真琴3〈6月19日(土)⑤〉
文字数 1,546文字
五
入り口を向いた水島君と、火州先輩が丁度向かい合う形になる。その後ろで先輩だけが音を立てて震えだす。
「あ・・・・・・飛鳥様・・・・・・」
しかし、その様子には目もくれず、火州先輩は入り口から一番遠いところにいる私を見つけてこっちに向かってきた。
「遅ぇんだよ。何して・・・・・・」
が、私と先輩の丁度真ん中辺りまで来た時、その足が止まった。音を立てて唾を飲み込む。
刃を広げたまま足元に転がっているはさみ。床に散らばった髪。その髪は引っ張られるのに抵抗してずった先輩の足元に続いている。
「・・・・・・おい」
備えつけの冷蔵庫が低くうなった。
ついさっきとは打って変わって、ドスの利いた声が室内に響く。その顔は私が一番最初会ったときに見たものだった。顔の見えている私はまだいい。その背中だけ見ている先輩の方がずっと恐ろしいはずだ。
「鈴汝、どういうことだ」
「違っ・・・・・・飛鳥様それは、あの・・・・・・」
「どういうことかって聞いてんだよ!」
人一人殺しかねない怒気。その腹から出た声は、この室内だけでなく廊下の端まで震わせた。先輩は震え上がって、目を見開いたままぼたぼたと涙を落とした。歯の根がかみ合っていない。血色を失って、唇までも青い。
火州先輩はゆっくりとはさみを拾い上げると先輩の方を向いた。危険を察した水島君が、先輩の前に立ちふさがる。
「何のつもりですか」
「んだお前。どけよ」
火州先輩は左手で水島君の肩をつかむと、よけた。本当に「よけた」という風にしか見えなかったのに、水島君は軽く吹っ飛んだ。そうして足元にしゃがみ込んだ先輩を見下ろす。
「やめ・・・・・・」
水島君が必死で身体を起こそうとする。しかし背中を打ったのか、思うように起き上がれない。一方やっとのことで金縛りが解けた私は、あわててその間に入ろうとする。
「待って・・・・・・!」
おぼつかない足どりでその背中に向かう。その時だった。
「オイ火州!」
まだ増えるか。
現れたのは、以前先輩と一緒にいた細身の男性だった。火州先輩は一旦動きを止めただけで、その目は先輩から外れない。
「またキレちゃったのー?」
「もー」ともう一人、大柄の男性も入口の上の壁をつかんで、それをくぐるようにして入ってきた。火州先輩の肩を細い方の男性が正面からつかむ。
「邪魔だ!」
しかし残る手で突き飛ばすと、細い男性も吹っ飛んだ。どんだけ力あるのー。ふわりと煙のにおいが鼻先をかすめる。
「だーもう。後で文句言うなよ」
その後細い男性は、お尻をさすりながら立ち上がると、音を立てずにその後ろに回りこんだ。目の前にある首の側面を叩く。
ゾッとする。素人目でもその動作は慣れているのだと感じた。間一髪、はさみの動きが止まる。それと同時に火州先輩のあごが上がり、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。身体を縮こめるように先輩が足を引く。
「しょうがないなぁ」
その後床を踏みならして歩いて来た大柄の男性が、火州先輩の身体を担ぎ上げる。
それを確認して、細い男性はタバコを取り出す。ちなみにこの教室、っていうか高校自体、禁煙。
「今回みたいなことは、感心しない」
その後、細い方の男性は煙をゆっくり吐き出すと静かに言った。先輩は一点を見つめたまま動こうとしない。
「よく考えるんだな」
そう言うとその人は、私に一瞥を残して大柄の男性の後に続いて出て行った。
出て行った。私と、うつむいたままの水島君と、先輩を残して。
雨脚はずいぶんと弱まっていた。まるで今起こったことすべてをそっと包んで、流してしまおうとするかのように。
私はおもむろに、室内の時計を見上げた。