真琴11〈10月上旬〉

文字数 4,254文字

 


 一

「前からいいなと思ってて」
 静まりかえった教室。その全ての視線が集まる。
「俺と、付き合って欲しい」
 高い耳鳴りがした。これだけの人がいて無音なんて超現象に等しい。放課後、動き出した西風が、見かねて葉音を立てる。
 うなじに嫌な汗がにじんだ。私は息を呑む全てに目を背け、静かに頭を下げた。
「ごめんなさい」
 まさか空気を読むために付き合う事など出来るはずもなく、ただ自分の意思に従っただけだ。けれども
「えー、ありえないー」
 分かりやすい的を見つける。繊細で獰猛な魔物と目が合った気がした。ようやく相応のざわめきを取り戻した教室は真っ黒。所詮正義は多数決。ムードメーカーの津山君と私が割れたらどっちに光が集まるかなんて分かりきっていた。
 事の始まりは本当に突然で、番組の企画のような形で正面からその告白を受ける。が、何であえてこの場所を選んだか全くもって理解できなかった。
 女の子の視線が痛い。被害妄想もあると思うが、全く非難を隠そうとしないまなざしが突き刺さる。唇を噛みしめると、呆然としたままの津山君から目を背ける。
 津山君はいい人。優しくて、頼もしくて、まっすぐで。でもだから好きになれるかは別の話で。告白にこの場所を選んだ以上、よほどの自信があったのだろう。それを男らしいととる人もいるかもしれない。けれどもその行動は、注目されるのが苦手な私の性質を知らないという事でもあった。
 ほとんど関わりのなかったクラスの子の目にも嫌悪の色が宿る。元々目立たなかった同性が一ヒロインにのし上がる。そんな光景を目の当たりにして、波風が立たない訳がない。
 唯一肩を叩いてくれた千嘉ちゃんは「もったいないけどしょうがないよね」と言った。そんな完全に同情を得ることの出来なさそうなセリフに、また一つ心が冷えていくのを感じる。
 もうやだ。学校に来たくない。
 そんな思いだけが急速に膨れ上がっていった。


 二

 時に、キレイなガラス細工を繊細な心の持ち主に例える事がある。普段目にする分には心地良いが、些細な不注意から砕けると凶器に変わる。自信家に見えた津山君は思っていた以上に繊細だったようだ。
「前に持って行ったから、今日代わりに持って行ってくれない?」
 信じられないほど冷たい目で見下ろすと「体育で使った用具の入った大きなカゴ」を残して、津山君はさっさと行ってしまった。
「いい人」だから何も言わない。「どうでもいい人」になろうと、いっそ心がきしむだけだ。
 私は腕をまくるとカゴの取っ手に手をかけた。その時、大好きな声が届いた。
「手伝う」
 けど、
「ううん、いいよ」
 言いながら持ち上げる。
 どんな形であれ任せた、そのツケが回ってきた。それだけの事。
〈全然〉
 惜しげもなく笑ったその顔を思い出す。そうしてせめてその時の彼の思いに応えるため、私は願ってもない水島君の親切を断った。
 水島君は目を丸くして、それでも何かを察したようだ。何も言わずについて歩いた。何度も下ろしては持ち直し、息をつく私のペースに、ただただ合わせてついて来てくれた。
 今の授業が最後だったため、グラウンドで部活をする生徒が準備を終えて早々と外に出てくる。
「あと少しだから先に行ってて」
「別にいいよ」
 夕日の照らす先に、二つの影が長く伸びる。
 その後やっとの事で器具庫までたどり着くと、水島君は「お疲れ様」とねぎらった。私は今さらながら、任せたのはこんな大変な仕事だったんだと実感する。
「ありがとう。ごめんね、早く部活行って」
 水島君は目元を和らげると「うん」と言った。そうして「やっぱり。草進さん、見かけによらず強い」と言い残すと、教室に戻っていった。
 ジンジンと熱をもったままの両手。それを頬に持ってくる。
 頑張った人にはちゃんとご褒美が付いてくるのだ。

 影をまとった校舎を見上げた。流れる風の中に微かに石灰のにおいを感じる。踏み出しながら息をついた。
 時間はあった。相手もいた。場所は自ら設定するものだ。ただこの場合、あたしに足りないのは勇気だった。自分のしたことが罪悪感をまとって浮かび上がる。それは「嫌い」と言った事で、相手は違えど自身も同じことを言われるような気がしたからなのだろう。色素の薄い髪がかすめる。
 鈴汝さんから事情を聞いたにも関わらず、私は未だ慶子に話しかけられないでいた。元々自ら話しかける事自体得意ではなく、そのせいで自分よりも小さな慶子がやけに大きく見えるようになった。そうしてその体内に保持した電気におびえて、やはりその姿を遠目に見るだけで時は過ぎていった。


  三

 その後事件が起こったのはその翌日の事だった。午前中の授業が終わり、千嘉ちゃんの所にお弁当を置くと、ふと思い立って水島君の元に赴いた。
「今日は、持ってきた?」
 出来る限り自然な感じで声をかける。座ったまま頭を上げた水島君は、一瞬何のことかと視線を泳がせると「ああ」と言ってはにかんだ。
「確か、持ってきたはず」
 その曖昧な返事がおかしくて思わず笑ってしまう。私は「いい度胸してるな」と続けた。
 次は国語だ。前日宿題が出ていて、今回は授業中に提出する事になっている。水島君は苦笑いすると「最初それ言われたとき、本当に驚いた」と当時を白状した。「驚いた」のは発した私だって同じだ。そんなささいでおかしな事を共有する。たぶん恋とやらは、こんな理想と現実の狭間で意味も分からず無駄にばたばた暴れだすのだろう。
 開いた窓から届く優しい葉音。いつの間にか色づいた木々は黄色や橙。その後千嘉ちゃんたちの所に戻ろうと振り返る、その時だった。
「お前か」

 その低い声。いつの間にか傍にいた津山君はじっと水島君をにらみつけていた。座ったままでいるため、水島君が見上げる形になる。
「・・・・・・何?」
「どうりでのらりくらりかわすはずだよ。上級生が来たあの時も、だから何も答えなかったんだな? 俺に教えるのが嫌だったから」
 その眉間の深いしわ。断崖絶壁を前に、何を言った所で聞き入れられるとは思えなかった。
「お前も草進さんの事が好きだから。だから何も答えなかったんだな?」
 ざわつく。その声の一つ一つに意味はあるはずなのに、一緒くたに好奇の色が集う。寒気なんて生やさしいものじゃない。本当に背筋が凍る。私は津山君が何を言っているのか理解できない。理解できないが、とんでもない勘違いが起こっている事だけは分かった。
「なぁ」
「ち、ちょっと待って・!」
 慌てて水島君の胸倉を掴みあげた津山君に声をかける。
「違うの! 水島君が好きなのは私じゃなくて・・・・・・」
 驚いて動きを止めた水島君を尻目にうつむく。自分がどう思われようと、その事実はこの場に、水島君に、絶対必要な事だと思った。
 既に怒りから理性を失った鋭いまなざし。繊細で鋭い凶器そのもの。今目の前にいるのがあの優しかった人とは思えない。
〈何か草進さん、こういうの似合うな〉
 そう言ってくれたのは紛れもなくこの人で、私はそれがとてもうれしかったのに。
 津山君は「邪魔だ」と私が掴んだ手を振り払った。全身が強張る。振り払われた手。衝撃を受けて痛んだのは、心だった。
〈真琴〉


  四

 その時、津山君の肩越しに偶然慶子と目が合う。その気持ちを初めて知る。そうして同時に、自分の取るべき行動が分かった気がした。勇気を振り絞って再び二人の間に割って入る。
「やめ・・・・・・て!」
「邪魔なんだよ!」
 そうして再び振り払われるが、今度はそれこそ割って入っていたため、跳ね飛ばされた反動で壁に背中をぶつける。一瞬視界の端に頬を強張らせた津山君が映る。
 次の瞬間、椅子の倒れる音がした。続いて上がる悲鳴。
「いい加減にしろよ・・・・・・!」
 水島君は津山君の襟ぐりを掴むと、そのまま押しやった。津山君の膝裏が机に打ち付けられる。
「相手の事も考えないで、好き勝手言うなよ」
 額のぶつかり合う距離でにらみ上げる。自分を抑えようとしている事は、その声色だけで分かった。反対に津山君はカッとなると「調子乗んじゃねぇよ!」と水島君を突き飛ばした。もう何に対して怒っているのではなく、その精神はたどり着く先も見えず暴走を始めていた。
 元々水島君の席自体一番廊下側であるため、その全ての攻防は壁際で行われている。水島君は背中をぶつけた衝撃に、わずかに顔をゆがませるが、すぐ様にらみ上げた。
 その腕に血の筋が伝った。さっき壁に刺さったままの釘が当たってしまったのだろう。
 目を見開く。自分の喉が大きく動くのを感じた。
 それはつい先日、隣を歩いた時に見た腕。基本細身に見えるけれど、ちゃんと鍛え上げられた、いつだったか優しく手を振ってくれた、その、あたしが愛した
 身体の中でどくり、と何かが首をもたげる。

 大切な何かを傷つけられた時、起こる感情には名前がつかない。
「それ」は怒りでも憤りでもない。「それ」は、果てしない憎悪と深い保護欲。
 どくり。
 目の前に見慣れた背中が映る。中肉中背、少しだけ猫背。いくら警察官だって皆が皆肉体に恵まれる訳じゃない。それはたった一人、娘の前に立ちはだかる父親の背中。
 どくり。
 うごめく「それ」はすさまじい勢いで大きくなっていく。
 どくり。どくり。どくり。どくり。
「・・・・・・知ってんだよ、お前が三年の連中とつるんでることぐらい。どこでどう関係したか知らないが、草進さんを巻き込むんじゃねぇよ」
 明るく長い後ろ髪。ふわり、とその広い背中を思い出す。それは守るために。その身を挺して、外敵から保護するために。
 どくり。どくり。どくり。どくり。
「それにお前、生徒会長の女とも関係してるんだろ。あの人裏ではすごいらしいぜ? お前、そっちの方でも骨抜かれちゃってんじゃねぇの?」
 赤茶色の短い後ろ髪。ふわり、とそのまっすぐな背中を思い出す。それも守るために。その身を挺して、外敵から保護するために。
 再び悲鳴が上がる。水島君はその胸倉を掴むと、今度こそその身体を押し倒した。
「もういっぺん言ってみろ。殺すぞ」
 ほとばしる殺気。
 熱しにくく冷めにくい水が、有り得ない速さで沸騰し、爆発する。
 その背中。それもやはり守るために。その身を挺して、大切なものを保護するために。
 どくり。
 この場の空気に場違いなほど穏やかな風が、教室内をぐるりと巡る。
 得体の知れない何か。
 どくり。
 あ。
 意識が飛ぶ。次の瞬間、それはあっという間に私を飲み込んだ。





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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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