真琴6〈8月15日(日)⑤〉
文字数 642文字
五
「真琴」
「・・・・・・はい」
互いに口を開かず、眠りに落ちかけていた時の事だった。再び声をかけられる。
「『さん』付けでいいわ。あの時は・・・・・・その、ごめんなさい」
顔の向きを再びかえる。空気が流れる。よどんでいたものが、堰を切ったように流れ出す。ずっと胸につかえていたしこりが一緒に流されていくような心地がする。
〈呼ぶんじゃないわよ。あんたごときが〉
あれ以来、その名を口にしないように心がけてきた。怖くて怖くて、距離を置いていた。
名を呼ぶことは、その人を自分の方に向けさせること。その人が何を思っていようと、自分の方に向けさせること。多くのするべきことが存在する中で、その中に頭を突っ込んでもいいと許可されること。能動的に自分と関わることを赦されるということ。だからその名を呼ぶことは尊い。身近で親しい呼び名に変われば、それはそれに見合った力でその人を振り向かせる。
「鈴汝・・・・・・さん」
あたしはそう口にした瞬間、何故だか分からないけれど胸の奥が熱くなった。
昼間、怖い兄ちゃん達からかばってくれた背中を思い出す。絶対的な恐怖の中、鈴汝さんは怯まなかった。
「ありがとう・・・・・・ございます」
「うっさいわね。分かったから何度も言うんじゃないわよ」
そう言うと再びごそごそと寝返りを打った。
苦しい。
あたしは今にもあふれ出しそうな思いをこらえて、小さく「ふふ」と口にした。
波の音は、絶え間なく続く。
空気が、流れる。