飛鳥12〈11月28日(日)〉

文字数 8,031文字



 飛鳥十二、十一月二十八日(日)


  一

 積んできたものに差があったのか。それはあるかもしれない。
 でもいざという時勝ち負けを決めるのは、やっぱり気持ちなんだろうなと思う。
「粟津、か」
 今で言う滋賀県『木曾の最期』の舞台は琵琶湖の南に接した所だった。
 馬の鼻先さえ見えない中顔を上げたのは、不安とはいえ心に余裕ができたため。そのために一生の不覚を負う。だから美談は、従者にこそ多い。巴御前、今井四郎はもちろん、後醍醐天皇についた楠木正成だってそうだ。不可能を可能にしようとする努力の裏にかかっているのは、いつだってその命。
 命をかけて目的を果たそうとする生き物。その狭い視野。鋭く研ぎ澄まされた一本のやり。雑念のない純粋な意思は、まっすぐ敵陣の腹をつらぬく。その瞬間、完全に誰かのための生き物になる。
 地図を指でたどる。興福寺。春日大社。平城旧跡。
 どんな生き方をしたいといった所で、その人単体が生きた証はいくらもない。ただ、その時代の思想といえば場所に宿る。結局は寺か城だ。
 探せばいくらでもあるのだろう。それでもガヤガヤと騒がしければ興ざめだ。歴史に、遺跡に、県単位で敬意の深い場所。
 指先が止まる。前田の得意げな顔が浮かんだ気がした。

 顔を上げたのは、不安とはいえ心に余裕ができたため。気づけば「何でもおっしゃって下さい」から二ヶ月が経とうとしていた。軽んじている訳ではない。考えていない訳でもない。ただ、安定を取り戻した心が勉強に対しても良い形で作用して、ここ二ヶ月で思いのほか大きな成果を得られた。それでここぞとばかりに少しでも長くこの状態を保ちたいという身勝手な思いであったのが本音だった。それも数日前までの話。
 切符の券売機前。うっすらと雲のかかった空。吹きつける西風は建物に邪魔されていくらかマシ。十一月二十九日。十二月目前になって、季節はやっと冬。落ち着かなくてムダに見回してしまう。八時四十五分。約束の十五分前だった。ふと数日前のやりとりを思い出す。
〈そんなことでいいんですか?〉
 かけた電話。小さな機械の向こうから、変わらない声がした。その後日付時間を指定して通話を切ると、人形遊びをしている礼奈だけでなく、図鑑に夢中な楓にも届くように声をかける。
「日曜、魚見に行く。行きたいヤツ早起きしろよ」
 すかさず「おっさかなさんっ」とぴちぴち跳ね出した礼奈。その向こう、かたくなな背中からも声がした。
「何時」
「八時半には出る」
「ふぅん」と返ってきた。




「どーん!」
 突然の衝撃にふん張る。うり坊かお前は。券売機の隣にあるコンビニから出てきたのは礼奈だ。その手に小さいサイズのペットボトルを持っている。オレンジのキャップ。
「これ、あったかいよ」
 ポケットに入れていた手を出す。たしかにじんわりあったかい。寒さを思い出した身体が大きく震える。続いて楓も出てきた。
「礼奈、おつりは?」
 ここー、とポケットを探ろうとするが、一旦手袋を取らなければいけない。ひもでつながれたその右手だけ外すと(吊られているが地面についている)楓にお金を渡した。それを見ながら、コイツがノッてくれて良かったと思う。元々面倒を見ることが多いため、礼奈の正式な保護者は楓と言ってもおかしくなかった。再び手袋をつけると、そのキャップに手をかける。飲みたいのだろう。だったら手袋を外した時、一緒に開けるべきだった。「貸せ」ともう一度それを取ったとき、目の前に人が立った。
「あ、お、お待たせしました」
 顔を上げる。一瞬誰だか分からなかった。
 右肩に落ちかかっている、一つにまとめた髪。紺のダッフル。口元まで覆うグレーのマフラー。明るい茶色のブーツは、パンみたいなグラデーションでどこかおいしそうだ。何より
「おう」
 スカート! 白いふわふわひらひら!
 真琴はくしゃっとはにかんでみせると、すぐに俺の傍らに目をやった。その時だった。
「かえして!」
 はっと手元にあるペットボトルのことを思い出す。キャップをゆるめるとそのまま渡す。いつになく眉間にしわを寄せた礼奈が、それを受け取りながら真琴の方を見た。
「こんにちは。れいなちゃん、かな?」
 名前を呼ばれて驚いたのだろう。礼奈は片手で俺の上着のすそをつかむと、そのまま後ろにかくれた。その頭をなでる。真琴はその後、楓の方を見た。急いで付け足す。
「楓。弟だ。元々行きたがってたのはこっちだけど、一緒に行きたいって言いだして」
「いや、行きたいなんて言ってないけど」
 それはそうだが合わせろよ。
 どうしたもんかと思っていると、微かに笑い声が聞こえた。
「そうだったんですね。来てくれてよかったです」
 一瞬「は?」という顔になった楓の後頭部をはたく。電車の時間がせまっていた。
「行くぞ」




 その後、改札機を自分で通すと言ってきかない礼奈が、表裏逆に入れて係員を呼ぶはめになった関係でさらに時間をロスすると、結果
「だから最初から窓口のニイちゃんに渡しときゃいいんだよ」
 と、小脇にかかえて階段をのぼる事になる。いつもは何かと騒がしい礼奈が、かつがれたまま大人しくしている事に違和感を覚えるが、そのまま電車に乗り込む。
「楓」
「何」
 いることを確認して、その後ろに真琴もいることも見て確かめる。楓の背中に手をそえていた。
「・・・・・・んだよ。子供扱いすんなよ」
 ガキど真ん中が何言ってやがる。
 いい加減にしろと注意しようとするが
「それは、すいませんでした」
 言いかけてやめる。低い所から見上げる目が丸くなったからだ。
 コイツ自身「ごめんなさい」と言われることはあっても「すいません」はない。その事に戸惑っているのだと気づくまで、少し時間がかかった。

 ガタタン。
 動き出した電車。ふん、と鼻を鳴らしてドアの窓に張り付いた楓は、外の景色を見ながら大人しくなった。と、間髪入れず腕の中で暴れ出したのは礼奈だ。抱えたまま完全に忘れていた。足元に下ろすと、やっぱり俺の後ろにかくれる。
 マジか。
 真琴は前に妹が欲しかったと言っていた。だから喜ぶかと思って連れてきた結果、まさかこんな事になるとは。元々すげぇイイコじゃなくても、それなりにコミュニケーションとれるタイプだろお前ら。いや、楓は違うか。いや、礼奈も人見知りするか。って事は単純に俺の計算ミスか。
「ここからどの位かかるんですか?」
「ん? ああ、浜松から乗り継ぎがあるからな。全部合わせて一時間くらいだな」
「そうですか。じゃあ楓君や礼奈ちゃんにとっても遠出ですね」
「そうだな」
 確かに、小学生や保育園児にとったら大冒険だろう。楓の産まれる時、病院にいる母親を見舞った時でさえ、ここに取り残されたらどうしようと思った事を思い出す。その時だった。強い力で腕を引かれる。
「おにいちゃんをとらないで!」
 その目。鈴汝そっくりの目が真琴をにらみつけていた。血の気が引く。
「いや、コイツ」
 何だってこう上手くいかないんだ。いや、元をたどればブラコンにシスコンで。だからこれはどちらかというと当たり前の反応で。そこに理想を求めた俺の方が間違っていた訳で。今さらどうしようもないが、それでもどうにかしない訳にはいかなくて
「やっと」
 顔を上げる。しかし真琴は思っていたのとは全く違う表情をしていた。
「やっとこっち向いてくれた。大丈夫だよ。お兄ちゃん、取ったりしないから」
 かわいい、そう言うと真琴は窓の方を向いた。
 礼奈はじっと真琴を見つめたまま動かなくなった。
 電車が揺れる。
 その姿は幼いなりに自分の中に起こった感情を整理しようとしているようだった。つかまれたままの腕。戸惑いが伝わる。それは最終的に二人の内どっちの感情か分からなくなった。




 水族館ではあるものの、正式には体験学習施設と名がつくその場所は、アクアゾーンの他に体験ゾーン、学習ゾーンといくつかに分かれていて、たしかに学習の施設だった。
 十一時からのエサやり後、チョウザメに触れると聞いてぶっ飛んでいった楓の後を礼奈が追う。いくら保護者と言っても小学生。現場監督は必要だ。ため息一つ、行き交う人の間を通る。
「は、早い・・・・・・」
「すごいだろ。アイツ、はまると強ぇんだ」
 言っておいて何に対する強さだと思う。サメに触るという事がアイツの中で何につながるのか分からない。分からないが、本人にしか分からない何かがあるのだろう。
 礼奈が楓に追いついて、そのすそをつかむのを見届けると肩をなで下ろす。人だかりの向こうから上がる歓声。熱の中心を外れることで、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「お前も触りたかったら行ってきていいぞ」
「いえ、私は」
 はにかむ。その髪が肩の上に乗っかって揺れた。思わず顔を覆って天を仰ぐ。
 幸せだ。
 隣で笑ってる。嫌いと言われて落ち込んでいた時の俺に肩ポンして言ってやりたい。大丈夫、お前いいことあるぞ、と。私服すげぇいい、と。
「どうかしましたか?」
「いや、何でも」
 頬をさすって元に戻すと、ふと数日前に見た光景を思い出した。
「あの、さ。お前鈴汝とはもう大丈夫なんだよな」
「大丈夫、とは?」
「仲悪くないんだよな? いや、前に鈴汝と保健室入ってくの見かけたから。あれは国語の前の昼休みだったから・・・・・・木曜か」
「安定を取り戻した心」が聞いてあきれる。少しでも長くその状態を保ちたかったはずが、その姿を見かけただけでどうでもよくなる。結局連絡したのは同じ日の夜だった。
 真琴は眉を下げた。
「大丈夫ですよ。火州さんが思うようなことはありません」
 ウソは、ついていないようだった。
 その日、俺は書庫に用があった。図書室とは別に大学の入試関係、赤本だけを集めた部屋があり、それは丁度職員室の真下に当たる。そこを出た時二人を見かけた。不安から後をつけると中から声がした。
〈思い当たることがあるの。多須さんはあなたが心配するような関係じゃない〉
〈不安なのは分かるけど、確かに落ち着いた方がいいわ。本来のあなたがするような事じゃない〉
 真琴の声はしなかった。何のことかと耳をすませるが、丁度包帯を持った保健医が帰って来た。まさか盗み聞きを続ける訳にもいかず、そのまま立ち去ったが、その時の事が引っかかっていた。
 何があったか分からない。分からない、が
 どこか遠くを見る。その目はうつろ。
 その表情に見覚えがあった。潤んだ目。それは水島に向けられたものだ。
 本来の真琴ならしないようなことを、水島のためにした。
 鈴汝の言葉はそうとれる。ほめられるものではなかったのだろう。それでもコイツは




「まことちゃぁぁぁぁぁん」
 その時だった。小さい指を目一杯広げて礼奈が戻ってくる。と、そのままの勢いで真琴に突っ込んだ。
「さめ、さわった!」
 その目がキラキラしている。荒い息。完全に興奮状態だ。
「お前、手洗って来たのか」
 その目がスイッと俺を避ける。すかさず小さな身体を抱き上げた。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
「騒ぐなうるせぇ!」
 続いて戻ってきた楓も、自覚はしていないだろうが息が荒い。元々大きい目をさらに見開いている。もうこぼれ落ちそうだ。
「サメ、さわった」
 兄弟か。兄弟だ。
「よかったですね。どうでしたか?」
「かたかった。思ったより」
「そうですか」
 とにかく興奮を抑えきれなかった楓は、一度うなずくとやっと我に返ったようで「・・・・・・別にたいしたことない。行ってきたら?」と続けた。
「鼻の穴ふくらませて、何が『たいしたことない』だよ。お前も手洗いに行くからな」
 鼻をおさえた状態で、一歩後ずさる。
「イヤだっ! せっかくさわっ・・・・・・くっさ!」
 名誉のために言っておくが、臭いのはサメじゃない。サメの置かれた環境だ。どうしたって生臭いものは生臭い。
 いい加減抵抗を続ける礼奈が落ちそうだ。それを見て真琴が楓に向かって手を差し出した。
「行きましょう」
 また子供扱いどうこうだだをこねると思っていた楓が、今度は素直に言うことを聞いた。
 言うことを聞いて、その手を取る。
「お前っ・・・・・・手洗ってないだろ!」
 真琴の見ていない所でその目が細まった。どこかで見たような表情だった。
「飛鳥、うるせぇ」

 午後になると施設の一角でダイバーによるエサやりの他、クイズや質問コーナーが設けられた。子供衆がこぞって前のめりになる中、ガキど真ん中の楓と礼奈も元気よく手をあげている。保護者が取り巻いているため、真琴の目線の高さだと何も見えないに違いない。
「悪いな付き合わせて。何か見たいもんあるか」
「いえ、」
 その頬は水槽に照らされて青。透き通るような肌の表面を波の影がなでる。元々水分の膜を張っているからだ。波間にその目がきらめく。
 胸の奥が痛む。コイツの横顔は、好きじゃない。
 落ち着かない。きっと隙間を見つけては水島を思い出す。安心できるのは目が合っている時だけだった。
 十三時四十五分から始まったイベントは、イコール二十分の自由時間。
「行くぞ」
 驚くその腕を引く。
 一秒だってムダにしたくない。俺はそのまま人の輪を離れた。




 アマゴ、ニジマス。アユ、コトヒキ、アミメハギ。ドチザメ、ウツボ、コブヨコバサミ。
 都田川を再現した水槽を通り過ぎると、熱帯魚の前で立ち止まる。
「ほら」
 戸惑っているその手を水槽の前に引き寄せる。
「触れるんだと」
 大水槽から突き出たクリアボックス。その内側に空いた丸い穴。横から手を入れられるにも関わらず、水がこぼれないという。
 おびえるようにして見上げていた目が、カラフルな魚の方を向く。おそるおそる手を差し入れると、その表情が一変した。
「わ、あ」
 青、黄、オレンジ。白に黒。のんびりたゆたっていたヤツらが、突然現れた肌色に興味を示して集まってくる。真琴はその勢いにひるんで身を引くと、鼻先を押しつけるようにしていた魚が一斉に散った。
「ビビらしてんじゃねぇか」
「あぁぁぁぁぁごめんなさいごめんなさい」
 踊るように泳ぐ色とりどり。見ているだけで楽しい世界に自分が入る。たった一度つつかれた指先を見つめるようにして、そろそろ手を取り出す。
「本当に水、こぼれないんですね」
「ほんとだな」
 したたる指先。真琴はハンカチを取り出した。
「向こうに水道が」
「いえ、」
 笑う。
「まだあります」
 並んだクリアボックスは三カ所。どうやら別の所からリトライするつもりらしい。
「楓君や礼奈ちゃんに怒られてしまいますね」
 悪い大人です、とうれしそうに身体をずらすと、さっきよりスムーズに手を差し入れた。足元にある子供用の踏み台。後ろに来た子供がその姿を指差して母親を見上げる。
 いや、連れてきたのは俺とはいえ、
 誰が大人だよ。お前以外今水槽に張り付いてるの全員小学生だぞ。と腹の中で思った。

 時間を確認する。十四時になろうとしていた。隣には水槽に手を突っ込んだまま微動だにしない真琴がいる。サンゴと同化した手は、魚が寄ってきてもまるで動かない。表情まで固めた本人は真剣そのものだ。真剣にサンゴ化している。何の修行だ。
「あー、お楽しみの所悪いが、そろそろ」
「す、すいません! つい」
 つい何だ。慌てて手を引っこ抜いた拍子に魚が散った。手を洗うとイベント会場に向かう。丁度最後のクイズが終わった所だった。充分楽しんだかに見えたが、さっき程ではないようだ。きちんと人の波に乗るようにして戻ってくると、礼奈は当然のように真琴の手を取った。
「つぎ、どこいくの?」
 聞かれた真琴は俺を見上げた。二階には図書やゲームコーナーがある。きっと楓は喜ぶが、せっかくだから手に取れるものがいい。それはコイツらの反応を見て思うことだった。
「外。中庭に行く」
「なかにわってどこー?」
 行き交う人にもまれる。「こっち、」と言った時、礼奈がもう片方の手で俺の手をとった。はぐれないようにするため、それは当然の行為だった。ただ、
 いや、ちょっとこれは・・・・・・
 礼奈の後ろに真琴がついてくる。小さな手がつなぐもの。顔を上げた真琴と目が合う。まっすぐ、俺を映す瞬間。照れくさそうにほころばせる頬。
 どっちも同じじゃねぇか。横顔を眺めている時も、今この瞬間も、
 結局同じように胸が痛む。
 顔をこすって前を向くと、いつの間にか楓が隣に並んでいた。俺の肩をポン、と叩く。
「・・・・・・何だよ」
 その顔を自分の指でぐるりと囲む。
「直りきってない」


  七

 中庭にはタッチプールと呼ばれる、はだしで入れる水場があった。ナマコやヒトデやヤドカリといった浜名湖にいる生き物に触れるらしい。本来ナマコやヒトデは春夏がメインで、秋冬は小魚がメインらしいが、年間通した寿命のズレでこの季節でもその姿が見られた。ラッキーですね、と飼育員に言われる。
 気づいたら楓と礼奈が駆け出していた。完全に放牧状態だった。
「お前も行ってきていいぞ」
 もはや隠しきれていない好奇心。身動き一つ分戸惑って見せるが、脳みそは全部水場に持って行かれている。
「火州さんも・・・・・・」
「いや、俺はいい」
 楓と礼奈を視界の端に置きながらそう応える。真琴は尚もためらったものの「少しだけ」と言ってそそくさと後に続いた。
 コの字型に囲われた水場。そこから芝生を挟んで反対側にあるベンチに腰掛ける。丁度ウナギを飼育している露地池の前。少し距離はあるが充分その動きを見渡せる。
「あすかおにいちゃん、これ!」
 黒々とした体がぬらりと光る。持ち上げたのはナマコだ。
「ほら!」
 楓も負けじと声を張る。そのハサミがシャッと上がった。ヤドカリだ。
 ふともう一人が見当たらないと思って見回すと、身体の横に影が落ちた。
「ほら!」
「うわっ」
 飛び退く。脱ぎ捨てたブーツ。はだしで仁王立ちする真琴が笑った。その手に持っているのはヒトデだ。
「手、出して下さい」
 ウソだろ。渡すつもりか。
 おそるおそる出した手にひんやりとした手が触れる。そうして
「お、おう・・・・・・」
 星形の生き物。ガキんちょに散々もてあそばれたヒトデはぐったりしている。その表面を覆う突起。渡された姿勢のまま固まる。
「もしかして火州さん、こういうの苦手ですか?」
 別に苦手じゃない。ガキの頃あらゆる虫をとっ捕まえて遊んだ記憶がある。だがどうしても触る機会が減ることで、いつしか抵抗を覚えるようになっていた。特に水系の、こういった生き物は
「あすかおにいちゃぁぁぁぁぁん」
「礼奈! 分かった。分かったからそれはカンベンしてくれ」
 肘を九十度に固めたまま後ずさる。それを見て真琴がお腹を抱えて笑った。
「お前っ・・・・・・覚えとけよ!」

 その後、全く受け取る気のない真琴を通り過ぎて、そのまま水場にリリースする。激しく音を立て続ける心臓。手のひらに残った、自転車のタイヤに使われるようなゴムの感触。
 触る、という事の圧倒的な影響力に呆然とする。その他全てを押しのけて、対象物に自分を取られる。それは、発想を飛ばせば「殺すことのできる距離感に対する警戒の裏返し」なのかもしれない。
 触れる事。対象との間を行き来する感情。
 振り返るとまだ真琴は笑っていた。「すいません」まさかそう思っているとは思えない。頭にきたが、この手で触ってはいけないという理性だけは働いた。逆の言い方をすれば、この手で触らなければ何をしてもいい。今見ている世界はそう思える程に非日常だった。
 ばくばくと音を立て続ける心臓。その細い首に片腕を巻き付ける。
「コイツ!」
 そのまま引っ張っていくと、歩きながら俺自身も靴を脱ぎ捨てる。
「うわ冷たっ! お前らバカじゃねぇの!」
 俺の腕を両手でつかんだまま、真琴が声を上げて笑った。礼奈も笑った。その向こうで楓も笑った。バカみたいなコイツらを、自分を、俺も笑った。
 楽しい、と思った。


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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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