先輩はボタンを二度押して、すぐ様耳に当てた。そんな簡単な操作でつながれる相手は
「あ、雅ちゃん?」
彼女しかいない。目を見開く。不穏な脈を打ち始める心臓。確かに要件こそ聞かなかったが、一体何をするつもりだ。
「『依頼』した件は済んだってコトでいい?」
その後、一拍おいてその口の端がつり上がる。
「・・・・・・オーケイ」
切ると携帯を投げて返す。
「何ですか? 『依頼』って」
「ひじき君は知る必要のないコトだよ」
のそりと立ち上がってそのまま屋内に戻ろうとする。その背中に声をかけた。
「約束、覚えてますか?」
振り返る。分かった。身のこなし方一つで。この人はちゃんと
「絶対に実現させます。一ヶ月後、最高のコンディションで」
「最高のコンディションで待ち合わせ、ね。なまじ時間ある分、パックじゃなくて食いもんレベルでお肌の手入れができるよ」
そうしてヨユーと言い残すとドアを開けた。分かった。身のこなし方一つで。
この人はちゃんと運動できる身体をつくりつつある。僕の言動に疑いのカケラももたない。当然実現するものとして待っている。
生まれる高揚感は期待値。悔しいがこの人相手だからこそ。そのことを素直にすごいと思った。
だからこそ僕は壇上に立つ。おこがましくていい。この人に必ず戻ってきてもらう。
二
ひんやりした風の中に桃色が混じる。校門の桜。一ひら一ひら噛みしめるように舞う花びらは、桜の木自らによる花占い。
当選する、しない。
マイクを調整すると顔を上げる。遠近法。全校生徒の目が集う。
広い体育館。ボールだけ見ていた頃を思い出す。大勢に紛れた味方。円さんも、高野さんも、野上さんも、杉下さんもいる。静寂。ゆっくり息を吸って吐く。
「十二HRの水島聖です。私が当選したあかつきには二点『六十分授業』と『春先の部活勧誘祭』を実現します」
ざわつく。全校生徒分のざわめきは、ともすれば簡単に意思を押し流そうとする。踏ん張れるのは確固たる目的があるからだ。
「まず六十分授業ですが、変更理由としては単純に集中力の懸念と、著しく低下しがちな午後一の授業のパフォーマンスの引き上げのためです。これは先生のせいでも授業内容のせいでもなく単純な消化活動による弊害であり、誰しも共通することです。ならば思い切って生理機能に従おうというものです。現行六十五分の内五分を削り、浮いた時間を使って毎日十三時から十三時二十五分までを昼寝の時間に設定します。午後は午後で部活動開始時刻を十五分早める形になるので、その分早く帰宅できる算段です」
「ちょっといいか?」
手をあげたのは若い男性の教師だ。一斉に視線が反転する。
「集中力が続かないというのは分かるが、浮いた時間を別の授業に当てるというのはどうだ。その時間だけ見たらたった五分だが、年間通じたら約十五時間。三日休みを増やすのと同じだけのロスになる」
教師陣がうなずく一方で、中央辺りからブーイングが起こった。二年生の列だ。教員のすぐ傍に並ぶ一年生の代わりに分かりやすく抵抗する。
僕はマイクを握り直した。
「台風扱いにする、というのはどうでしょう。夏休みをずらしますよね? 先に日付を公表しなければ、生徒側もそういうものだとして受け取ります。それは可能でしょうか?」
再び前を向く。賛否両論。勿論全てが全て受け入れられるとは思わない。
「皆様にも聞きます『夏休み四十日が三十七日になる代わりに、六十分授業昼寝つき』か現行のままか。先生にもお伺いします『六十五分授業を六十分にして、十五分ですが平日早く切り上げる』か現行のままか。投票は今週末ですのでその結果を答えとして受け取ります」
持ち時間は一人三十分。ざわめきを残したまま次へ進む。
「次に部活勧誘祭ですが、その名の通り目的は課外活動の参加人数を増やすことです。怪我や勉学の観点から年々部活動の加入人数が減少しています。なので春先、新一年生から見て魅力的に映るような働きかけの一環として提案します。前年度成績の良かった上位三枠の競技の全員参加型大会を開催。形式、時間は球技大会のものを採用します。そして競技の最後には必ずその部活の部員による真剣勝負を組み込みます。それは実際に体感した上で見る側に回ることで、難しさ、楽しさを自分のこととして知ってもらうためです。先程お伝えしましたが、目的は課外活動の参加人数を増やすこと。なので効果が期待できるのであればOBの参加も許可します」
手が上がる。メガネをかけた長身の女性だった。
「文化部はどうなるんですか?」
「もちろん参加します。ただ、成績の優劣は先生に決めていただきます」
「吹奏楽は音が出せるかどうかからなので、事前練習が必要になると思うのですが。あと、楽器によっては他の人に触られたくない人もいると思います」
「・・・・・・そうですね。それでしたら並行して別枠で発表する場を設けるようにしましょうか。一競技辺りの時間調整でその辺りは融通が利くと思いますし、すべての部活の上位三枠に入る程の演奏でしたら、全員で鑑賞する価値があると思いますから」
目を丸くしたその顔が下がると同時に見回す。
「いずれにせよ、先程の『六十分授業』含め、まずは一年、一年後相応の成果が上がらなければ現行に戻す予定です」
その時ふと耳が捉えたのは舌を鳴らす音だった。不穏な空気。出所と目が合った。
三
真ん中の列、それは二年生だった。
「成績残してる部活なんて決まってんじゃねぇか。デキレースだよデキレース。強いとこはほっといたって集まるけど、そうじゃなきゃ全体の参加人数なんか増えねぇよ」
腹に力を入れる。想定の範囲内だ。
「だから努力するんじゃないですか。自分が夢中になっているものを誇るために、後続に残すための機会を増やすんです」
「何が夢中だよ。皆が皆そんな温度でやってねぇんだよ。たかが部活に。そんなことよりお前、会長のオスミツキなんだろ? この選挙自体デキレースなんじゃねぇの?」
ざわつく。人数の少ない三年生の列でも別にくすぶり始めていた。話がよからぬ方向に転がろうとする。瞬時に舞台そで、会長が姿を現した。その目はまっすぐその男を捕らえる。
「大事なのは何ができてどんなメリットがあるか。平等よ。私だってただの一票」
鈴が鳴る。厄払い。気高く澄んだ音は、マイクを使用していないにも関わらず、余すことなくその意思を伝えた。しかしそれでもざわつきはおさまらない。その大半は「オスミツキって何?」という僕と会長の個人的な関係に終始するものだった。下手に発言すれば一気に不利になる。汚いヤジが飛び始めていた。
「デキてんのー?」
「会長に取り入ってイイ思いしてんじゃねーの?」
「生意気なんだよ一回が」
動けない。会長に飛び火する。下手に発言すれば約束を違える。奥歯を噛みしめた、その時だった。突如ヤジが止む。誰が合図した訳ではないのに、波の引くように息が揃った。
壇上のそでから姿を現したのは沙羅だった。中央まで来るとマイクをとる。息を吸う音が入った。
「最も尊いのは」
沙羅は決して人前に立つのが得意なタイプではない。ただ、その横顔に恐れはない。共有した目的のため、誰かのためなら人はいくらでも強くなれる。
音の止んだ館内。落ち着いたアルトが染み渡っていく。
「何かに夢中になれること、迷いなく没頭できる時間。それを得るための提案です。これは単なる学校の決まり事ではなく、きっかけの一つです。もう一度自分の進路ときちんと向き合いませんか? まだ間に合います」
〈自分の目的のためだけじゃない。結果としてこの高校のため、生徒のためになることをしようとしています〉
息を吸う。とんだおためごかし。最初からこの一言のためだけにここに立っている。しかしひたむきな横顔は邪なものを寄せ付けない。
「聞いていますか? 本当はバスケがしたくてたまらない、あなたに言ってるんです」
四
静寂。静まりかえっていた館内がそれでも少しずつ息を吹き返し始める。息づくものの中にまだトゲは残る。沙羅に向かって発せられる声。
「年下のクセに」
「年下の言うことだから受け入れられないんですか? 逆を言うとそうでなければ受け入れられるんでしょうか? 筋は通っているはずです」
言い返された男は返答に窮すると、せめてものヤジを飛ばした。
「うるせぇ! デブは黙ってろ」
ガァン!
驚きで一瞬身体が浮いた。すさまじい轟音。左右にある体育館のドアを同時に叩いたのは
「・・・・・・悪い、滑った」
火州先輩と高崎先輩だった。それぞれ南と北にいる。それと同時に教師が動いた。すぐに捕まったのは南側の壁沿い、教師陣の近くにいた火州先輩。その行動に即座に反応したのは
「ちょっと待って下さい! どうして不適切な発言をした生徒をそのままに、その人達だけ連れて行こうとするんですか?」
相変わらずマイクなしで通る声。浄化する鈴の音は不当を看過しない。会長は舞台の際まで出て、断罪されるべき者を問うた。
途端集まった目に、老齢の教員はのどを震わせる。
「感情を抑えることもできないような奴は何をしでかすか分からんからな。現に数日前、他校の生徒ともめたそうじゃないか。最後の最後まで火種を残しおって」
「ちょっと待って下さい!」
言いながら、もう前に出ようがない壇上でさらに前のめりになる。ちなみに「ちょっと待って下さい」はこっちのセリフだ。予定にない。本気で教師とやり合う気かこの人は。向こう見ずが過ぎるだろう。
止めに入ろうと試みるが、渦巻く感情、その余波がここまで届いていた。既に戦闘態勢に入ったこの人は、まるでとめられる気がしない。
「感情的になることの何が悪いんですか? 少なくともさっき彼女に向けられた発言は彼女相手なら言ってもいいという考え方が透けて見えました。不快に思った方も多くいたはずです。それを丸々聞き流せということでしょうか?」
背筋が凍る。僕は自分が発言することを前もって通しているし、質問のやりとりもしている。けれどもこれは完全なアドリブ。下手すれば彼女の立場が危うくなる。
「違いますよね? 不当な発言はその場できちんと反発するべきであって、決して流してはいけませんよね?」
想像に違わず、よくない方向に流れ出す。
「うるさい! 腐ったリンゴというのを知らんのか!」
もうダメだ。話を切ろうとしたその時だった。
五
「モノに当たったことはあやまるぜ」
割って入ったのは北側の壁沿い、教師陣の反対側にいる高崎先輩。穏やかな低音が、再び静まった館内に響く。
「ただ、その子は大切な友人が大事にしてる子だ。だから俺達にとっても大事なんだ」
そう言って一つ頭を下げた先輩の援護で、僕は「その人、よくしつけられてるんで人は噛みませんよ」とギリギリ先生に聞こえる位の音量で付け足す。その時教師陣の内、一人と目が合った。その人は頬をゆるめると同時に立ち上がった。
「先生『腐ったリンゴ』とは何事ですか? 今時流行る言い回しではないでしょう。その生徒は真面目に努力して、自分の道を歩き始めた所なんです。いい加減イメージで線引きするのやめませんか?」
自分より十以上も若い教師から忠告を受けたことが気にくわなかったのだろう。老齢の教師は「危険人物は危険人物じゃ!」とわめき立てると火州先輩を引く腕に力を込めた。そんな中、真ん中の辺りから声が上がる。
「あのさぁ」
目が集まる。言った本人は苦笑いすると、僕に目を向けたまま続けた。
「話がどっか飛んじゃってんだけど、要はアイツの言ってることを支持するかどうかってことだろ? やってみりゃいいじゃねぇか。問題は授業五分ぶんの短縮の労力くらいだろ? 一年経って良ければチャイムのズレは直したらいい」
静まる。元の場所に戻ってくる。
「・・・・・・一日分部活勧誘祭とやらで授業が潰れる」
「『台風の日』が一日増えるだけじゃねぇか。そうだろ?」
うなずく。兼子さんは初めて周囲を見回して声を上げた。
「できない、やりたくない理由を探すんじゃなくて、やってみりゃいいじゃねぇか。その価値はあると思うぜ」
そうして火州先輩を捕まえている教師の方を向いて「先生もお昼寝したくない?」と言うと僕を見上げた。次の瞬間単発の拍手が起こる。力強い音。たった一人動く者。それは
〈僕は人前で話すの得意じゃないし、あの二人にも逆らえない〉
〈でも、それでも僕には先輩から引き継いだ責任がある。僕にだってできることがある。だからできることをしようとしたんだ〉
竹下さんだった。目が合う。兼子さんへの、僕への、それは賛同。
鳴り響く拍手。そこに別の拍手が加わる。野太く、破裂するような音は高崎先輩。加わる。目が合ったのは草進さん。まっすぐこっちを見上げている。
「いいぞーむっつりー」
ぎょっとして見る。頭上で叩かれる手。目が合ったのは高野さん。この人こそ、今回最大の恩恵を得る。円さんが、野上さんが、杉下さんが、山川が。
振り向く。会長が、沙羅が。
「いいぞーむっつりー」
二回目だけに「え、むっつりなの?」というざわめきが加わる。山崎さんはニヤニヤしながら手を叩いている。その隣、一年の列。偶然目が合う。津山もまた、手を叩いていた。
ぐ、とのどが詰まる。
〈ひじき君〉
おい、聞こえてるか。
いつしかそれは、館内を揺るがすような拍手に変わっていた。
わがままで、自由で、勝手な、
全部あんたのためだぞ。ここがあんたが戻ってくる場所なんだぞ。
見回す。
全部が全部僕の力じゃない。でもつながって、その先の人もまたつながって、寄り添うことで初めて護れるものがある。とても一人じゃできないことだった。
「いいぞーむっつりー」
「いい加減にして下さい!」
拍手に混じる笑い声。散り散りになろうと、バスケ部員は全く同じ顔をしていた。
しばらく拍手は続いた。ある程度したら減っていくはずが、息を吹き返すように何度か強弱を繰り返す。北側、鳴りおおせない野太い拍手は大事な友人のため。南側、草進さんのまなざしがやさしい。その先にいるべくしているのだろう。ならばしばらく聞いてもらった方がいい。
あんたのすすり泣く声が落ち着くまでは。
六
「何で泣いてるって思ったの?」
生徒総会が終わって解散すると、南の扉を飛び出して鮫島先輩を捕まえる。
「何となくです。草進さんがやさしいやさしい目をしていましたので」
「ふぅん。泣いてなんかないもんね」
そう言う目も鼻も真っ赤でぐしゃぐしゃだ。鼻水を拭ってツンとあげてみせるあご。
「別にいいんですけど」
「だって火州がっ・・・・・・『俺の大切な友人が大事にしてる子だから超大事』って・・・・・・」
アイツら知ってたのかよ、とつぶやくと、高じた感情に押されて再び感極まる。鼻水自重。ひどい泣き顔。それにお楽しみの所悪いが、それを言っていたのは高崎先輩だ。動機は同じようなものだろうからあえてつっこまないが。
「・・・・・・ということでちゃんと練習しといて下さいね。一ヶ月後、上位三枠にバスケ部入ってるんですから」
伝えると同時に意気込む。その目は活き活きとしていた。
「元気イッパイ! 俺っち頑張る!」
その素直さ。普段の憎たらしさがウソのようだ。
何だかよく分からない。何だかよく分からないが
何だかものすごくムカついた。