水島悟〈3月14日(月)〉
文字数 2,609文字
一
「いや、俺もしくったと思ってるんだって。リバース置くにはもうあと一ターン待たなきゃいけなかった。もっとリバース(吐くの)にふさわしい名言が出るはずだったのに、俺としたことがっ・・・・・・!」
「そこじゃねぇよ! 反省するとこそこじゃねぇよ!」
「スキップのカードで足を滑らせたこと? あれはお前が悪いよ。直前にバナナの皮投げられてスリップした訳じゃないんだから」
「そこでもねぇよ! 話が通じねぇ! 脳みそどうなってんだちきしょう!」
兄弟であるにも関わらず全く理解出来ないと言ってわめきたてる弟が元気そうで何より。正月ぶりに帰ってきた実家は、どこか甘い香りを漂わせていた。階段の上を見上げて解説する。
「ちゃんと見た? リバースは部屋向き、スキップは部屋から出る向きに置いといたの。だからリバースは俺のキモチで、スキップはお前のキモチやめやめやめやめ」
胸ぐらをつかまれて制する。サークルで週一、汗を流す程度しか動かしていない人間に、腕力でモノを言わすなんて野蛮にも程がある。俺は階段を上がって散ったカードを回収すると、角をそろえた。階下から見上げる目は鋭い。わずかに見え隠れするのは焦り。
「母さんは?」
「・・・・・・いつも通り。仕事帰りに買い物して帰ってくる」
じゃあ十八時だ。すでに十六時半を回っている。
時計から目を戻した。
ツヤがある程に幼く見える髪。わずかに赤みの差した頬はどこかあどけない。まだ戻すのに時間がかかっている俺に対して、全く乱れていない呼吸。無駄なものをそぎ落としたような背筋。その目は
まっすぐ俺を見返す。焦点の合った目は、明確な意思疎通を可能にする。一年前、誰とも目を合わすことのなかった弟が、自分の足で立って見上げている。その力強さに胸を突かれる。
「大事な子なのか?」
一瞬の間。黙ってうなずく。
そうか。
「そんなことより何で兄貴がいるんだよ」
「春休み。今日から一週間ぐらいいるつもり」
俺はもう一度カードの端をそろえると、上から四枚とった。階段の手すりに残りを置く。聖は「マジかよ」とつぶやくと、唇を噛んで下を向いた。
「・・・・・・頼むよ。もう三十分もしたら帰ってもらうから、それまで」
その頬にカードを突き刺して扇状に広げる。振り払うようにして一歩下がった聖は眉間にシワを寄せた。
「人が真剣に頼んでるときに何を」
「一枚引かせてあげよぅ」
二
こっちから見ればカラフルなカードも、向こうから見れば統一された真っ黒。その目が一度カードを見てから俺に戻る。
「出た数字の時間だけ完全にここを空けるよ。一だったら一時間。色は関係ないからねぃ」
目を丸くする。すぐには飲み込めないようだった。
「・・・・・・何が望みだ」
「最後に一つ残った場合のアイスの所有権、年末のチャンネル決定権、ウニとイクラは問答無用でアナゴタマゴとトレード」
ぶれない視線。
「のむ」
・・・・・・あ、コイツ絶対損するヤツだ。
思わず眉が下がる。いいの? と聞くが、既にカードに手をかけていた。
引く直前、一瞬の躊躇。
「・・・・・・ゼロもあり?」
「もちろん」
「・・・・・・」
迷ったのは本当に一瞬だった。一枚引かれたカードを見送る。少しだけ胸に来るものがあった。
聖、兄ちゃんうれしいよ。
「・・・・・・ドロフォー?」
俺は残ったカードの束を差し出す。
「はい。上から四枚」
息をのむ。少しして出した手は微かに震えていた。
一、三、〇、二。計六時間。
携帯を取り出して発信ボタンを押す。ドアの向こう、今の時間を確認すると、丁度母親の終業時刻、十七時になるところだった。
「・・・・・・あ、母さん? オレ。そ。今日帰ったの。でさぁ、見たい映画あるんだけど今からオレ車出すから行かない? ・・・・・・いや、レイトショーの方が安く済むから、夕飯外で食って、仕事終わった親父拾って。・・・・・・ああアイツ友達んトコ行くんだと。・・・・・・そ。サメジマさんとこ。・・・・・・ん。言っとく。じゃねー」
三
通話を切ると、聖は目と口をかっぴらいたまま呆然としていた。その口の端が震える。
「あ、兄貴・・・・・・」
「言ったろ? 完全にここを空けるって」
言いながら財布を取って玄関を開ける。背中を追いかけてきたのは声。
「カード、切ってなかった。もしかして始めから用意して」
「うはははよく分かったな。お前賢くなったなぁ」
振り返る。
「・・・・・・なんて。さすがに九は引かせらんなかっただけ。どうしてもできるコトとできないコトはあるじゃん? でもできる限りのことはしたい心持ちぃ」
夕日がその表情を余すことなく照らす。玄関の足元にそろえられた、先の細いパンプス。
「せわしないってのは相手にも気を遣わせるからねぇ。ホラ、ピロートークってバカにできないよ」
「・・・・・・ピロートークとか言うんじゃねぇ」
「俺だって言いたかねぇよ。ただ、もう二度とこじれて欲しくないだけぇ。こんなこと気にせず済むような、早く大人になれるといいねぇ」
表面。少しだけ揺れたように見えた目元を拭う。聖は小さな声で「うん」と言うと、背筋を伸ばした。まっすぐなのはイイコトだが、だからこそふいに心配になる。
「・・・・・・あと、割に合わない賭けには乗らないコト。お前絶対だまされるから」
聖は思いがけず笑った。
「分かってて乗ってる。完全な確率の賭け事じゃないから」
ふともしコイツが引いたのが一だったとして、と考えてみる。それでもたぶん
「相応だよ。差し引いて余りある」
関係なかった。コイツにとって何でもない日に彼女と過ごす一時間は、アイスもチャンネルもウニもイクラも全く。
過去に過ごしたかったけど過ごせなかった一緒の時間を、必死で埋めようとしてる。生きている内に。大切にできる内に。
〈喜んでいるんです。あなたを護ることができる。それは、特権です〉
生き急ぐ。それは俺には到底分かりっこない、密度の高い、濃い時間なのだろう。
俺も笑った。狂ってやがる。こんな等価交換、遺伝子のせいにするんじゃねぇよ。これは正真正銘、お前自身のバグだ。
「じゃねぃ。言っとくけどシンデレラは時間に余裕をもって帰すんだよ。間違っても寝落ちしないようにね」
ハッピーホワイトデーィ。そう言い残して家を出る。目線の高さにある夕日がまぶしい。目頭がツンとしびれた。
しびれた。聖、兄ちゃんはとってもうれしいよ。