真琴9〈9月8日(水)〉

文字数 5,894文字

 



 

 一

 今何時くらいになるんだろう。不気味に静かで、肌寒い。色味と人の気配に因果関係はないのだけれど、部活のない日は暗くなるのが早い気がする。寒色が七割を越えた所で一時間位は経っているのだろう。影にのまれた側溝。星がまぶしいと感じるのだから明度も随分下がってるに違いない。
「とある友人の話なんだけど」
 粘り気のある乾いた声は、水分なしで二つ食べたカップケーキのせい。その目の端が動く。
 涙袋。その筋肉は意図的に動かせるものではないと聞いた事がある。心が震えたとき一緒に動く筋肉。
 だから乾いた声は、必ずしもカップケーキだけの仕業ではない。
 咳払い一つ、師匠はわざと声のトーンを上げた。
「そいつ、劣等感の塊だったのね。なんでも親父がとある大学病院のてっぺんの人だったとか。だからそいつ本人が何もしてなくてもすごいちやほやされる訳よ。最初は気分良かったらしいけど、その内自分が何をやっても全部親父の息子っていうレッテルに持ってかれてるのに気づいて、そっから自分見てもらおうと必死に頑張ったのね。それもただの優等生じゃダメで、もうぶち抜いた模範生目指したの。相手ピラミッドの頂点じゃん? そんくらいのインパクトないと相手にもされないと思った訳」
 軽い口調は、早い。Aメロ、Bメロなんてとばして、早くサビを聴かせたいようだ。静かな屋上にしみこんでいく、煙を伴わないただの声。
「そんな時入った生徒会で一人の女の子に出会った。丁度ここに入学して一ヶ月、地味で大人しくて真面目っぽい子。目が合った瞬間同類だって分かった。その子もデキる姉ちゃんに異常なコンプレックスを持ってて、話す機会も多かったから、すぐに仲良くなったのね」
 今Bメロ辺りだろうか。とある友人の話にしては妙なリアリティがある。話し方の問題かもしれない。
「で、次の月には付き合ってた。そいつにとって初めて味方ができたんだ。その子さえいれば全部よかった。非の打ち所のない、完璧な生徒になれた。そこまでは良かったんだ」
 息を吸う、その横顔が微かに動いた。細く尖った鼻先を両手で覆うようにして肘を突く。
「でもその数日後、突然彼女が豹変した。始まりは万引きだった。立ち寄ったコンビニから出ると、得意げにバッグから商品を出した。すぐ引き返そうとしたが止められた。大丈夫だからって。その後も同じ事を繰り返した。そん時口グセみたいに言ってたのが『悪いことがしたい』だった」
 夜に呑まれる。寒色九割。うっすら水分の膜を張った目の表面が反射する。


  二

「本当は止めるべきだったし、止まるべきだった。後から分かった事だが、彼女がおかしくなったのは自分が生徒会長になれないと確信したタイミングだった。七月の全校集会の段階で、何も問題が起きなければ別の奴が会長を継ぐ話が出てたんだ」
「でもそれが確定って訳じゃ・・・・・・」
「確定なんだよ。とにかくそれで話がまとまった」
 その目は虚ろ。
「その子の姉ちゃん、過去に別の高校で会長やってて、本人にとって会長になる事は絶対条件だった。だからそれが叶わないと知った時、正規のルートを外れた」
 眉間に寄るシワ。浮かび上がる輪郭は何ら変わらず端正で、なのに今までと違って、はかなげで心許ない。
「俺は、彼女がいれば良かった。でも彼女はそうじゃなかった。例えそれが世間一般に正しい手法じゃなかったとしても、自分が優秀だと証明したかった」
 息を呑む。見開く目。どこか一点を見つめて話し続ける師匠は私の動向を意にも介さない。いや、気にかける余裕なんてないのだ。
 とある大学病院のてっぺんの人を親に持つ、劣等感の塊。確約された生徒会長の座。
「とある友人」の一人称。これは、師匠の話だ。
「で、その秋起きた事件が決定打になった。二人の間に子供ができちまったんだ」
 鼻先を覆う手。その隙間から漏れる吐息が震えた。前かがみ。丸い背中は、細く、頼りない。切なさ。青色の悲しい焦燥。不敵に笑う人が、今にも
 泣かないで師匠。
「分かってた。悪いことがしたい彼女に合わせちゃいけないって。本当は分かってた。でもそんな事よりまた一人になる事の方が怖かったし、日に日にエスカレートしていっても、その度にうれしそうにする彼女を見てたら、なんかもうどうでも良くなってった。だから」
 ほとんど無意識だった。地面に両手を突くと、横からその身体を抱きしめる。手の甲にささる固い髪。師匠の肩が大きく上下した。
「・・・・・・本当は分かってた。『今日は大丈夫』って言葉自体信じちゃいけない事も。でも俺はあるもの全部免罪符に見立てたかったし、何より」
 大きく息を吸う。しかしそろそろと吐き出された声はあまりに小さい。
「アイツを悦ばせたかった。ただ笑って欲しかった」
 抱きしめる腕に力を込める。そうしていないと存在さえかき消されてしまいそうだ。吐き出されたものの重さを引いたら、師匠の体重なんてゼロに等しい。頬を寄せるとパラパラと髪がこすれた。

「・・・・・・それで・・・・・・その後は?」
 咳払い一つ、上を向く。
「当然問題になって女は退学、子供は流れた」
 上を向いたのは、あふれそうになるものをこらえるためだ。
「殺したんだよ、俺が。何にも出来ない、俺が」
 影。月光。手すりの錆びついたニオイが喉の奥を締め付ける。鼻が利かない。どうして


  三

「でも・・・・・・師匠、それは」
「続きがある」
 鼻を鳴らす。随分湿った声は、身体に残ったわずかな水分を消費して出される。
「その件がバレた時、アイツはそれまでやってきた事も洗いざらいぶちまけた。一つ一つは軽いとはいえ犯罪だよ? 今までどれだけの事をしてきたか、自白しなきゃ知られる事のなかった手柄をごっそり並べ立てたんだ。ただ、そんなの認められるはずがない。そのまま精神鑑定にまわされた後、それを知ってて止めなかった俺にも話が回ってきて、向こうの親とももめたんだ。でも分かるだろ?」
 見上げた目の縁が赤い。その口の右端が吊り上がっていた。いつもの師匠の顔。いや違う。この顔は
「親父はピラミッドの頂点なんだ。息子の失敗位簡単にもみ消す。念のため俺も精神鑑定を受けて、正常と分かればそれでおしまい。次の日から普通に登校してんの。アイツ一人がいなくなっただけで、何にも変わらない日常に戻った」
 違う、この顔は、この時のショックで作られた顔だ。
「結果俺は一番頼りたくない相手に助けられたんだよ。そいつの力の届かない所で自分を作り上げようとしてたのに、その時俺は他の誰でもない、親父の力で生かされた。勘当された方がよっぽどマシだったか知れねぇ。とにかく俺単体じゃ自分の居場所さえ保てなかった。通学はできても周りの奴らの見る目は変わんじゃん? 本当の所どのくらい知られてるか分かんないけど、やっぱ周りと距離置く訳よ。その時俺はそれまで築き上げてきたものを全部失ったんだよ」
「・・・・・・」
「で、その後女の方は両親が本人の思いを知った事でもっと大切にするようになったんだと。元々無自覚だっただけなんだろうな。何の問題もないフツーに仲のいい家族になりましたとさ。めでたしめでたし」
 単体の拍手が響く。その、どこまでも悲しい目。
 師匠の背中は丸い。それは重たいものを背負い込んで曲がってしまったのかもしれない。偏った笑い方も無意識に身についてしまったものなのかもしれない。近づき難かったその人は大きな傷を抱えていた。
 音が止むと、代わりに訪れたのは地球上全ての生き物が絶滅したような静寂だった。
 自嘲。右の口角が上がる。
「でもなぁ、それってフェアじゃないと思わない?」


  四

「どうして・・・・・・私にその話をしたんですか?」
 その肩が揺れるのが分かった。笑ったようだ。
「だって、聞いたじゃん。俺が好きなのは誰か、って」
「え、じゃあまだその人のことを」
「それはもう過去だ。俺の中では終わってる」
 私はイマイチ師匠の言いたい事が分からない。
「あこがれ、と、娯楽、と、身代わり」
 軽いトーン。私は戻りつつある調子にやっと呼吸を取り戻す。
「正答四点。だから部分点一点」

 女性を海に例える事がある。全てを赦し、受け入れ、包む。たおやかなオブラート。その中に自身を解き放つ。
 鮫は空を見上げると、その目に高々と舞う鳥を見た。
 そう大して変わらない広大なテリトリーを持ちながら、それでも鮫はあの生き物が持つそれを、ただうらやましく思っていた。何にも縛られず、自分が海に縛られていると感じても、あの生き物は決して空に縛られない。ただ頭上を悠々と飛び回る。
 鮫はその姿を長い間見つめていた。

「え、じゃあ結局誰が好きなんですか?」
「だから言ったろ?」
「いえ、ふざけてじゃなくて」
「ふざけてねぇよ。なぁ、草は水を必要とするだろ。だからお前はあいつに惹かれる。それと同じ」
 はぁ。
 眉間にしわを寄せる。
「だから一番は決まってる。でも俺欲張りだから、欲しいもん全部手に入れたいの。強い憧れの対象である鳥も、噛みごたえのある鈴も」
「・・・・・・え?」
 頭が付いていかない。私が聞いているのはあくまで恋愛感情だ。
 師匠は笑った。その笑顔はやはりゆがんでいる。
「恋愛感情? 俺女にそんなメンタル求めないよ? ってかそもそも女に求めるもんってもう身体だけで充分だから。その代わり気に入った人間のメンタルは欲しい。欲しい・・・・・・っていうのも何か違うな。俺は影響したいんだ。良くも悪くも俺自身を見て欲しい。家とか立場とかそういうの越えてつながれる関係? だから半端な相手はいらねぇんだ」
 いや「いらねぇんだ」っていい顔で言われても同意できませんから。よく分からないけど、女性の扱いがとんでもなくひどい事だけは分かった。
 あやうさ。俺様の影に隠れた圧倒的な他者依存。過去の経験からたった一人の相手に求めないよう、リスクを回避した結果なのだろう。
「雅ちゃんに限っては元々妹みたいに思ってたんだけど、それだと弱いんだよね。捕まえて自分のものにしとく必要性が出来ちゃったから。それからかな? 女として見るようになったのは」
「す・・・・・・鈴汝さんはダメです!」
「いや、別に元々気に入ってたことに変わりはないし、悪いようにはしねぇよ」
 ならば「いいよう」の具体例を挙げて欲しい。聞きたくないが。あれ。
 そうか。師匠はまだ、鈴汝さんが火州さんのこと好きなの知らないんだ。でもじゃあ、
「一番の水島君って・・・・・・水島君の精神が欲しいってことですか?」
 その口の右端がうれしそうに吊り上がる。
「そう。マジでいじめたくなるし、時々加減できなくなるんだよね。でも雅ちゃんにとられちゃうと困るから、先に俺が雅ちゃんを捕まえる予定。そしたら水島君あきらめるでしょ?んで両方手に入る。一石二鳥」
「え・・・・・・じゃあ火州さんは・・・・・・」
「あこがれ、は元来手に入らないもの。だからそうやって割り切れる分にはこっちの方が楽なんだよね。あ、ちなみに高崎も同じ枠」
 気が付くと、とっぷり日は暮れていた。その目は鋭利。まるで獣のような、いかにも狩を好き好みそうな。
「そうそう。だからお前に話したの。基本火州と高崎にはいろいろ話すんだけど、さっきの友人の話はだいぶディープで、あんまり近しい人間に話すコトじゃなかったから」
 三人称に戻す意味がよく分からないが、スルーすることにした。
「はぁ」
 というわけで、こうして遠いからこそその深い部分を知ることになってしまった私。この異様な関係を何と名づけよう。
「大丈夫。弟子、ライバルとして意識してない訳じゃないから。まだ今のうちは自由に関わったらいいんだと思うよ」
 おうおうそんな余裕聞いたことないぞ。完全眼中にないじゃん。
 私は曖昧に返事を返す。そうして乾いた頬をこすると静かにため息をついた。その時だった。


  五

 ふと、訪れる感覚。
 感覚。
「ひゃあ!」
 思いっきり後ろに飛びのくとしりもちをついた。そうして胸元をかき合わせる。
「何するんですか!」
「いや・・・・・・」
 師匠はその右手を握ったり開いたりしながら首をかしげる。
「お前・・・・・・もうちょっと頑張った方がいいと思うぞ」
「な、何をですか!」
「いや・・・・・・何かあるだろ。腕立てとか。あ、俺手伝おうか?」
「余計なお世話です! 結構です!」
 あれだよ。確かにさっき「女は身体」って言ってた以上、油断してた私が悪かったんだろうけど、それにしてもいきなり胸触っといて頑張った方がいいぞ、とはいくら先輩でも赦される事ではないのであって。
〈でもあの人気をつけたほうがいいよ〉
 あぁ! 水島君がちゃんと忠告してくれていたのに、それを怠った事への罰なのね。これは罰なのね。
「よかったじゃん。水島君にもまれる前で。これからまだ頑張れるよ」
 えぇい黙れ魚類!
 涙目になりながらその肩を叩く。そりゃあもう全力で叩く。
「いて。いて。何すんだよコラ。痛ぇって」
 いくら叩いても怒りはおさまらない。しかし何度目かで両手を片方ずつ取られる。
「このやろ」
 そうしてぎゅう、と頭から抱え込まれる。再び自由になった両手でその肉のない背中をつねる。
「いて! そっちかよ!」

 それでも何となく分かっていた。師匠はたぶん、今まで誰にも打ち明けられなかった心の深い部分を見せたことが恥ずかしいのだろう。元々親しい訳でもない相手と関わる、その不思議な距離感を補うために掛け合う冗談。この人はたぶん、ものすごく不器用なのだ。
 そうしてその思いを打ち明けられる人間を求めた先にいたのがたまたま私だったとしても、それはそれで良かったのかもしれない。
 ぎゃいぎゃいとじゃれあう。そこには男女どうこうを全く抜きにした、まるで途方もない親しみが溢れていた。仮にそこにわずかな緊張が存在するのだとしたら、それはたぶんまだ未知の要素が多すぎるためなのだろう。圧倒的に共有している時間の絶対量が少ない。しかしそれは、解決し得る問題だった。
「ぎゃはは。お前弱ぇの」
 とっ捕まって、尚も抵抗するが、さっきほど本気ではなくなっていた。
「・・・・・・師匠いじわるって言われません?」
「え、それって褒め言葉でしょ?」
 その目が爛々と輝く。心の底から楽しそうだ。
 だめだこりゃ。そうしてぐったりと力を抜いた時、聞き覚えのある声が届いた。
「何してんだ・・・・・・? お前ら」
 ここに続くドアから一歩出たところ。
 そこには、緩やかな風にたてがみをなびかせたライオンがいた。







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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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