聖5〈8月6日(金)③〉

文字数 2,061文字



  三

 食事を終えて風呂を上がると自室に戻る。ドアが閉まっていたため、念のためノックすると、スプリングのきしむ音がした。
「やっと来た」
 僕のベッドから勢いよく起き上がると、兄貴はローテーブルの向こう側に腰を下ろした。すでにウノのカードが配り終えてある。
「十五枚ずつね」
 やるだなんて一言も言っていないがお構いなしだ。兄貴はカードの束をとると、扇状に広げた。僕は結局持ち運んだだけで一度も開かれることのなかった本を棚に戻す。
「お前からでいいよ」
 自分のカードを広げた所だった。目を上げると満面の笑みとかち合う。そのすぐ傍に佇む携帯。
 僕は一枚目のカードを出した。

 少しだけ兄貴の話をしよう。年は僕の三つ上で、よくある家庭に漏れず、幼い頃はよく理不尽なケンカを強いられていた。力も脳のしわも一年ごとに倍増していく成長期まっただ中での三年という年月は、もはや絶望的な格差だった。しかし長らくマウンティングに苦しめられた時期を越えて兄貴が家を出ると、大幅にその関係性が変わった。それは閉鎖的だった学校生活からの解放や、自活による両親への感謝が生まれたためかもしれない。急に人が変わったように丸くなったのだ。
「ドロフォー」
 僕は積まれた山からカードを四枚引く。兄貴残り八枚。僕残り六枚。
 ただ兄貴が丸くなった理由は、必ずしも先に挙げたものだけではない。あれは丁度卒業式の日だった。片思いをしていた相手と付き合うことになったのだ。僕も一度だけ会ったことがある。当時中学生の僕には、これから大学生というその人はとても大人びていて、僕の知っている女子と同じ生き物とは思えなかった。すらりと背の高い、物腰の柔らかな女性だった。
 兄貴がカードを引く。筋張った手の甲はよく焼けていて、爪の桃色が浮いている。縦に長い、それは女爪と呼ばれる形をしていた。不意にその手が携帯に触れる。単に時間を見るための動作に過ぎなかったが、少しだけ動揺した。
「ドロフォー」
 僕は積まれた山からカードを四枚引く。兄貴残り四枚。僕残り九枚。
〈出て〉
 さっきの命令は、だからきっと彼女からの連絡だったのだろう。有無を言わさぬ空気は、あるいは照れ隠しなのかもしれない。カード越しに盗み見ると、高い鼻梁に沿って光の筋ができていた。まつ毛の影が落ちる。
「ドロフォー」
 その喉仏が動く。いつもの声であるにも関わらず、命令する時と声の高さが明らかに違う。いや、もしかしたら声質自体全く別物に変わっているのかもしれない。
僕は積まれた山からカードを四枚引く。兄貴残り三枚。僕残り
「・・・・・・ちょっと待って。ドロフォー持ちすぎじゃない?」
 その口角が大きく動いた。
「持って生まれた強運」
「いやいや絶対おかしいだろ」
 そういえば僕が来た時には、既にカードは配り終えていた。僕は強引にその手持ちをひっくり返すと、声を荒げた。
「おかしいだろ! 何だよドロフォー、スキップ、スキップって!」
「最後英語残しダメじゃん? だから今から二枚引くでしょ?」
「それ続けて最後終わりにしたくなったら、スキップドロフォー通常のカードで上がりかよ汚ねぇ!」
「うはははよく分かったな。お前賢くなったなぁ」
 最低だ。腐った根っこはまるで変わっちゃいない。俗に言う、これが世にはびこる力関係の縮図だ。個人的には世界平和よりずっと早く解決すべき問題だと思っている。僕はカードを投げ出すと立ち上がった。
「あれ、怒っちゃった?」
「別に」
 これで怒らないと思える神経がまずどうかしてる。自己肯定力に長けた長子程平和な生き物はいないのだろう。この事だって兄貴の性格を考えたら日常に過ぎないし、わざわざ取り立てて怒る必要性はない。しかしそんな些細なストレスを飲み込み続けて出来た眉間のしわのせいで、だからいつも少しだけ損をする。
 ベッドに倒れ込むと、兄貴の靴下が転がっていた。一瞬本気で殺意が芽生える。
「聖」
「何」
「もう大丈夫か?」
 枕から少しだけ顔を浮かす。兄貴はテーブルを向いたままだったから、その背中に返事をする形になる。
「・・・・・・うん」
「ならいいんだ」
 今度こそ、その手に携帯を取った。静かになった室内に操作音だけが響く。無意識に肩に力が入る。
 例え直接接触する事はなくても、望んだ相手とつながることが出来る。それは人間にしか感じえない豊かさの象徴であり、同時にそれがどれほど幸せなことか。声が返ってくることは、圧倒的な贅沢なのだ。
「余計な世話かとは思うが」
 操作音が止んだ。
「今を生きろよ・・・・・・なんつって。俺イイコト言うー」
 いつの間にかウノはキレイに片付けられていた。立ち上がって尻をはたくと、ドアに向かう。たったそれだけを言うためにウノ三十分。変なとこで不器用だ。
「うん」
 その時バイブが鳴った。無機質で味気ない機械音が兄貴を変える。ドアが閉まっても、その音はしばらく耳から離れなかった。


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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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