飛鳥7〈8月16日(月)〉

文字数 4,949文字



 一

 暑い。じんわりしみ出す汗を拭う。強い光が目を突く。目を開けたままでいる事ができない。まばたきすると、まぶたの裏に小さな人影が映った。もう一度まばたきをする。もう一度。目を閉じる。月の光に照らされて歩いた砂浜。目を閉じてしまえば夢と現実の境がぼやける。あれは本当は夢だったんじゃないか。自分に都合のいいように作り出したものなんじゃないか。
 俺は鮫島越しに体育座りしている真琴を見た。その顔にはきちんとメガネがかかっている。ひんやりとした白い頬。その横顔は実際の距離よりも遠くにあるように見えた。
 顔の向きをかえた。かえたところで意味はない。どうせまた俺は『こっちを向くことを待ち続ける』どこを向こうと、意味なんてない。

「さ、鮫島先輩、少々お話が・・・・・・」
 そんな時、真琴の声がした。俺の隣で寝転がっている鮫島を強引に引っ張って起こすと、パラソルを出て行く。
 真琴と・・・・・・鮫島・・・・・・?
 不思議な組み合わせに目を見張るが、そんな場合でもない事に気づく。寝そべったまま左を向くと、真琴のいたさらに向こうに鈴汝の姿があった。とっさに顔を背けてしまう。
 控えめに言ってこれはチャンスだった。昨晩決めた事を実行するなら今しかない。これは鮫島や水島に言われたからではなく、俺自身が必要だと思ったから伝えることだ。どこまでも穏やかだった波の音。遠ざかる背中。あれを追いかける上で、それはどうしても必要だった。
 もう一度鈴汝の横顔を盗み見る。鈴汝は無防備にあくびをしていた。そのあどけなさに気が狂いそうになるになる。
 無理だって。そもそも何も言われてないのに、俺の方から「ごめん・・・・・・お前を好きになれないんだ」なんていうのも何様って話だろ。いくらなんでもそれは嫌だ。でも
「・・・・・・飛鳥様、腕貸してください」
 そんなことを考えている時に聞こえた一言に、俺はマジで一センチ浮き上がる。返事をする頃には、もう既に鈴汝は俺の横で寝転がっていた。


 二

 まっ・・・・・・。
 元々、頭の下に手を敷いていたのだが、その二の腕から肩の辺りにかけて、確かな重みが加わる。
 いやいやいやいや!
 激しい動揺のあまり、逆に動きが制限された。腕がつりそうだ。心臓の音が内側から聞こえる。おかしいだろ。コイツ寝ぼけてるのか? とも考えたが「飛鳥様は雅の事がお嫌いですか?」という声によって打ち消される。
「いや・・・・・・それは、ない」
「・・・・・・そうですか」
 いや近い近い! こっち向くな! クソ! 鮫島、俺変更! これはDある! 違う!
 俺はさりげなく右膝を立てて自分の方に引き寄せる。
 無理。
 理想の流れで、今なら言おうとしていたことを伝えても、何の違和感もない。しかし、ここでそれを言える奴がいるなら出てきて欲しい。
「飛鳥様」
 喉の奥が詰まった。危うく声が漏れそうになる。
〈す、す、鈴汝さんはちゃんと女の人ですよ〉
 食いしばる。奥歯がギ、と音を立てた。頬が触れ合う距離で身体を丸めている鈴汝。強い愛しさがこみ上げてくる。守ってやらなければ。こいつは俺が、守ってやらなければ。
 太陽が透けるパラソル。半ば無意識の内に抱きかかえようとした時、顔を上げた鈴汝と目が合ってしまう。次の瞬間、俺は熱くなった頭が冷えるのを感じた。
「・・・・・・悪い」
 波の音がした。汗ばむ身体。磯の香り。息を吸うと、胸が焼けるようだった。
 フッと笑う。その目がみるみる水分をたくわえてこぼした。それはシートに音を立てて落ちると、段差を伝ってくぼみに留まる。
 鳥の、甲高い声。
 頭の芯がしびれる。俺はその身体を抱きしめてしまわないよう、堅く手のひらを握り締めていた。

 鈴汝はしばらくの間じっとしていたが、やがて思い立ったように再び顔を上げた。
「どうして、ですか?」
「どうしてって・・・・・・別に鈴汝に何か問題がある訳じゃないんだ。ただ俺の問題で・・・・・・」
 歯切れ悪く、そう答える。しかし、いくら目を泳がせたところで、すぐ近くにいるため、逃げる事はできない。生暖かい風は少しだけ湿気を残していった。パラソルだけじゃ日の光は防ぎきれず、一貫して身体が焼かれ続ける。
「何ですか?」
 その目は強い。俺はごまかす言葉が見つからず、かといってこれ以上うやむやにするのも嫌だったため、正直に話すことにした。
「・・・・・・と、妹・・・・・・みたいな感じなんだ。俺にとって」
 そうしてやはり目を逸らすが、視界の端にゆがむ鈴汝の顔が映った。気温が上がる。息苦しさの大元が分からない。吸っても吸っても苦しい気がする。
「・・・・・・妹・・・・・・?」
 搾り出すような声だった。俺は耳を塞いでしまいたかった。目をつぶってしまいたかった。そうして出来ることならここから消えてしまいたかった。この体勢はきつかった。この距離は拷問だった。
「あたしは・・・・・・飛鳥様を・・・・・・一度だって兄だなんて思ったことはありません・・・・・・」
 低く震わせた声に、どこまでも打ちのめされる。
「・・・・・・悪い」
 しかし俺は、それしか言えない。こいつを傷つける奴がいたらぶん殴ってやりたいのに、一番傷つけているのは自分なのだから笑えない。鈴汝は黙って起き上がると、腕をついたまま俺を見下ろした。口元のホクロ。下手なグラビアアイドルより、ずっとキレイだ。
「・・・・・・小さい子みたいですよ」
 そう言い残すと、鈴汝は俺の元を離れ、元いた位置に腰を下ろした。互いの距離を縮めるために言うはずの冗談が、離れていく鈴汝から投げかけられる。その矛盾に心臓がねじれた。それでもようやく息が出来るようになる。
 日はまだ、ずいぶんと高い。


  三

「火州、元気ないじゃーん」
 鮫島と真琴が帰ってきたのは、それからしばらくしてからのことだ。
 帰ってくると同時に抱きついてくる鮫島を振り払う。ひどくご機嫌だ。
「高崎が話したいって」
 その目がキラッキラしている。これは何かを企んでいる目だ。俺はその腹を探るためにしばらく見続けるが、それでも観念して立ち上がった。ともかく今は鈴汝と距離をとりたかった。
 人ごみの間を縫うようにして海を目指すと、そのまま水の中に入っていく。サンダルは歩く途中で脱ぎ捨ててきた。
「高崎―」
「海の家」で借りてきたでかいシャチの浮き袋に乗っかって浮いているのを見つけて声をかける。あのでかい図体で。シャチが気の毒だ。高崎が手を振り返す。しかし、自分ではうまく進めないらしく、水島に押してもらって戻ってくる。おいおいおっさん・・・・・・。
「おー、お前も乗りたいのかー?」
 白い歯がまぶしい。これ以上ないほどいい笑顔だ。乗りたいに決まってる。元はと言えば昨日これを借りに行ったのはこの俺だ。その帰りに真琴と鈴汝が絡まれているのを見つけたのだが。俺は高崎の後ろに隠れている水島に向かって言う。
「おい、鮫島が呼んでる」
 水島は一瞬「自分?」とでも言うように眉をひそめたが、それでもその後砂浜に向かって行った。その背中はいい色に焼けていた。絶対明日苦しむが。
「お前、あいつとしゃべったか?」
 振り返って高崎を見る。高崎はシャチの上に寝そべったままうれしそうに言う。
「いや・・・・・・」
 俺は昨晩廊下で鉢合わせた時のことを思い出すが、自分の中でなかったことにする。
「そうか・・・・・・」
 高崎はやはりうれしそうに言う。顔が熱い。太陽の光をよけるものが無いため、直にその光を浴びる。
「あいつ、なかなか面白いぞ」
 眉をひそめたのはそのセリフに対してじゃない。ただ単に強い日差しから目を守りたかったためだ。肉体的な、自己防衛。
「マジで。あーいうの、たぶんこの先モテるようになると思うぜ」
 気の無い返事をする俺に対して、それでも高崎は楽しそうに笑った。よく分からない。何故そう思うのか。何故それを俺に伝えるのか。
「なぁ火州」
「何だ」
 海水を手ですくって顔を洗う。ぬるっ。海水ぬるっ。
「・・・・・・鮫、動いたぜ」

 それまでいたパラソルの元、鮫島が鈴汝を連れて歩いていく。それは食料調達に行った建物の方に向かってだった。手を引いて、という訳ではないが、鈴汝が引きずられていくように感じるのは、そのさえない表情と重い足取りによるものなのだろう。それよりも何よりも、俺は鮫島達より先に堤防沿いを歩いていく真琴と水島を確認した。距離にして百メートル。
「・・・・・・何だよ」
 俺は自分の二の腕を捕まえた高崎を振り返りながら言う。高崎は背中から目いっぱい光を浴びているため、顔に影が落ちる。
「ダメだぜ、行っちゃあ」
 いたずらっぽく言っているつもりなのだろうが、背負う影は鮫島そっくりだ。
「だって俺、寂しいもーん」
 俺は「うぜぇ」と笑いながらもう一度砂浜を振り返るが、人ごみにまぎれて真琴を見失う。
 その後、高崎と交代してシャチにつかまる。実際に乗ると思った以上にテンションが上がった。
「押してくれ」
 声を抑えて言うものの、気分が上がったのは伝わったようだ。高崎はにっこり笑うと、思いっきり俺を押した。
「わ!」
 バランスをくずして水中にダイブする。浮き上がって無言で腕を振りかぶった俺に、高崎はあわてて言った。
「押せっつったのお前だろ?」
「普通シャチ押すだろ! さっき水島がやってたじゃねぇか!」
 高崎は「がはは」と笑った。
「頭、冷えたか?」
 俺は落ちてきた前髪を上げる。じりじりと日が傾いていく。生暖かい海。それでも確かに少しは冷えた。漂う潮の香りに酔わされる感じがする。
「・・・・・・元々熱くなってねぇよ」
 しばらくたってから、つぶやくようにそう口にする。高崎は口の端を上げたままだ。俺はシャチに腕をかけたまま、沖のほうを向く。遠く、どこまでも続くはずの青は、それでも空の区切りをちゃんとわきまえている。果てしなく、果てしなく、青と光が混じる。遠く聞こえる鳥の声は、聞きようによってはどこか悲しげだ。ナクんじゃねぇよと思う。
「高崎」
 高崎は腹を出して浮いていた。コイツ、シャチ全然いらないじゃねぇか。
「俺、その・・・・・・ちゃんと鈴汝に伝えたから」
 声がかすれる。鳥の、声。
「そうか。雅ちゃん、分かったって?」
 俺は手元を見ると黙り込む。「ちゃんと伝えた」と口にはしたが、考えてみれば「ちゃんと」には程遠い。それこそ理由は伝えたものの、「悪い」としか言っていないのだから。
「・・・・・・あぁ」
 本当は聞いていないが、自分の中で勝手に作って、過去の場面に貼り付ける。高崎が大きく息を吐く。それがため息なのか、安堵のために漏れたものなのか分からない。しかしもう一度「そうか」と言うと、笑った。俺の様子に気付いたようだ。無遠慮に肩を抱いた。俺はされるがままじっとしていた。そうしてぼんやりと、コイツの彼女の気持ちが分かる気がした。
 鳥が、ナク。


  四

 しばらくして海から出る。気が付くともう日が傾いていた。十五時過ぎってとこだろう。重くなった身体を引きずるようにして高崎とパラソルに戻る。
「鮫島と鈴汝は?」
 俺はたった今気付いた感じで真琴に声をかける。
「分かりません」
 しかし答えたのは真琴ではなく水島だった。真琴はセリフをとられて半開きになったままの口を、きまり悪そうに閉じる。
「・・・・・・そうか」
 心なしかその身体が固い。緊張しているのだろうか。水島を相手に?
〈あーいうの、たぶんこの先モテるようになると思うぜ〉
「何か買いに行ったとかじゃなくて?」
 高崎がそう聞くが、水島はそっけなく「知りません」と答えるのみだ。ちなみに先輩に対する態度ではない。ずいぶん仲良くなった高崎だから許されているが。その時ふ、と気付く。真琴はコイツの今の様子におびえているようだ。イチイチ言うことに反応して、その度にまるで自分が怒られているかのように身体を強張らせていた。にらみつける。水島は遠い砂浜を見つめたままだ。高崎はそんな俺のわき腹を小突くと、水島の前にしゃがみこんで「どうした?」と聞いた。
 高崎は分かっている。ただ、コイツがいつ、誰の味方をするかは分からない。
 俺はあくまで空気を読んで、真琴を海に連れ出した。






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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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