飛鳥1〈4月15日(木)①〉
文字数 593文字
飛鳥一、四月十五日(木)
一
目の前を覆ったのは黒の長い髪だった。
その小さな背中にさえぎられ、敵から完全に守られる。そこで初めて知った感情。
興味をもてなかった授業。聞いておけばよかったと思ったのはこれが初めてだ。
「これ」をなんと言う。
なんとかの、羽の、
思えば幼少の頃からまともに相手をしてもらったことがない。親父も母親も、忙しいとしても、そんな言い訳、ガキには通用しない。チビなりに親に求める期待が手に入らないものだと理解しかけた時、心がねじれた。あの時「絶対手に入らない」とあきらめてしまうことができていたら、かえって楽だったかもしれない。
「ここにお金置いとくから」
その横顔にかかる髪。かかとを鳴らす音。
「楓と礼奈をお願いね」
せまい廊下。光をため込んだ玄関。すりガラスのドア。右手の花びん、桜の枝。その、後姿。それは毎日のくり返しで刷り込まれた一枚の絵。俺はその横髪の向こうにある目、それだけを求めていた。玄関を出る時、ただの一度ふり返ってたなら、たった一言俺を呼んでくれたなら、それだけで。
ドアが開く。目をつく光。反射的に閉じる。あれから数年。
いつも通り髪をセットして玄関を出る。いつしか俺は俺で成り立っていた。ヒマをつぶすためだけに向かう学校。すれ違う瞬間、うつむいて道を開けるサラリーマン。思うことは何もなかった。