聖5〈8月6日〈金〉②〉
文字数 1,704文字
二
玄関のドアを開けると兄貴がいた。
「やぁやぁお兄ちゃんが帰ってきたぞぃ」
久しぶりに仁王立ちというやつを見た気がする。一見僕の帰りを待っていたかのようだが、実際は丁度出窓から僕の姿が見えたらしく、単なる偶然に乗っかったインスタントの出迎えだった。そんな労力のかかっていない半年ぶりの再会だが、なじみ深いテンションは健在だ。
「寂しかったろぃ。さぞかし退屈だっただろぃ。たった三日の短い間だが、安心しろ。存分に構ってやるんだぞぃ」
靴を脱いで廊下を進むとオートでついてきた。何か言ってるがスルーする。
「相も変わらずシャイ☆ボーイなんだね聖くん。その気持ちよーく分かるけど、もっと感情を表に出していいんだぞぃ」
自室のドアを開ける。現在兄貴が一人暮らしをしているため、今は自分だけの空間のはずだ。しかし、本人が帰省してしまった場合、残念だけれどもプライベートスペースとしての機能は消失する。そうしてあいにく遠慮などというけなげな性質は持ち合わせていないため、廊下を歩くスピードのまま突っ込んで来た。そうして机にバッグを置く僕の背後で再び仁王立ちをしてみせる。直接見なくても気配で分かった。
「聖くんウノやろ。ウノやろ」
いい加減後にして欲しいと言おうとした時だった。携帯のバイブ音がした。兄貴がポケットを探る。画面の表示を見た、その声が変わった。
「出て」
ついさっきまでと同一人物だとは思えない。理不尽とはいえ、いくら共有の部屋でも、こうなるともう従うしかない。上がいる以上、いつだって百パーセントの選択肢は用意されていないのだ。僕は本を一冊とるとドアを開けた。
居間のテレビでは地元でとれた野菜の特集をしていた。はち切れそうにふくらんだトマトやきゅうりをリポーターの女性が頬張る。その目元がうれしそうにほころんだ。
僕はソファに横になると、本をお腹に載せて目を閉じた。蛍光灯の光が強い。顔に腕を乗せる。まぶたの裏に浮かんだのは、会長の震えるまつ毛だった。
〈何でもないわよ〉
腹の中で何かが首をもたげる。何でもないはずがない。
僕は会長が生徒会を一人で取り仕切っているものだと思っていた。生徒会の人間に任せる位なら自分でやってしまえばいいと。よく言えば責任感が強く、悪く言えば独りよがりな。けれども
震えるまつ毛。
例えば仮に、会長が一人でやらざるを得ない環境だったとしたら。組織の土壌がそもそもそうだったとしたなら話は変わってくる。だっておかしいだろう。意味が分からない。何だよ、用途不明金二万八千九百円って。
背筋を焼くような苛立ち。動こうにも動きようがない。夏休みである以上、部活が重なる時以外顔を合わせる術はなく、生徒会室を含む教室も、職員室以外は施錠されてしまう。だから下手すると一ヶ月以上会う予定がないのだ。せめて連絡先だけでも分かればと思った時、ふと歪んだ笑みが脳裏をかすめた。
〈俺アドレス知ってるし〉
喉が鳴る。そうだ。あの人は鈴汝さんといつでも連絡が取れるんだ。その気になれば、誘い出すこともできる。心臓が不穏な音を立て始める。花火の夜、一人でいなくなった会長を見つけた時に見た、目。全身に怖気が走る。鮫島先輩のあの、勝ち誇ったような表情。
思わずうつぶせになる。腕を乗せていたまぶたがじんじんと痛い。スパークしたような、まだらな光を放つ。小走りで帰ってくる会長。
〈ごめんなさい、なかなか見つからなくて遅くなってしまったの〉
両腕で抱くようにして抱えられているのは、ピンクの綿菓子の袋と、真っ赤なタコ。
〈おいしそうで、つい買ってしまったの〉
言いながら綿菓子の袋を開ける。
本当、に?
〈あ、そうそう〉
〈途中で鮫島先輩に会ったわ。あんた、知ってるんでしょ?〉
心臓が、根っこから揺さぶられる。その感覚は今でもはっきりと思い出せる。
〈あんたによろしくって言ってたわ〉
あの、目。あの、笑った、顔。鈴汝さんに抱っこされている赤いタコと目が合う。この辺では、ぬいぐるみは単体では売っていない。あるのは景品だけ。
まさか。