聖8〈9月1日(水)〉

文字数 5,873文字

 

 一

 いつ、何を購入して、いくら支払っているのかは一覧に記録が残っている。一年生は現金に触れないため、確認対象は二年生八人だ。ふと「備品代」と称して支払った記録が目についた。文化祭関係だろう。全て同じ筆跡で五月六日、二十日、二十七日。同日二枚ずつ、計六回に分けて金銭のやりとりがある。合計額が不足分と完全に一致する。しかし問題はどうやって本人を割り出すかだった。二年生の教室は二階にある。本来用のない下級生は訪れることのないフロアだ。僕は中央階段に足をかけた。
 ひとまず文化祭で使った備品はどこで購入したか聞いてみよう。答えられれば関係者。そうでなければ誰が知っているか聞けばいい。確か四組の人は同性だったはずだ。
 踊り場で折り返す。放課後、上の階から降りてくるのは三年生を含む上級生のみだ。物珍しげな視線に、自然目を伏せる。そうして二年生のフロアに立った時だった。
「あれ」
 聞き慣れた声がした。振り返ると鮫島先輩が三階に続く階段を降りてくる所だった。
「どしたの?」
  ぐ、と言葉に詰まる。これは生徒会の内部事情だ。しかも良くない類の。この人に知られる訳にはいかない。
「何でもないです」
 後ろに手を回すが、手すりに引っかけて、複数の内一部を取り落としてしまう。『領収金額一欄』すぐさま拾うが、再び合った目は先程とは全く異なる温度をしていた。
「何それ」
 血の気が引く。これは僕だけの問題じゃない。生徒会の信用が、会長の立場がかかっている。再度「何でもないです」とかぶせると、鮫島先輩に背を向けて歩き出した。しかしまさかこの人が黙って見過ごす訳がない。ものすごい力で襟首を捕まれると、本気で息が止まった。咳き込む。低い声がした。
「よこせ」
 問答無用に奪い取られる。書類は全部で三部。十秒でそれぞれの表紙と一部中身に目を通すと、鮫島先輩は「ついてこい」と言った。「お前ホント、運だけはいいな」とも言った。


  二

「おい」
 四組の教室のドアに手をかけると、鮫島先輩は生徒会の人間いるかと聞いた。廊下側の席にいた生徒が「タケシタ」と呼ぶ。教室全体がざわついた。呼ばれた男の人が机の間を縫って、小走りにやってくる。
「・・・・・・はい」
  その緊張が伝わる。上級生による突然の呼び出しだ。不安が隠せていない。
「五月の六日、二十日、二十七日に経費で買い出しに行ったの、お前か?」
 その目が見開かれる。すくみ上がる音がするようだった。
「いえ、自分は行ってません」
 そうして教室の外に知り合いを見つけたのか「カネコ」と声を上げた。呼ばれた人がやってくる。よく日に焼けた肌。身長の割に骨太の男性だった。
「あのさ、文化祭ん時の買い出し行ったのって・・・・・・」
「ああ、中辻と黒田だろ」
「おけ。お前、そいつら今ここに連れてきてくんない?」
 男は鮫島先輩の存在に気づくと「誰この人」とタケシタさんに聞いた。首を振る。カネコさんは先輩に向き直った。
「あの、すいません。何の用が」
「いいから早く呼んできてっつってんの」
「いえ、生徒会の事ですよね? 経費のこととか関係者じゃない人にお話しする事はないと思うんですけど」
 ドン、と肩を押される。つんのめって三人の間に躍り出ると、背後から凄まじい殺気を感じた。
「いいから」
 空気がヒリつく。肌の表面が総毛立った。どうやら強制力とやらは発声量で決まる訳ではないらしい。殺気? 違う。これは上に立つ者のごく当たり前の立ち振る舞いを、こちらが勝手にそう解釈しているだけだ。僕と同じ受け取り方をしたタケシタさんがあわててその肩をつかむ。
「違う」
 その唇がわななく。どうやら何かに思い当たったらしい。
「この人、知ってる」
 眉間にしわを寄せたカネコさんに耳打ちする。と同時に男の表情も変わった。向き直ると「失礼しました」と頭を下げる。
「いや、いいから早く呼んできてっつってんの」
 カネコさんが走り去ると、鮫島先輩はタケシタさんに「この二人にいつも買い物行かせてんの?」と聞いた。
「いえ、この時はたまたま・・・・・・」
「だって結構な金額買ってんじゃん。大荷物でしょ。それ毎回女の子に運ばせてんの? 少なくとも三回は行ってるんだよ?」
 タケシタさんはメガネを外して汗を拭うと、目を合わせないまま答える。
「いえ、自分も手伝うとは声をかけましたが断られました・・・・・・。邪魔だからいい、と」
 何て言い草だ。どう考えても気遣いに対する正しい返答ではない。
「別に買いもんにセンスなくても、買ったもん運ぶ位役に立つでしょ」
 何て言い草だ。人でなしはここにもいた。
「邪魔って・・・・・・本当はどういう意味だったんだろうね」
 タケシタさんが顔を上げた。初めて目が合った気がした。
 その時だった。カネコさんの声がした。


 三

 水曜日だから部活がない。基本的に公共ルールとしての時間割が消失した生徒は、用を入れるとしても友人や家族など私的なものだ。ただ私的なもの、は上下関係を前にした場合、内九割が予定の変更を余儀なくされる。世の中には優先順位というものがある。
「・・・・・・何ですか?」
 染めているのだろう。色素の薄い前髪を掻き上げながら一人が言った。連れてこられたのは二人とも女性だった。確かに生徒会の集まりで見たことがある。キレイだけど近寄りがたい印象の人だった。
 男性二人は用が済むとそそくさと帰って行った。鮫島先輩はタケシタさんにしたのと同じ質問をする。返答はイエスだった。
「じゃあ話は簡単だ。領収書出して」
「出しましたけど? ないんですか?」
 話すのはこの人だけだ。もう一人の女性はチラチラとこっちの様子をうかがっている。
「ないから言ってんの。早く。俺、ヒマじゃないの」
「なくしたんじゃないんですか? それをこっちのせいにされても」
 ねぇ、と振り返る。もう一人の女性は二度うなずいた。切りそろえた前髪が違うだけで、腰まで届く後ろ髪はまるで同じだ。シルエットにしたら見分けがつかない。
「いや、それはないと思うよ。だって今会計やってるのこいつだもん」
 突然話を振られて驚く。
「は?」
「だから、今会計やってるのこいつって言ってるの。あと、口の聞き方気をつけてね」
 動揺する。今この中で平然としているのは鮫島先輩だけだ。
「見て。分かるでしょ。見た目通り、こいつすげぇ細けぇの。もう絶対一緒に生活したくないレベルなの。繊細なシンケイをお持ちなの」
 あっけにとられる。情感たっぷりに話すその様子はどこか楽し気だ。
「だから知ってるの、全部。知ってて黙ってんの。全部ダダ漏れなの。優等生敵に回すと怖いよー。先生だって大人だし、静かに大人の対応する事もあるよね。出来れば問題起こしたくないし」
「な、何なんですか」
「あ、そうそう。言い忘れてたけど、こいつ俺のお目付ね。ちょっと言葉が過ぎちゃうとパワハラとか言われちゃうかもしんないじゃん。でもちゃんと言うには上級生の力が必要。だから俺はただのカラクリ。傀儡ね」
 いつの間にか女性二人は互いの手を握りしめていた。急に不安になったのかもしれない。僕は鮫島先輩を向き直る。その爛々とした目。
 どこか、じゃない。心底楽しんでる。思い出したのは初めて会った時の事。
〈知ってるよ〉〈水島君〉
 何が傀儡だ。この人食い鮫が。
「どうする? オールラウンダーよりエキスパートの方が強いのが普通だと思うんだよね。無口な会計本人が出てきてんだ。ここが最終ラインだよ」
「は、はったりよ! 聞いたことないそんな」
 その時だ。その手を引かれて中断する。振り向いた先で黙っていた方の女性が首を振った。手を引かれた方の女性の唇が強く引き結ばれる。数秒の沈黙。それでもようやく観念したのか、その後同時に振り向いて口を開いた。
「あ」
 しかし次の瞬間、突如鮫島先輩のまなざしが情を消した。さっきまで至極楽しそうにしゃべっていた人だ。その温度差は、殺気まがいの気配をより鋭利なものに変えた。
「いいから早く出せっつってんだよ」


  四

 全部で六枚、二万八千九百円。不足分丁度の領収書をデスクに入れると施錠する。この鍵はスペアであるため、後でまた返さなければいけない。
「ありがとうございました」
 生徒会室の入り口に立っている鮫島先輩に声をかけると、ドアを閉める。先輩はすでに歩き始めていた。その後を追う。

 あの後領収書を受け取ると、鮫島先輩はそれを僕に押しつけた。軽く計算しただけで不足分だと分かった。ホッとして帰ろうした時、先輩は再び口を開いた。
〈この一件で会長が責任問われてんだよ。最終提出期限間に合わなきゃアウトだ〉
 もはや抱き合うようにして震えている二人は、唇を引き結んだまま続く言葉を待つ。
〈今すぐ職員室に行ってこの事を担当の教師に伝えろ。会長の責任じゃないことが分かればいいから、言い方は何でもいい。隠してたでも忘れてたでも〉
 張り詰める。女性の、その小さな喉が引き攣れた。
〈とっとと行けよ〉

 携帯のバイブが鳴った。鮫島先輩のものだ。本人は画面を確認しただけでポケットに戻す。 その後階段を降りると職員室の前で止まった。僕は急いで鍵を返却してくる。その間鮫島先輩は壁に背を預けてドアを見つめていた。
「お前はどうするつもりだったの?」
 気だるげな背中。探るポケットは目的の物を見つけたようだ。
「僕も・・・・・・同性の生徒会の人に誰が買い物に行ったのか聞いて、本人を問い詰めるつもりでした」
「ふぅん」
「でも・・・・・・甘かった。僕じゃきっと出来ませんでした」
「きっと、じゃない。絶対だよ」
 向き直る。その目は冷たい。いつの間にかくわえられたタバコ。その先端が上下する。
「上の奴吐かせたかったら、そいつの上の奴使うしかねぇんだよ。しかもある程度中の事情が分かる人間で。お前が下手に動いて目的のもん手に入らない上、雅ちゃんに変な言いがかりまでつけられてたらどう責任とるつもりだったんだよ」
 ある程度中の事情が分かる人間? ふと疑問がよぎったが、聞ける雰囲気ではない。口をつぐむ。たった二つ年上から言われる言葉ではないような気がした。僕はただ、会長の役に立ちたいだけだった。
「それに万が一ブツを手に入れられたとしても、後のこと考えたか? 雅ちゃんがやりづらくなったり、もっと手の込んだ形で再発する可能性だってない訳じゃない」
 僕はただ、会長の役に
「だから最初に言ったよね? お前じゃ無理だと思うって。全く護れてねぇよ」
 刺激臭。煙は上に向かっても、ニオイは一定の範囲を覆う。その口の端がつり上がった。
「お前のはただの自己満足。そんなのに利用されて、雅ちゃんかわいそう」
 ルールと呼ぶなら校内の、しかも高校生の喫煙は完全なルール違反だった。しかし、ぐぅの音も出ない。タバコをくわえた口の端から出る言葉が圧倒的に正しかった。あの時僕は、僕の勝手な言動によって大切な人を追い込んでしまっていたかもしれないのだ。
「あと火州けじめつけたって。これで何か変わるかもね。早く成長しないとあっという間にかっさらわれちゃうよ」
 けじめ?
「自分が雅ちゃんを好きになることはないって伝えたって事」


 五

 その時だった。職員室の引き戸が開く。中年の男性職員と目が合った。
「おい、生徒がタバコなんて」
「シガレットっす」
 職員は目を丸くした。僕も目を丸くした。どうあらがった所でニオイまではごまかせない。嗅覚の拒絶反応。副流煙は紛れもない毒だった。
「シガレットっす」
 しかし職員はその後何を言う訳でもなく、そのまま通り過ぎていった。教員にあるまじき舌打ちの音が聞こえたのは、気のせいではないと思う。
 一体何者なんだこの人は。改めて鮫島先輩を向き直ると、煙がしみたのか、目をすがめている。
「キャプテン・・・・・・」
 その後続けて出てきたのはバスケ部の先輩だった。高野さん。その目はまっすぐ鮫島先輩を捉えている。
 キャプテン?
 一瞬見せた羨望のまなざしは、けれども次の瞬間には色をなくした。
「・・・・・・失礼します」
 横切る。終始本人は言葉を発さない。ただもくもくとタバコをふかし、職員室の扉をにらみ続けている。あの生徒会の女性二人がきちんと報告するのを見届けるまでここを動かないつもりなのだろう。僕は廊下を横切って階段に足をかけた。
「おい」
 その目は決して扉を離れない。吸い殻を携帯灰皿に入れてポケットにしまう。
「雅ちゃんには言うなよ。絶対。俺はこの件について何も知らない。いいな」
「・・・・・・」
「いいな」
 強張った頬。張り詰めた横顔。僕は目を伏せると階段を駆け下りた。

 時刻は十七時。日の入りが約十八時だけに、随分早くなった夕方は今までと同じ明るい橙でも力の振り絞り方が違う気がする。すぐやってくる夜に押しつぶされないように、無理して笑うかのようだ。
「高野さん」
 下駄箱でやっと追いつく。先輩は靴を片手に振り返ると「おつかれ」と言った。
 アヒル口。高野さんの口角は何をしなくてもいつも上がっている。まん丸のつぶらな瞳に、つるんと丸い鼻先。いわゆる犬顔、というやつだ。そのせいでそう見えているだけかもしれないが、先輩が尊敬したり慕ったりする相手は分かりやすい。感情全てが表に出る人だった。
「鮫島先輩と何かつながりがあるんですか?」
 背の高い下駄箱が影を作る。斜めに走る橙と濃い黒。埃っぽい土臭さが鼻先をかすめる。
「キャプテンって何ですか?」
 その目に薄暗い影がよぎった。戸惑い。悲壮感。心許ない視線。それは、寂寥だった。
「・・・・・・正確に言うとキャプテンじゃない。トップは兼任できないからな。中学の時から勝手に呼んでた呼び名だ」
 トップ? 兼任?
 その目は悲しい。どんな事情があったのか知らないが、この人は先輩を今でも慕ってる。
「昔から憧れてた。でも高一の秋に辞めたんだ。俺はあの人とバスケやりたくてこの高校に来たようなもんなのに」
「どうして辞めたんですか?」
「さぁ。いろいろ噂は聞くけど、本当の所はよく分かんねぇや」
 靴を床に落とす。高い音がして土埃が舞った。かかとのつぶれたスニーカー。
「あの、」
 夕日は赤い。焦燥。何かが焼ける。僕の中を漂う焦げ臭さ。
「鮫島先輩は元々あんな感じじゃないんですか?」
「・・・・・・どんなカンジの事か分からんが」
  その目が自嘲気味に細まる。遠回しにアウトロー呼ばわりした事を見抜いたのだろう。侮蔑のまなざしが僕を射た。
「元生徒会長だぜ? あの人」




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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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