雅5〈7月31日(土)⑤〉

文字数 1,072文字



  五

「雅―、いるのー?」
 家に着くと、久しぶりに脱ぎ捨てられたハイヒールを見つけた。居間から声がする。あたしはため息一つ、声のする方に向かった。ソファの端から黒いドレスのすそが見える。ここからだと背もたれにかかった白い手首だけが見える。相変わらず異様に細い手首。
「お水頂戴」
 あたしは黙って洗面所に行くとグラスを手にとり、水道の蛇口を軽くひねった。
「うー、ありがと」
 酒臭い。思わず顔をしかめる。その手がグラスを求めてさまよう。その時、ふいに手をつかまれた。しまった、と思った時にはもう遅かった。思わず引いてしまった手の先。グラスがなすすべなく床に落ちる。
 カシャン。
 それは乾いた音とともに、凶器に変わった。ふくらはぎに焼くような痛みが走る。
「・・・・・・っ!」
 足首を押さえる。ソファの向こうから声がした。
「何やってんの。早く水」
 一瞬、洗面器に汲んできて頭からぶっかけてやろうかと思う。でも
「分かってるわよ。ちょっと待ってよ」
 あたしはそうして汲み直した水を渡すと、散らばった破片を片付ける。
「うるさいわね。頭に響くのよ」
 掃除機の音の合間に文句が聞こえる。一体誰のせいだと思っている。仕方なく掃除機を止めると、大きな破片だけ拾う。
「・・・・・・ここ、通らないでね」
 そう言い残すと、自分の部屋へと向かった。

 ドアを閉めると同時に、手の甲を押さえた。鈍い痛みを伝えるふくらはぎでなく、手の甲。自然に涙が溢れた。ベッドに倒れこみ、突っ伏す。
 崩れかけた化粧。筋の目立つようになった首元。色素沈着の激しい関節。見にくくなっていくのに、かえって強くなるメスの香。手の甲に爪を立てる。あたしもいずれああなるのかと思うと、身の毛がよだった。
「飛鳥・・・・・・様ぁ」
 口をついで出る。もはや口癖だった。苦しいとき、無条件で安心感を得られる拠り所。その時微かに音がした。重たい身体を抱えるようにして立ち上がり、入り口に置いたままになっているバッグを開ける。
 受信メール一件。内容はやはり用件を伝えるためだけの簡素なもの。室内を振り返る。本棚の上にいる真っ赤なタコ。顔のついているものの類は、どうしても閉じ込めて置けなかったため、そこにいる。そうしてそれをいいことに、タコは容赦なくその存在を主張する。
〈海行こ〉
 花火の夜間近で見た鮫島先輩は、そうしてあたしの中にゆがんだ笑顔を残していった。
 カーソルを下げ、内容を把握する。あたしは力なく、返事を送る。
 一人ぼっちはもう、嫌だった。


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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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