聖1〈5月11日(火)②〉

文字数 1,836文字



  二

 源氏物語に興味を持ったのは、ただ一人を追い求める主人公の哀愁に自分を重ねたからだ。亡き人に似た人を探す。はたから見れば愚かな行為も、当事者になれば話は別だ。再び自分を満たす存在に出会いたい。数々の女性と浮名を流すプレイボーイは、己の目的にこそ忠実だった。
「水島、メシにしようぜ」
「ああ」
 手元に落ちた影。いつの間にか二時間目が終わっていた。
 昼休み。幼馴染みの今川は、同じように何人かに声をかけると机を動かした。その背中は大きい。幼稚園の頃は僕の方が大きかったのに、スポーツ少年団で野球を始めたのをきっかけに、いつの間にか追い抜いて、このクラスでも大きい部類に入った(そもそも野球でそんなにでかくなるなんで聞いたことがない)
 誰にでも好まれる短髪。人なつっこい笑顔が自然と人を集め、たった一ヶ月で今川を中心に大きな輪が出来た。ともすればすぐ現実逃避を繰り返す僕は、そんな幼馴染みの恩恵にあずかる事でいろんな事をやり過ごしてきた。
 時刻は十二時五十分。四時間目は十三時二十五分からだ。今日も食事を終えると、ひっそりと席を立つ。渡り廊下を通って北校舎に移り、三階まで行くと突き当たりに向かう。目的地は最東端。さびれたドアをノックする。反応はない。そのドアを引く。
 一歩足を踏み入れるとワックスのにおいがした。他よりはっきりそれを感じられるのは、使用頻度が関係しているのかもしれない。
 生徒会室。
 南の窓から入った光がフローリングの床が目一杯光を反射している。左手に八台並んだ百八十センチ大のロッカー。脇に立てかけられたパイプ椅子。中央の会議用デスクは机を四つ合わせたものだ。そして閉まったカーテンの下、上座に置かれた漆黒のソファ。
 僕は使用しているロッカーを開けると、まだ新品に近い数学の教科書を取り出した。三階の端にあるこの教室は、誰にとっても立ち寄りにくい。だから全部で十六人いる生徒会員でも、このロッカーを使用する人は限られている。部室のロッカーはスタメンを除く二年生から使えるという事も手伝って、ここを使わせてもらう事にした。
 具体的に生徒会員は、一二年の各クラスから選出された代表者で組織される。原則、一年生は持ち上がり。初年度は先輩の手伝い。その後春休み前後に各役職の引き継ぎが始まり、正式に就任するのは五月だ。しかしこれは一般的なものであって、現会長は年末には会計の取りまとめをしていたという。
〈余計なお世話よ〉
 だから自信があるのだろう。どこにでも存在する「何でも率なくこなしてしまう人種」は、人の気持ちを推し量ることが出来ない。他を寄せ付けない圧倒的な存在感。初回の集まりで感じたのは「集まり」ということ自体体裁に過ぎず、すべてにおいて報告のみだという違和感だった。役割が、仕事が、割り振られない。形を変えてこれから始まるはずの組織が、まるで声を発することなく解散した。十六人のひしめく中、在るのは、この場に必要なのは、彼女だけだった。
 普段ならそこまで気に留めたりなどしない。だが厄介なのは。

「あれ、来てたんだ」
 振り返ると見開いた丸い目と目が合った。同学年の生徒会員で、確か名は
「沙羅も用事―」
 沙羅双樹の花の色。音ではなく字形で記憶していたため、自ら答えを発してくれたにも関わらず二三の中継地点を経由してから合点する。その数秒のタイムラグの間に歩いて来ると、彼女は隣のロッカーを開けた。
 全体的に丸みを帯びたフォルム。厚みのある頬は高い位置で膨らんでいる。常に一定の笑顔。愛想、と言うのか、見ていて気持ちのいいタイプだった。僕は自分のロッカーを閉めてそのまま立ち去ろうとしたが、妙に静かになったのが気になって念のため声をかけた。
「・・・・・・何が取りたいの?」
 目一杯伸ばしていた腕を引っ込めて振り返る。
「国語辞典」
 なるほど。ここからだと上半分しか見えない高さにあるそれは、僕が腕を伸ばしてギリギリ届いた。背表紙が手前に来ていたから良かったものの、背中をぴったりくっつけていたら無理だった。いくらかホッとして渡すと「ありがとう」満面の笑みを残して教室を出て行った。蛍光色のヘアゴム。一つにまとめた後ろ髪が飛び跳ねるように揺れていた。
 それにしてもこのご時世、まだ国語辞典を持ち歩く人間がいることに驚く。
 僕も自分のロッカーを閉めると、東の窓を振り返った後、生徒会室を後にした。


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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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