飛鳥10〈9月25日(金)〉

文字数 5,151文字

 


 一

「何」
 振り返る。屋上。雲一つないくすんだ青色の空をバックに仁王立ちでいるのは、見慣れた細身のシルエット。年間四分の三使用する詰め襟の学ラン。のぞく赤いTシャツ。くわえたタバコが上下する。まだほとんどの人間がいる校舎は床が揺れるようににぎやかだ。地上十メートル。その声はまとまった雑音として届く。放課後。それぞれの居場所へ向かう。
「いや、」
 一時ひどい腫れ方をしていた頬はもうほとんど治っていた。しかしその鋭いまなざしは、言うほど簡単に俺を許したりしない。
「悪かった。悪かったからその・・・・・・」
「何、俺言ったでしょ『貸しだから』って。それとも俺がまだ殴られたこと根に持ってるとでも思うワケ? そんなちっちゃい男に見える?」
 火をつける前に外したタバコは正しい。流れるような憎まれ口に、俺は抵抗する方法がない。今の鮫島とまともに話が出来ると思えなかった。言葉に詰まると、ここに続くドアが開いた。
「いい加減にしてやれよ鮫。そんな言い方されたら誰だって根に持ってると思うぜ」
 ぬ、とでかい図体で押し分けるようにして割り込んできたのは高崎だ。ドアの近くにいた鮫島は二三歩離れると、左足に体重を乗せた。
「俺はいつも通りだけど?」
「ウソつけ。お前昨日も突っかかってたじゃねぇか。いらん波風立てる位なら面と向かって本人に言えよ。あれじゃ他の奴らが気ぃ遣う」
 思わぬ助けにホッとするのも一瞬、その目が再び俺の方を向く。
「ホントだよ。俺は殴られたコト自体根に持ってる訳じゃない。ただ、その事に対する謝罪ってのをダシにして呼び出されたのが気にくわないだけ」
 指先にはさまっていたタバコがしまわれる。風がその髪をあおる。かぶさった前髪がなびいて形のいい眉が現れた。隠し事をあばく目。鮫島が言っている事は正しい。
「でしょ? フツウ二週間も前の事、わざわざ呼び出して謝る? だったら電話でも当日の方が誠実だよ。本当の所火州は別の目的で俺を呼んだんだ。違う?」
「・・・・・・違わない」
 鮫島は「ホラ、やっぱり」と言いながらうつむいた。あばくことで自ら傷ついていた。
「本当に悪かった」
 顔を上げると眉を下げた鮫島と目が合った。
「ホントにそう思ってる?」
「ああ」
「ホントにホント?」
「ああ」
 一瞬その目が幼児のように丸くなる。その細い首。頼りない肩。
「俺達は絶対だかんね! 今度やったら絶交だかんね!」
 そうして近づいてくると、向こうを向いたまま俺の足元に腰を下ろした。
「ああ。悪かった」
「もういいよ」
 俺は顔を上げると目で高崎を呼んだ。そうして俺と高崎が腰を下ろすと同時に、しぶしぶ内側を向く。仲直りは難しい。だが、合わせない視線は純粋な照れ隠し。そう思えるだけの平和を取り戻す。
「で、何?」
 高崎と目が合う。苦笑い。思わず頬がゆるんだ。たぶんコイツも知りたがっている。あの日見たものの正体を。俺はまっすぐ鮫島を見る。
「お前・・・・・・鈴汝と何かあるのか?」


  二

 寒くはない。まだ秋の入口で、背中を焼くような熱気の方が主だ。くすんだ空は東。西日は少しずつ色を足していく。橙がそのそばかすの浮いた頬を照らした。
 火のつけられたタバコ。目を細めたのは、高崎の後ろから照らす日の光がその身動きによって直接目に入ったためだ。ぼうっと見つめる先には俺も高崎もいない。
「別に何も」
 そんな訳がない。何もない男女が手をつないだりするっていうのか。
 鮫島はこっちを向くと、イヤイヤ口を開いた。
「何かあるって聞いたから『何も』って答えたの。付き合ってる訳じゃないし、本当に何でもないの」
「じゃあ・・・・・・」
「鮫が一方的に好きなんだと」
 息を呑む。俺は高崎の顔をじっと見つめると、困ったように頭をかいた。
「だろ? だから関係としたら『別に何も』恋人でも友達でもないただの男女。でも一方は好きな訳だから手をつなぐことは有りえる。一方的に」
 ちょっと一方的にって強調しないでよ。ゴーカンみたいじゃん! と鮫島がごねる。ただ、間違ってはいないようだ。
「そうなのか?」
 聞くと鮫島は眉間にしわを寄せたまま「ん」と言った。目が合わない。
「何、不都合でもあるワケ?」
「いや、」
 今度は俺が答えに詰まった。高崎の目が気になる。タバコの先がぼうっと光った。
「その・・・・・・鈴汝は大切にして欲しいんだ」

 ぬるい風が首元をなでた。嫌な間。一対一ならまだしも、二対一だとどうしても肩身が狭くなる。この空気さえ耐えられない。
「は?」
 先に口を開いたのは、聞いた鮫島だった。その口元が歪んでいる。
「それ、一番言っちゃいけないヤツだと思うけど。あ、ヤツっていうのは『コト』じゃなくて『お前』ね。この世でお前だけは言っちゃいけないセリフだと思うんだけど、どう高崎」
「いや、それはそうなんだが」
「俺は高崎に聞いてんの」
 ぐ、と言葉に詰まる。保身自体見苦しかったのだろう。吐き捨てるような言い方だった。
 高崎が頭をかく。困ったときのクセだった。
「そうだな。でも何か理由があんだろ」
「はっ! 大切にできないヤツが何今さら関わろうっての?」
 カチンときて思わず声を荒げる。
「別に関わり方なんていくらでもあるだろ。俺は鈴汝を女として好きにはなれないが、そうでなくても本当に大切なんだ」
 言っておいてしまったと思う。鮫島は悲しい目をしていた。俺を哀れんでいるようだった。
「何だかんだで責任とれるのはとれて一人なんだよ。そんな横ヤリ、意味ないと思うけど」
 違う、と何かが叫んでいた。俺がどうこう出来るような事じゃない。そんなのとっくに分かってる。でも、それでも
「お前だから・・・・・・」
 その目が開いた。開いて、でもその眉間にはすぐシワが戻る。
「はっ、卑怯だよ」
 自覚は、ある。たぶん俺は、俺が思う以上にコイツを傷つけている。そのたびにどこかにシワ寄せがいって、歪む。歪みながらそれでも
「・・・・・・悪いようにはしねぇよ」
 結局受け入れる。下手な女関係よりむくわれない。鮫島にとっての俺や高崎はそれだけ代えがきかない。一対一では不安定なパワーバランス、元に戻すにはもう一人必要で、だから三人揃ってやっと『絶対』
「火州、それは卑怯だろ。お前は鮫の行動を制限する権利なんかない。結果的に傷つけられる事があったとしても、それだってそいつの権利だ。ガキじゃねぇんだよ」
 てんびんが傾く。ただの二対一ではない。互いを知っている相手の言葉は、重い。高崎が鮫島の肩を持てば、それが正しくなる。だから俺は
「妹・・・・・・みたいなんだ。俺にとって」
 二人が納得するだけの理由を出さなければいけない。それを聞いた二人がどう判断するかは別として。


  三

 アスファルトのにおいがした。ついた手で鼻先をなでたためだ。それに鮫島が吸い殻をつぶしてから時間が経っていたためだ。自然のにおいは、人工物に勝てないようにできている。目のやり場に困って足元を見ると、濃い影が鮫島の足元まで続いていた。影の方が随分スリムな高崎は、片膝に肘をついて大きく息をついた。
「・・・・・・だからか」
 鮫島も同じような反応をする。「ああ、だからね」
 ピストルの音がした。短距離走者が駆ける。全く別世界の出来事だ。同じ時間を過ごす同年代とは思えない。同じ景色が見えるなんて事は、ない。
「普段のお前知ってるだけに説得力あるね。それなら納得できるよこのシスコン野郎」
 俺からしたら弟子の方が圧倒的に妹要素強いと思うけど、と鮫島は腰を上げた。
「あ、思い出した。俺も言わなきゃいけない事あるんだった。火州」
 顔を上げる。反射した夕日。思わず目を細めた。
「お前、あの時本当に弟子に何もしてないか?」
 どきりとする。やましい事はないはずだと思い込もうとしている事自体やましい。見下ろす目。細い葉巻の探偵は、全ての謎をあばこうとする。
「いや・・・・・・」
「ウソつけ。俺弟子に聞いたし」
 なんだ、ちょっと待て。それ高崎も聞いていい話か?
「あの翌日、教室まで謝りに来たよ。気失ってる間中身体貸してもらって悪かったって」
 俺は暴れる心臓の片隅で不審な音を感じ取る。
「でもおかしいだろ? 起きて目の前にいたのは火州なのに、何でそこで俺が出てくるんだって。そしたら『抱きかかえられていた気がしたから、それは俺だと思った』んだと。なかなか強引な推測だけど、向こうはお前がそんなことするはずがないと思ったんだろうね」
「ちょっと待て。何でだ? どうしたらそうなるんだ」
「そりゃそうだろ。お前最初殴りかかったんだろ? で、今回の事があってまた怖くなっちまったんじゃねぇの?」
 違う、違うと心が叫ぶ。そのおびえた表情は、笑顔を思い浮かべるよりずっとたやすい。単純にその顔の方が見慣れているからだ。単純に、その顔の方が
「どうする?」
 はっとして向き直る。鮫島は困ったように眉を下げると「まだ誤解したままだ」と言った。
 ぬるい風が横切った。

「ちょっといいか?」
 申し訳なさそうに高崎が間に入ってくる。
「いや、その日の事は全部鮫に聞いたんだが、そもそも火州はどうしたいんだ? お前にはリカちゃんがいるだろ?」
「そうだよ! もう俺超殴られ損! 言っとくけど今でもしみるんだからねココ!」
 言いながら頬をなでる。その目が再び獲物を見つけた。
「何、火州弟子のコトどう思ってるわけ? 好きなの?」
 容赦ないのは暴こうとする貪欲さ。自らが傷つく可能性のある事にさえひるまない以上、タブーなんてなかった。逃げ道ははじめから塞がれている。
 再びその腰を下ろす。高崎の気の毒そうな表情が目の端に映った。感情のアップダウン。すっかり元気を取り戻した鮫島を止めるのは、誰であっても難しい。どうあっても従うしかなさそうだ。
  俺はたまらず頭をかいた。


  四

 翌日、一限が終わって次は移動教室だった。渡り廊下に差し込む光が強く、焦げた影から湯気が出そうだ。今日は昨日よりも暑いと聞いた。なんとなく目をやったグラウンド。そこに思わぬ姿を見つける。
 体操服。動きやすいように髪を一つにくくった真琴が歩いていた。その手に大きなカゴを抱えている。体育で使ったのだろう。めずらしく一人でいる。
 あれじゃ転ぶのも時間の問題だ。
  気がつくともう足は階段に向かっていた。ちなみに移動教室で向かう先は三階だから下る必要はない。嫌われているとか関係ない。危ないと思ったからだ。これは人助けであって、困っている人がいたら助けるのが当たり前。俺は生粋の性善説派だ。たぶん今だけ。
 しかし長い渡り廊下が終わる時、真琴の傍にスッと寄り添う影を見た。思わず足を止める。
 何だ?
 それは肌の浅黒い男だった。体操服の上からでも分かる肩の筋肉。野球部の頭をしていた。
 やけに目立つ白い歯。そいつは真琴からカゴを取ると笑った。真琴もはにかむ。その瞬間、
 吐き気を伴うほどの憎悪が俺を満たした。それは純粋な殺意だった。
 お前が好きなのは水島だろう? 誰にでもイチイチニコニコへらへらしてんじゃねぇよ。
 早足で階段を下る。

「飛鳥様」
 二階まで下りたところで聞き慣れた声がした。鈴汝がファイル片手に近寄って来る。しかし俺の顔を見た途端、その頬が強張った。
「どうか・・・・・・されたんですか?」
「・・・・・・いや、何でも」
 先を急ぐ足。ところが鈴汝は常には見られず、食い下がった。
「真琴・・・・・・ですか?」
「ああ」
 ダダッと強い音がした。鈴汝が俺の前に立ちふさがる。その片手を手すりにつく。自然と眉間にしわが寄った。
「ダメです」
 鈴汝は震える瞳で俺を見つめる。俺に意見するのは、長く時間を共にしてきて初めての事だった。
「邪魔すんな」
 俺は無視して通ろうとするが、次の瞬間鈴汝に右腕を掴まれた。その手に持っていたファイルが落ちて、階段に広がる。
「放せ」
「飛鳥様!」
 強めた声に、さらに強い声がかぶせられる。
 震えた指先。揺らぐ目元。階段二段下がった分、顔が近い。その首が左右に大きく揺れる。
「あの子のことは、あたしと水島が何とかします」
 ・・・・・・は、何のことだ?
 俺は、予期せぬ話に目を大きくして鈴汝を見つめる。その目は真剣そのものだ。鈴汝はまっすぐ俺を見据えた。
「女の子の世界は複雑なんです。万が一、男が関わるようでしたら水島が何とかします。だからお願いです」
 鈴汝の声は良く通る。生徒全員を束ね上げるその強さ。
「今はあの子をそっとしておいてあげて下さい」
 そうして俺は言葉を失う。思うことはあったが、この時点で言葉に出来るものなんか何一つなかった。それと同時に、ぼんやりと真琴の笑顔がさらに遠のくような気がした。





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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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