真琴18〈4月17日(日)〉

文字数 4,692文字



 


  一

 いつの間にかすっかり暗くなっていた。書くことに集中して手元の明かりしかつけていなかったせいだろう。やけに外が明るいと思ってレースのカーテンを引いて見下ろすと、そこにあったのは息を呑むような夜桜だった。足元一面を桃色に染め、白い光に照らされて、どこか青みがかった透明感。人力の及ばない、幻想的な景色。
 色づく。
 見覚えがあるのは、背景が違っても引き寄せる媒体があるから。点と点を結ぶもの。点そのものに個性はなく、ただの呼称に紐付く。
 桜が降りしきる。四季を巡って、何度でも何度でも「この場所」へ戻って来る。
『お元気ですか? せっかく住所を教えていただいたので、お手紙を書いてみることにしました。そちらの生活には慣れましたか? 一人暮らしは何かと不便が多いかとは思いますが、きっと慣れてしまえば楽しいですよね。私が心配しているのは料理だけです。くれぐれも火の元にはお気をつけて・・・・・・』
 楓君と礼奈ちゃんの顔が浮かんで口元がゆるむ。学校帰りに顔を出すと、いつだってものすごい勢いで走ってきた。
「ごはんっ!」
 違うよ。私はごはんじゃないよ。
『こちらは新学期が始まって二週間、まだ二回生だという実感がわきません。鈴汝さんの印象が強いからかもしれません。鈴汝さんと言えばゴールデンウィークの引退試合に向けて追い込んでいるせいか、最近ちょっとピリピリしてます。なかなか話しかけられなくて、見かけても特に声をかけずにいたら、この間部活帰りにつかまりました』
〈誰が怒ってるって?〉
 このセリフ自体、怒っている人間の発するものだ。私はあわてて首をふった。
「ち、違いますよ。怒ってるとは言ってないです。ただ、ピリピリしてると・・・・・・」
 久しぶりに相対する氷の女王を前にひれ伏すのはただの高校生。
 つかれるため息。鈴汝さんは額に手のひらを当てると「ごめんなさい」と言った。
「飛鳥様は元気?」
「はい。電話口で声を聞く限りですが。昨日はお米炊くのにおかゆのラインで水を入れてしまったと嘆いていました」
 その眉が下がる。
「いいわね」
「そうですね。胃にはやさしいので」
「違うわよ」
 頭をつかまれる。なかなかの力だった。
「うらやましいって言ってるの。ちゃんと想われてるのが分かるわ」
「どうしてですか? 鈴汝さんだって水島君が・・・・・・」
 鈴汝さんはその手を離すと肩をすくめる。
「今あの子、バスケに夢中だから」
「それでも毎日会えるじゃないですか。直接会わなくても、見かける可能性はある」
 引き上げられた口角。その下がったままの眉。
「会えないのと会えるのに会わないは違うわよ。あなたみたいに相手の中に自分の存在を確認できればそれだけでいいのに。今のあなたとだったらあたしの方がずっと寂しい思いをしてると思うわ」
 その表情。どうやら付き合う事がゴールではないらしい。鈴汝さんはその後「本当に怒ってないから」と言い残して部室に戻っていった。


  二

『そうそう、水島君は無事生徒会長に就任しました。おかげで毎日お昼寝タイムが設置されて、贅沢な気分です。なんと寝袋持ち込みOKなんですよ! ちゃんと掃除の後で、床にもシートを敷くんで快適ですよ。掃除なんかは実益を兼ねるんで、みんなちゃんとやるようになった位です。
 あと、演説でも言ってた部活勧誘祭がおとといありました。上位三組はバスケ部、陸上部、吹奏楽部でした。師匠もバスケ部で出てました。もう大活躍でしたよ。館内大盛り上がりでした』
〈だから言ったろうが! 遅ぇんだよパスが! 見とけよ味方の動きを〉
 それは、教育だった。真剣勝負の中を飛ぶ怒号。細い指でサインを送る。動かすのは師匠だ。逆転するボールの流れ。隣で補足してくれるのは鈴汝さん。
「あれ。山崎さんと一番前走ってるのが高野さん。鮫島先輩と中学の時一緒にプレイしたことがある人よ」
 犬顔の人、髪の長い人、身体の大きい人。見た目的な特徴ではなく呼称がつく。付け足される情報が、その人達を赤の他人から半歩引き上げた。
「あのゴール下の人が円さん。キャプテンで、鮫島先輩の代でもスタメンだった人」
 師匠がボールを受け取る。身体を入れてターン。接触。その手を離れて浮いたボールは、リングをかすめることなく、ゴールに吸い込まれた。上がる歓声。
「バスケットカウント、ワンスロー」
 さすがに今回は審判も部員に任せたのね。そうつぶやくと、鈴汝さんはため息をついた。
「何か・・・・・・前回の球技大会に比べて、圧倒的な実力差ですね」
「自業自得よ」
 組んだ腕、その手首についた肘。キレイな造形の顔が歪んでいる。
「自分で引き戻しといて、よくやるわよ。これでまた当分バスケ漬けね。もう勝手にして頂戴ってカンジ」
 言いながら握る拳。同じフィールドでこの人もまた戦っていた。


  三

『師匠と言えば最近よく図書室で見かけます。新一年生が学年色は引き継いでいるのですが、そんなのお構いなしで年季の入った青スリッパ使い続けてます。気づいた人はみんな二度見です。部活勧誘祭で目立ってしまった分、反響もありました。純粋なファンが現れたようで、女の子に声をかけられてました』
〈何? 俺と寝たいの?〉
 一瞬で踏みにじられる憧れ。
「ちょーっと失礼!」
 図書室。厳粛な場所で音量も考えずに放たれた言葉は、同じ空間内にいた人の目を総ざらいにする「もっとあなたのことが知りたい。連絡先を教えて欲しい」という無害な内容に対するすさまじい攻撃に鳥肌が立った。
「あっ、あれですよね? お昼寝! 学校でのお昼寝は男女での寝袋使用は不可になっていたので・・・・・・。ダメですよー師匠。そこはちゃんと『隣で寝たいの?』って聞き方しないと。誤解を生みます」
 あははーと頑張って笑うが、かばったはずの女子達から冷たい目で見られた。つらい。その後彼女たちが去ると、後ろから声がした。
「違うよ。俺とヤりたいのかって聞いたんだよ?」
 黙れちきしょう。
 上目遣いが頭にきて、四人がけの机の向かいに腰を下ろすと、ノートに殴り書く。音を立てないように破いて差し出すと、その口角が上がった。
「だってそうじゃん。俺今さすらいビト、浪人生なのに、なんでわざわざ知らん顔と連絡取らなきゃいけないワケ? そんなヒマそうに見える?」
 あわててペン先で紙を指す。何度も指す。誰のための筆談かまるで分かっていない。その目が手元の紙に落ちる。私の筆跡の下、ようやく動かす手。その動きを追う。残された筆跡は
〈お前は?〉
 右肩上がり、鋭角気味のハネの強い字だった。
 私が顔を上げて首をかしげると、師匠は再びペンを走らせた。途中まで書いたところでギョッとする。師匠は書き終わってペンを投げ出すと、その肘を突いて見上げる。手のひらで口元を覆っているため、表情は見えない。
 驚いて固まった私に、これ見よがしに指先で紙を叩く。
〈お前は? 俺と寝たい?〉
 答えられないでいると、私の手元にある消しゴムをとって、わざわざケースに隠れている角の方で後半部分を消すと(最低)書き直す。
〈お前は? 俺と寝てもいいと思う?〉
 何の譲歩だ。その目は私の心の動きを全て見透かさんばかり。
 静かなまなざし。師匠の魂胆は分かっていた。だから答えは始めから決まっていた。
「ははーん。引っかかりませんよ。試してるんですね? これで簡単にハイって言うような子は火州さんにふさわしくないと。私にしてくれたように、火州さんも不安にならないように確認してるんですね? じゃないとフェアじゃないですもんね」
 師匠にだけ届くよう、八割口パク呼気多めで口にする。完璧な正答に「何だ面白くないの」と褒められるか思いきや、返ってきたのは予想をはるかに越えた静かな声だった。
「・・・・・・そうだな」
 それは「やられた」という感じではない。ただ純粋な何かだった。
 背筋がざわりとする。私は大事な何かを間違えたのだろうか。
 師匠はその身体を背もたれに預けると、頬をゆるめるようにして言った。
「もうリハビリ必要ないわ。サンキュ」
 寂寥。大切な何かが離れる。思わず声をついで出た。
「どうして」
「必要なくなったから」
 それは常なら意地の悪い顔をして言うこと。冗談にしては大人びた。
「アレ、治った」

 その後、師匠は再び紙にペンを走らせた。書かれたのはたった数文字。
「弟子、俺」と口にした後、差し出される。
〈医者になる〉
 はじかれたように顔を上げると、困ったように眉を下げた。広げた参考書は数三。並んでいるのはアルファベットばかりの、訳の分からない数列。バッグの中からのぞくのは英語に生物。片耳だけはめたイヤホン。かすかに聞こえてきたのは高い女性の声の朗読。巻き舌に近い。明らかに日本語ではない発音だった。
『でも師匠も目標が見つかったみたいです。一見無謀にも思える挑戦でも、そこに至る経緯はきっとあって、だから応援しようと思います。私自身、毎週水曜日は楓君と礼奈ちゃんの様子を見に行くんですけど、もう少し多い頻度で師匠も火州さん家に通ってるみたいです。憧れた人の空間での勉強ははかどるんでしょうね。長いと四時間くらい部屋から出てこないそうです。もう完全に自分の家です。前に寝てしまったことがあって、その時は礼奈ちゃんがタオルケットを掛けてあげていました。その様子があまりにかわいらしくて、思わず激写しました。また見せますね』


  四

 顔を上げる。小さな身体。その背中は頼りない。
 楓君も礼奈ちゃんも隠してる。小さな身体の中に必死に押し込めてる。人一人いなくなることは、こんなにも寂しい。早く本物に帰ってきて欲しい。
『高崎先輩は連絡をとっていますか? 二回生になって千嘉ちゃんとも別のクラスになりましたし、会うことがなくなったので様子は全く分かりません。お家を継ぐとのことでしたので、近くにはいるはずですが・・・・・・。不思議なものですね。この場に居合わせなければ関わることもなかった。いつかまた、みんなで集まりたいですね。数える程しか行ってませんが、私はあの屋上が好きでした』
 色づく。身に覚えがなくても、色づくものは勝手に色付く。
 ただの高校生にしては鮮やかな色味。それはほんの少しだけ刺激的な高校生活を夢見る私にとって、いつの間にかなくてはならないものになっていた。
「真琴」
 まっすぐな髪が、肩の上で大きく揺れる。二回生になって理系に進んだ慶子とクラスが別れる。それでもこうして朝方顔を合わせることは多い。
「理系ってやっぱり大変?」
「ん、小テスト多いの嫌。でも文系だって同じようなものでしょ?」
 玄関を抜けて階段を上がる。二階の廊下に出た時点で、じゃあねと慶子と逆方向に歩き出すと、三組の教室に入る。
 新しいクラス。新しい人間関係。
 最初こそ戸惑ったものの、徐々になじみ始める。今まで過ごしてきた時間は決して無駄にならない。私は顔を上げると、隣の席の子に声をかけた。
『昨晩は夜桜がキレイでした。もう時期も時期なので、散り際ではありますが、足元に一面、桃色の絨毯ができるんです。もう一週間もすればこの景色も新緑に変わります。最も明るい季節がやってきます。
 だから今度は動物園に行きませんか? 楓君は日本平に行きたいそうです。
 また会う時を楽しみにしています。朝晩まだ気温差がありますが、くれぐれも風邪など召されませぬよう。
 それでは。

  二〇〇五年 四月十八日            
飛鳥さん     真琴    』





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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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