飛鳥４〈７月２５日（日）③〉

　　三

　神社の前まで来て真琴を見つけると、歩調を緩めて、「よう」と手を上げる。真琴はそれに合わせて頭を下げた。
　着ているのは、黒地に淡いブルーとホワイトの花が散った浴衣だった。黒地なだけに、帯の優しい水色が映える。視線を少し上げる。俺から見て、顔の右側には帯と同色の髪飾りがついている。こっちの方が色は濃い。
「お前、腹減ってないか？」
　再びその顔が上がる。
「あ、はい」
「じゃあ行くぞ」
　そう言ってその腕をつかむ。するとあわてた様子で真琴が言った。
「あ、あの、先輩と･･････み、水島君は？」
「あいつら早く着きすぎたみたいで、先に回ってるんだと」
「そ、そうなんですか･･････」
　うつむく。ほんのり焼けたつむじ。まっすぐな黒髪は屋台の光を受けて橙を反射する。
　小さな頭だ、と思う。それにしても冷たい腕だな。いや、俺の手が熱いのかもしれない。
　俺はまず食いもんの店を探す。一歩踏み出すと、後ろから二歩足音が聞こえた。

　とりあえず目に入った食いもんを片っ端から買い集める。本当はもっと南の方も行きたかったのだけれど、鈴汝たちに遭遇してしまう危険があったのと、出し物の関係で動きがとれなくなりそうだったのでやめておく。代わりに行った西方面ではケンカがあったらしく、しばらくざわついていた。面倒に巻き込まれるのはごめんだったため、真琴を連れて目的のものを買うと、そのまま○○神社に戻った。その腕を放し、境内に腰を下ろすと、「ほら、食え」と促す。会釈をして俺の隣に腰を下ろすと、真琴は浮かない顔をして、それでも何とかうなずいた。
　その髪は背中の高い位置で切り揃えられていて、よくある日本人形みたいだ。白い肌は、ほとんど化粧っ気がなく、頬と鼻の頭がほんのり赤い。鮫島と似たような肌質なのだろう。それは日に焼けた色だ。咳払い一つ。
「その、まぁあれだ。この間は、悪かった」
　とりあえずそう伝えた。
「火州先輩が謝ることではないですよ。それに、そんなに気にしていません」
　真琴は膝にたこ焼きを乗せ、それを見つめながら答える。
「いや、それはそうかもしれんが･･････」
　俺は事情を説明できない。ややこしくなるのが目に見えていたからだ。真琴はおもむろに顔を上げると、どこか遠くを見た。その目はうつろだ。
「お前、今何考えてる？」
　考えるより前に、口をついで出ていた。
　向き直る、その目は潤んでいた。潤っていたと言った方が正しいかもしれない。何となく、嫌な予感がした。その目は幾度となく相手をしてきた女達が、自分に向けるものにひどく似ていた。その目は俺ではなく他の誰かに向けられている。
「な、何も考えてないですよ」
　すいません、ちょっとボーっとしてしまって、と続ける。俺は立ち上がり、その正面から両肩をつかんだ。真琴は驚いて、俺の両目を交互に見る。
「な、なん･･････」
「あいつか」
　俺はついさっき顔を合わせた、冴えない男を思い浮かべて言った。
「あいつなんだな」
　もう一度言う。何となくずっと、嫌な予感はしていた。難なく誘いに乗った、あの時からずっと。真琴はみるみる顔を真っ赤にして「な、何がですか？」とかすれた声で言った。それが妙に腹立たしくて、俺は腹ん中で突然黒い何かが燃えるのを感じる。
「い、痛･･････」
　はっとして、あわてて手を緩める。無意識に肩を持つ手に力が入っていたようだ。俺は一つ深呼吸すると言った。
「あの、クラスのヤツがいるから、来たんだな？」
「い、いえ、そんな･･････水島君は全然･･････」
　真琴は顔の前で手を振る。しかし言っていることとは裏腹に、頬の赤みはますます色づいていく。
　花火が、上がる。その光を背負う位置に俺はいた。そうして、光をまともに受けた真琴の顔が、脳裏にくっきりと焼きついた。潤んだ目。紅潮した頬。何かを言おうとして、半開きになったままの唇。そのすべてが、いっそ殺してしまいたいほど憎たらしく感じられた。俺はこの感情が本来コイツに向けるべきものだったのではないか、と錯覚する。
　だってそうだろう。俺はコイツを倒さなきゃいけない。そうしなければ一生、やり場のないこの感情は残る。

　飛鳥。

　うるせぇんだよ、クソババア。