鮫島勤①〈7月25日(日)④〉
文字数 1,524文字
四
想定外だったのは彼女がごっつい兄さんに絡まれていることだった。俺は人混みをすり抜けてその間に割って入った。振り返る。奴が追ってくるはずの背後をまっすぐ見つめる。
一瞬すべての喧騒が遠のく。水島と、ゆっくり目が合う。その目が大きく見開かれた。
何であんたがここにいるんだ。
立ち尽くす奴からギリリときしむ音がした。その時だった。もうもうと腹ん中に立ちこめていた感情がウソみたいに晴れるのが分かった。と同時にずっと張り詰めていた肩の力が抜ける。俺はようやく吐き出し口を見つけたのだ。
こんな所にあった。
思わず緩む頬。外れない視線。
俺は、その目を見て、笑う。
男の手首を押す。それは基本、ツボさえ突けば誰でも簡単に外れる。
「やっぱり、雅ちゃんだった」
機嫌を損ねた相手を振り返り様、そう声をかける。
「なんだお前? 邪魔すんじゃねぇよ!」
怒鳴り声が響いた。花火とは種類の異なる、ただのノイズだった。
左手で彼女を庇うようにして一歩足を引く。触れた腕は信じられないほど冷たかった。
「戻れ」
彼女が「何ですか?」と声を張る。まずい。次の瞬間、男が殴りかかってきた。普段なら間違いなくよける。鈍い音がした。今、は普段じゃない。背後に彼女を背負っている。
「来た道を戻れ!」
彼女に意識を向けながらやり切れるほどの余裕はない。一旦、水島に貸す。
しかし受け止めた拳も、次はどうにもならなかった。もう一方の拳が腹をえぐる。内臓が形を変えた。気付いた時にはもう遅かった。一瞬、意識が宙を舞う。背後から悲鳴が聞こえた。
まだ、いたのか。
「邪魔だ! 早く行け!」
その後、彼女が走っていったのを確認すると、俺はもう一歩下がって距離をとった。
「優しいねぇ。自分だけで許してもらおうと思ってんの?」
大口を開けて笑いながら男は言った。
「許してもらうのは、そっちだろ?」
つばを吐く。鉄の味がした。ちょっと頭にきた。
「ターコ! お前みたいなひょろい奴が俺に勝てると思ってんの?」
何がそんなに楽しいか分からないが、またしても笑う。今度は、俺も笑った。
「タコはお前だ。残念だが、俺は下等生物は相手にしない」
花火の音。
俺の声は奴には届かなかったようだ。変わらず笑っている。火薬の匂いがかすめた。
「じゃあお望みどおり、相手してやるよ」
再び向かってくる。今度はよけた。左腕を使ってそれをいなすと背後に回りこむ。花火が、
今度はよける。左腕を使ってそれをいなすと、一歩で背後に回りこんだ。花火が、その油の乗った頭部から首筋にかけてを照らす。延髄。場所は第三頸椎。
火州に使ったのは軽めのものだ。動けなくするのが目的だったから。でも。
ドシッ。
本気で首の側面を打ち落とす。その膝が崩れた。
「相手が悪かったな。俺は、鮫だ」
聞こえていないの承知で、そう口にする。小指の側面に残った脂汗も、不快。
人だかりから上がる悲鳴。高崎が顔を出す。
「やっぱり。何だと思ったらまたケンカか?」
お好み焼き片手にやって来る。実にいいタイミングだ。
「悪い高崎。ちょっと運んでくれるか?」
「もー。ケンカなんかより花火楽しもうぜ」
ぶつくさ言いながらも、高崎は俺に持ってるものを渡して男を担いだ。
「悪い。もうしねぇよ」
タバコを取り出そうとしたが、傍を走り抜ける子供がいたためやめておいた。代わりに
「これ、もらっていいか?」と、まだ手をつけていないお好み焼きを一口食べる。
「俺の!」
「分かったよ! 後でもう一つ買ってくるから!」
食に関して高崎はうるさい。いいじゃねぇかこのくらい。