聖3〈6月23日(水)④〉
文字数 1,405文字
四
濃密な色が表情を変えて徐々に薄暗くなってきた。ようやく外気の熱が和らぐ。階下にある音楽室から歌声が聞こえてきた。二人か三人が交代に歌っているので、部活動ではなくおあそびなのだろう。
「もうひとついいこと教えたげる」
目が合う。
「だから雅ちゃんは、火州しか見ない」
「・・・・・・そうですか」
反応の薄さに驚いたのだろう。その人は目を丸くした。
「あれ、お前雅ちゃん好きなんじゃないの?」
「何でそう思うんですか?」
「なんとなく。だって俺、保健室であったこと全部知ってるもん。最近火州の様子がおかしかったから、あん時高崎と一緒にあと付けてって、あの草進って子先回りして中庭側の窓の外に隠れてた」
しれっと言う。
「だから雅ちゃんがちょっと穏やかじゃない感じになった時、すぐさま出てくつもりだったんだけど、お前が来たから。でも」
三白眼。小さな黒目が射るようだ。
「逃げるのはあの場合どうかな。あの草進って子どうするつもりだったんだよ」
口を開く。思ったより小さくかすれた声が出た。
「会長を帰してから、戻ってくるつもりでした」
「そんな、帰しに行ったなんてこと知らなかったら、その子もそのまま帰ると思うよ」
「遠くさえ行ってくれればよかったんです。必ずしも僕がついて行かなくても。最悪、」
咳払いをする。それでも声がかすれた。
「教室の外へ追い出してしまうだけでもよかった」
「お前がかぶるつもりだったんだな?」
何も言わないことが答えだった。その人は両腕を上げて伸びをする。
「やっぱりな」
「何がやっぱりなんですか」
「だって俺でもそうしたもん」
その目が初めて温度を宿す。よっこいしょと立ち上がる。もう少しうまくやったけど、とも言った。
「何か思ったんだよね。こいつキナくせぇって。でも実際そんな仲良さそうには思えなかったし? 雅ちゃんまた泣いてるだろうからって戻ってみたら、お前と話してんだもん」
全身が強張る。頭の中が真っ白になる。
「え、それはいつの話・・・・・・」
「どうだろ。聞こえたの『似てる』ってとこからだけだから、ほんのちょっとだと思うよ」
そう言いながらドアに背を預ける。僕は話したことの順序をイマイチ記憶していない。何をどのくらい聞かれたのか分からない。
「それにしても」
その人は続ける。
「護る、なんてよく言うよ。俺が見た限り、お前じゃ無理だと思うけどね」
カッとなる。しかし何も言い返せなくて、握ったままの拳が震えた。歌声はいつの間にか消えていた。絶対音量は少ない癖にそのハスキーな声は嫌に響く。
その後その人は歩いてくると、僕の肩にぽんと手を置いた。
「自己紹介がまだだったか。三回の鮫島だ」
学年はスリッパの色を見れば分かると言ってやりたかったが黙っておいた。
「これからも顔合わせることあるかもしれないから、よろしく」
そうしてそのまま立ち去ろうとする。その背中を追いかける。
「一回の」
「知ってるよ」
遮られる。振り返り、三日月状に目を細めると鮫島先輩は言った。
「水島君」
動きを止める。何のことない、最初から全部把握していたんだあの人は。
その人は口の右端を吊り上げて一瞥を残すと、大会議室の向こうに消えていった。
爪が食い込んだ手のひらが痛い。廊下にある時計の針が動く音が、やけに大きく聞こえた。