飛鳥6〈8月15日(日)④〉
文字数 1,434文字
四
右手に灯台が見えた。海岸沿いに浮かぶ光は漁船なのだろう。キレイだ。そう思うと同時にキュッと胸の奥が引き攣れた。
宿から徒歩十分。俺達は再び砂浜に戻って来た。真琴はここまで来る途中でも、何度も砂に足をとられたり、けつまずいたりした。
おいおいばあさん。
おぼつかない足取りで歩く本人は至って真剣で、だから余計におかしい。考えなしに頬が緩むのが分かる。
〈鈴汝さんを、もうこれ以上傷つけないでください〉
しかしその直後、頭をかすめたそんな声に芯が冷えるのを感じた。
鈴汝。
決して俺は鈴汝を好いていない訳じゃない。だが好きと言っても、俺にとって妹みたいなものだった。鈴汝が男達に襲われていたあの時、俺はそこにいたのが鈴汝だったから助けた。というのも、鮫島こそいたものの、その場では一対三だったからだ。ともすれば自分の身も危険にさらしかねない状況で飛び込んでいけたのは、鈴汝と目が合った瞬間、礼奈とだぶったからだ。その目は、本当によく似ていた。だからあの時俺は奴らを赦せなかったし、何があってもコイツだけは護らなければならないと思った。
結果的にその思いが鈴汝と別のものになってしまっただけであって、俺は鈴汝が好きだった。大切だった。だから傷つけることを何より恐れていた。
「わっ」
足をとられる。一瞬、何が起こったのか分からない。
「わ、悪い」
あわてて顔を上げると、真琴は顔いっぱいに砂をつけて咳き込んでいた。ものの見事に転んだ俺につられて、真琴まで巻き添えを食らう。俺がその手をしっかり掴んでいたのだ。無理もない。
「悪い」
もう一度そう言うと、俺も砂を払うのを手伝う。真琴が目をこすった。砂が入るからやめとけ、と言ったその時だった。
「ふ」
ふ?
その顔を見る。
「ふ、ふふふふふ」
目元を覆うようにしている手。何かと思ったら笑っている。頬についたままの砂。
「いえ、」
真琴は本当に心からおかしいというように語尾を震わせた。
「火州先輩が転ぶと思わなかったので」
「・・・・・・っ!」
その後しばらく笑い続ける真琴に、悔しくなって砂のついた手をなすりつける。
「何でですか! 今とれたとこじゃないですか!」
さっきまで笑っていた真琴は、今度は怒りだした。残念だが泣き言のようなそれは、本人が望むような力を持たない。片頬払っている所、もう片方もつけてやる。
その瞬間、聞こえた波の音は、たぶん一生忘れない。何度も、何度も繰り返される単調な振動と、その一回は全くの別物だった。
俺は再び立ち上がると、服に付いた砂を払った。真琴も同じように膝を払う。そうしてひとしきり落としたのを確認すると、その手をおろおろと胸の前でさまよわせた。その意味が分かっているからこそ、俺はしばらくその様子を楽しむ。
「あ、あの・・・・・・笑ってすいませんでした・・・・・・火州先輩」
どうやら俺が気を悪くしたと思ったらしい。それがどうしようもなく愉快で、ニィと笑うとその手を掴んだ。
「『さん』付けでいい」
真琴はすがるように俺の手を強く握り返してくる。今のコイツにとって、俺が唯一の道しるべなのだ。そう自覚すると同時に、自分の中に芯のようなものが出来るのを感じた。
心が浮き立つ。もっと上手く楽しませられたらいいのだが、あいにくそんな技術は持ち合わせていない。ゆっくりひたすら歩を進める。もっと遠くへ。もっともっと遠くへ。