鮫島勤②〈2月5日(土)、9日(水)〉
文字数 5,210文字
一
「え、バカなんですか? もしかして嫌われるようにして欲しい努力とやらのお手本のつもりですか? 僕には全く参考にならないんですけど」
二月五日土曜日。屋上にて。呼びもしない水島は、屋上に現れると、ゴミを見るような目で俺を見下ろした。そんで信じられない口撃力で俺をののしる。
「こっちが聞きてぇよ。何で離れなきゃなんないお前が毎日一緒にいて、この俺様が労力のムダ遣いしなきゃなんねぇんだよ」
「もっと上手いやり方はないんですか? 火州先輩といい鮫島先輩といい、いい迷惑です。草進さん困ってるじゃないですか」
「あーそうやって丁度いい立場から弟子のことかばうー。だからいつまでも『水島君大スキ』が抜けないんだよ。いい加減やめろよその紳士ヅラ」
「紳士じゃなくても放っておきませんよ。知り合いによって知り合いが困らされてるんです。ひどく目に余る規模で」
正しく説教する水島は「で、どうなってるんですか」と続ける。タバコに火をつけると、思いっきり吸う。
「まさか草進さんのこと、好きになったんですか?」
大きな目。俺は膝に頬杖をついて息を吐ききると「そんなんじゃねぇよ」と言った。
今日火州は私立の受験だ。あれからまだアイツと話してない。
浮かぶ雲は三分前と同じ顔。しばらく見つめていても何も変わらない。
少しずつ長くなっていく日に合わせて、青空もちゃんとした「青」でいる時間が長くなる。十二時半の青。浮かぶのは雲だけじゃない。
白。息の止まるような銀世界。まっさらな雪。
あれは雅ちゃんに「依頼」をした翌週の土曜のことだった。久しぶりに会った弟子のシルエットは変わっていた。
〈分かってますよ。でも信じたくなかった〉
やせた。やつれたといった方が近いかもしれない。カンタンに外れそうな手首の黒いヘアゴム。とにかくふくふくと笑っていた血色は失せ、代わりに目だけが異様な動きを見せるようになる。
〈火州さんにフラれたってあの時聞いたんです。だっておかしいじゃないですか。どうして今それを言うんだろうって〉
水島との間に何かがあったからだろう。雅ちゃんにとって飛鳥サマより大きな存在ができたという宣言にも聞こえる。
長い髪が覆う横顔。白髪一本見当たらない完全な漆黒。それはまっすぐ過ぎて融通が利かず、テキトーにあしらうことができない。下手すればかなり危うい。
〈やっぱりあの時、自分が楽になることを選んだから〉
二
「・・・・・・それにしても『ばっちい』はキズつくよなぁ」
「何ですか?」
「いや、」
頭上から降ってくる声。長居する気はなさそうだ。水島は半身を向けると、寒さに肩を縮こめた。
「・・・・・・つまみ食いしようとしてかじったら言われた」
「・・・・・・」
つむじの辺りに視線を感じた。何も言われない方が言葉に収まらない分、逆にめちゃくちゃ言われているような感覚になる。
大きなため息。その片手で頭をかくと、放るように言う。
「ご褒美じゃないですか」
「・・・・・・ウソでしょ? 何そのメンタルゆがんでる」
「あなたにだけは言われたくないですね」
指先で灰を落とす。最近は結局吸わない時間の方が長い。
「いや、そのでっかいおめめでごまかしてるけど、お前ギリギリ人型保ってる変態ストーカー魔人だかんね。自覚しろよ。あと、それが許されるだけの見てくれ授けたお前の両親に心から感謝するんだな」
「何という言いたい放題」
「さっきのお返しだよ」
側溝に押しつけて後ろ手をつく。首を回すとイイ感じに音が鳴った。
「でもダメなんだよねー俺。ホラ、大切に育てられてきたタイプだから、拒絶されるのとか慣れてないの。打たれ弱いの」
「パラメーターあったら攻撃に極振りするタイプでしょうからね」
「そ。だからやさしくして欲しいの。分かる?」
「僕に言ったってしょうがないでしょう」
半身を向けたままたしなめる。水島君の言うことはイチイチ正しい。
「アイツ、やさしいんだ」
つぶやくと少し間をおいて「そうですね」と返ってきた。またため息。今度はつくと同時に腰を下ろした。何も言わない。何も言わないから純粋な俺待ちだった。水島君もたまにやさしい。
女を海に例えることがある。全てを受け入れ、包むオブラート。そうして俺は一度溺れた事がある。あの時の恐怖がまだしつこくこびりついている。
自分をさらすこと。人と関わり続ける上で避けて通れないやりとり。
疲れていたのかもしれない。ふと視界に入ったのは海草。落ちるように身をゆだねる。
〈師匠〉
覆って保護する子守歌。回復を願うまじないにいつしか癒やされる。
「ひじき君はどうなの?」
「ひじきじゃないです聖です」
定型文の後、少しだけためらった。別に必要のない間だった。
「・・・・・・鈴汝さんと付き合うことになりました」
「爆破しろ。木っ端みじんにな」
聞いてきたのそっちじゃないですか、と肩を揺さぶられるが何のことない、思った事を言ったまでだ。大富豪。今クイーンを持っていたら、指定するのは間違いなくコイツだ。
「え、何がどうなってどうなったの?」
「ちょっと意地悪したら『オニ』って言われて、そういえば節分でしたねって返したら『オニは外』って言われました。豆の代わりに言葉をぶつけられる感じでしたので、全部おいしくいただきました」
「オエェェェェェェ! やめろ変態! 俺の見立てドンピシャじゃねぇか! ホント、お前よく捕まらずここまで来れたな!」
まだもぞもぞしている水島は話し足りないようだ。俺はその口が開く前に丁度空になったタバコの箱に二、三入れて渡す。
「やるよ」
「吸いませんよ」
「違う」
眉間にシワを寄せたまま箱を開けると同時にその動きを止める。これだから童貞は。
「な。必要だろ?」
口をつぐんだまま複雑な表情をしてみせる姿はちょっとだけかわいい。初々しくてついからかいたくなる。
「ガンバレむっつり」
三
別に見返りが欲しい訳じゃない。俺は俺がしたいようにしてるし、それでもう完結してる。でも自分だったらきっとうれしくて、それってそのまま態度に出ちゃうと思うんだよね。人によって思ってることが分かりやすいヤツ分かりにくいヤツはいるが、それでもやっぱり端にはにじむと思う。それが嗅ぎ取れないのは純粋に俺の嗅覚が鈍っているからか、あるいは本当にないからか。
思い出したのは、弟子に嫉妬して雅ちゃんが暴走した時のこと。
〈雅ちゃんが何を思って、何であんなことしたか本当に何も分かんないの?〉
あの時声を荒げたのは、雅ちゃんに自分を重ねたからだと今なら分かる。天を仰いで目を閉じる。
そんな複雑なことじゃなかったはずだ。火州からたった一言「悪い」が聞きたかった。そんで「水くせぇ。しょうがねぇなお前は」で一セット。ホントはそのやりとりがしたいだけだった。
「師匠先週のあれ、何てこと言うんですか。ほんとやめて下さい」
張りのない声。それは水島君と会った翌週水曜の放課後、弟子自ら屋上に現れた。水島といい、用があるヤツは怒らせとけば話が早いのかもしれない。
「何が? もしかして乳の話? 間違ったコトは言ってないでしょ?」
「間違ってなくても皆の前で言うことではありません」
言いながら腰を下ろすその姿をまじまじと見つめる。
「間違ってねぇのかよ・・・・・・」
絶望しかねぇな絶壁。
弟子が言っているのは、前その教室に行ったとき、クラスの女にSランクどうこう言われて返したことに対してだった。
「大丈夫。どこにでもそれなりの需要はあるってもんだ。誇れまな板!」
「どんな励まし方ですか」
ブラのサイズ、Aカップを下回るダブルA、トリプルAというものが存在する。どうあがいても皆無な膨らみにも、それなりの敬意を払ったつもりだが通じなかったようだ。
「一応確認しとくけど、まだ成長してるんだよね?」
「・・・・・・」
マジかよ。もう機械とか薬とか何でもイイから頼った方がいいって。そんでテメェのポテンシャル信じるメンタル他に使えよ。その方がはるかに世のため人のためになる。
思っていることが何となく伝わったのか、への字に結んだ口を震わせたままそっぽを向く。
「ごめんて」
本当に嫌がっているのは分かっているのだが、加減ができない「攻撃に極振り」な分、そこに存在価値を見いだしているフシはあるのかもしれない。言い訳に過ぎないが。
火州だったらどう思うんだろう。
動かない雲。夕日のせいで今は橙に染まっている。
冷たい空気。初めてアイツに会った時もこんな背景だった。だからこれはアイツの色だ。
野郎の長髪は好きじゃなかった。女々しくて、どこか厭世的で、斜に構えている感が遠回しな構って欲しがりに見えるから。そんな概念を根っからひっくり返したのがアイツだった。
上げた前髪。目力だけじゃない。通った鼻筋。荒々しい雄の輪郭。圧倒的な色香。あの時、初めて他人に憧れた。ずっと王様だった俺が初めて勝てねぇと思った。理屈じゃない。ただ一緒にいるだけで浮き立つ。丁度全部がイヤんなって片っ端から投げ出してた頃、受け入れがたい現状と戦っている時だった。そんな自分がバカらしく思えた。
その背中を見てた。夢中で見てたから、他の目が気にならなくなった。あの日からアイツが俺の指針だった。
四
「火州さん」
肩が跳ねた。思ってた事が漏れてたんじゃないかと錯覚する。弟子は目尻を下げて続けた。
「師匠のこと、ないがしろになんてしてませんよ。仲がいいから『身内』だからつい後回しになってしまっただけです」
「分かったような口利くなよ」
「分かりますよ」
分かります、と言うと目を伏せる。膨らみの足りない頬に落ちる影。その唇は乾いている。俺は頭をかくと、あぐらに肘をついた。
「お前、ちゃんとメシ食ってんの?」
「はい。それなりに」
「『それなり』が足りてねぇんだよ。気ぃ遣わせるような顔色しやがって。いいか。ただでさえまるっとしてるワケじゃねぇんだ。十が七になるんじゃねぇ。三が一になるんだ。下手すりゃあとちょっとでお前消えるぞ」
私あとちょっとで消えるんですか? と笑う声さえ弱い。開いたその目はうつろ。消えちゃったら楽なんですけどね、とも言った。細い手首に浮いたヘアゴム。闇属性が本領発揮している。
「とにかく今は何も考えるな。そんで食え。寝ろ。寝る前にたらふく腹に詰めた方が太れるらしいぞ。胃もたれするかもだけど。そんでまずはちゃんとバカにできる体型まで戻れ。話はそっからだ」
「もう充分バカにされてると思うんですけど・・・・・・」
「だからどこいじっても笑って済ませるような健康体に戻れっつってんの。今のお前相手じゃ、ただいじめてるだけみたいで気分が悪い」
「私も既に充分気分悪いんですけど・・・・・・」
「うるせぇな。黙って言うこと聞いときゃいんだよテメェは」
消え入りそうな骨張った背中。どこをかじっても全然うまそうじゃない。雪山に行った帰り、この俺に向かって強気に言い放ったのと同じヤツとは到底思えない。簡単に言っちゃえば張り合いがない。ただ単純につまらない。
「いいか」
だから、早く戻ってもらわなきゃ困る。水島君と同じ、お前は大事なおもちゃなんだから。
その両頬をはさむと、こっちを向ける。ぼんやりした目。
「お前はあの時『自分が楽になることを選んだから』っつってテメェの首しめてるみたいだけどな、元はと言えばあれは俺がそう仕向けた。だからお前は悪くない。神サマでも仏サマでもねぇ、俺のせいなんだよ」
与えるのは体温じゃない。感情。ちゃんと怒って泣いて笑う、ただの弟子に戻るように。
「お前のやさしさを受け取ろうとしないヤツ、そもそも気づきもしないヤツなんかに心を砕くな。安心しろ。お前のつくったカップケーキの方がずっとうまかった」
焦点は・・・・・・合ってんだかないんだか。でも聞いてはいるようだった。目の表面が揺れる。
「それでも不満なら当たれ。殴れ。でもその代わりちゃんと忘れるんだよ」
焦点は合ってんだかないんだか。その目の表面が静かに満ちる。ゆらゆら揺れる。ゆらゆらゆらゆら。
ドン。
胸に叩きつけられたこぶし。その拍子にこぼれる涙。震えが伝わる。思わず笑いが漏れた。
「そんなんで忘れられんの?」
ドン。
反対のこぶしを叩きつけられる。あふれる涙。噛みしめる唇は今にも切れそうだ。
「弱ぇ」
ドン。ドン。ドン。
うめき声が混じった。落ちた涙が膝元にしみこむ。
まいったな。
「前の方がずっと強かったよ。手加減してる?」
あおる。その顔が上がる。鋭い目つき。やっと目が合う。
振りかぶったこぶし。その手首をつかむ。もう片方もつかむ。
「・・・・・・もういいよ。いくらやってもムダだって分かった」
その腰に足を回して乱暴に引き寄せる。つんのめった弟子が手を突いて顔を上げると間近で目が合った。
「忘れさせてやるよ」